今日は秋分の日で、秋の彼岸の中日である。
お彼岸は春と秋、春分の日と秋分の日を中日として、前後3日を合わせた7日間のことをいう。
お彼岸と言えば、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」とか、なんとなくお墓参りをするとか、ぼた餅やおはぎを食べる・・・というくらいの認識しかなかった。
春のお彼岸はぼた餅、秋のお彼岸はおはぎという違いを知ったのも最近である。そもそも同じもので、春のお彼岸に食べる方を、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたもので、 一方、秋のお彼岸に食べる方を、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものらしい。
小さいころから、我が家ではお彼岸に墓参りをする習慣がなかったような気がする。しかし、仏壇に供えるぼた餅やおはぎを食べていたことは良く覚えている。
今の妻は、母の実家がある宗派の熱心な檀家で、幼少のころから、今でも朝と夜の勤行を欠かすことはない。お彼岸は必ずお寺と墓参りに行っている。それにつられて、自分も家にいるとき(いないことが多いが)にはお付き合いをして、妻の母の実家の墓と、すぐ近くの我が家の墓にお参りするようになった。
そもそも、これまで何の疑問も持たなかったが、「彼岸」の意味や、なぜ墓参りするのかとちょっと調べてみた。
「彼岸」という言葉はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」を略したもので、ご先祖様や故人が暮らしている場所を彼岸(ひがん)と言い、私たちが暮らしている場所を此岸(しがん)と言うらしい。
彼岸は煩悩や迷いがない悟りの境地の場所(極楽浄土)、此岸は煩悩や悩みに満ちた世界とのこと。
涅槃の世界を「西方浄土」と呼ぶことがあるとおり、彼岸は西に位置し、此岸は東に位置しているといわれ、太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日と秋分の日は、彼岸と此岸がもっとも通じやすい日になると考えられていた。
そこで、お彼岸には、今日ある自分を育ててくれたご先祖様に感謝するとともに、自らも彼岸に到達できるよう普段の生活の中で正しい行いを心がけるように、墓参りをするらしい・・・納得!
ということで、今日も妻のお寺からの帰りを待って、一緒に墓参りに出掛けた。