癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

横津岳紅葉散策

2018年09月18日 | 花・紅葉だより

函館山の上に海峡を挟んでくっきりと姿を見せる岩木山。
ここまできれいに見える岩木山は珍しい

 無事退院できたのでアップするが、実は、昨日の外泊中に、あまりの好天に我慢できずに、妻と横津岳紅葉散策に出掛けた。もし退院できなかったら、「外泊中に山を歩いて、バカでないの?だから退院できなかった」と思われるのが嫌で、今日までアップを待っていた。

 紅葉しているのは、タカネザクラ(ミネザクラ)とナナカマドだが、遠目には結構鮮やかに見える。しかし、近くで見ると、2回の台風で葉っぱが苛められ、枯れた感じになって、鮮やかさに欠けるが感じだった。
 大雪の紅葉も、今年は赤がイマイチらしい。今年の紅葉は不作年?


澄み切った青空の下に続く車道と航空レーダー


横津岳神社と鮮やかさに欠けるナナカマドの紅葉


湖面に青空を映す雲井の沼


雲井の沼のスイレン。前は赤だけだったような気がする。


色の濃いエゾオヤマノリンドウ


頂上から駒ケ岳と手前の紅葉斜面を眺める


大沼方面を見下ろす


函館山と実りの秋を迎えた函館平野


袴腰岳方向の紅葉斜面を眺める。奥に恵山や古部丸山も見える


海峡を挟んだ下北半島

特集『平成 函館の30年』 peeps9月号

2018年09月17日 | 日常生活・つぶやき

 毎月10日に発刊される函館蔦屋書店のTAKEFREEタウン情報誌『peeps hakodate』9月号は、地震による停電の影響で1日発刊が遅れた。

 今月号の特集は『平成 函館の30年』だった。平成は生前皇位継承の決定で、31年4月で終わり、来年5月から新しい年号になる。昭和の時代から長きにわたり函館市民から親しまれ、愛されたものがなくなり、新しいものが生まれた平成の30年間・・・。平成という時代、函館から何が消え、何が生まれたかを振り返ってみる・・・それが特集である。
 

 平成元年は青函トンネルが開通してまもなく到来した。函館駅も平成15年に新しく生まれ変わった。バックの函館どつくのゴライアスクレーンも平成21年に姿を消して、函館港の景観も変わった。


 編集部の視点で選んだ「平成になくなったもの」として、16枚の画像が掲載されている。それを見ていると、函館駅舎やWAKOデパート、彩華デパートを初め、駅前や大門通りから消えたものが多い。たくさんの映画館、大門通りのアーケード、森文化堂、消えはしないが模様替えをした大門広小路、函館シーポートプラザ、木造校舎などなど。
 また、平成4年の松風町~宝来町、翌年の五稜郭~ガス会社~函館駅前の市電の廃止なども、町並みの景観に大きな影響を与えている。ここには掲載されていないが、統合でどんどん消えて行った小中学校の多さも印象深い。松風町界隈の飲食店もぐんと少なくなり、空き地が多くなった。


 「平成に生まれたもの」として、20枚の画像を掲載している。何と言っても北海道新幹線の誕生が大きい。そのほかに、五稜郭タワー、緑の島、函館市芸術ホール、函館中央図書館、函館アリーナ、函館マラソン、食文化を含めてのラッキーピエロの誕生やバル街などなど。また交通の流れを変え、美原~石川町の商圏や住宅地の増大に影響を与えた函館新道の誕生も大きい。その中の、蔦屋書店の進出も大きな存在である。
 ここに載っていないが、箱館奉行所の復元も忘れられない。また、西部方面の観光地としての整備も非常に進んだ感じがする。

 

 函館マラソンも平成になってから新しく始まったが、28年に第1回となったフル・ハーフ同時開催のスタート写真が掲載されていた。その中に、たまたま、この第1回だけ、フル挑戦した我が夫妻も大きく載っていた(白丸)。

◎自分の平成の30年間

 こうして、函館の変遷を振り返っていたら、それとともに歩んできた、自分の人生のこの30年間も、つい振り返ってしまった。

 自分にとっては、平成元年は管理職元年でもあった。前半の15年は管理職として仕事を全うした時代であり、後半の15年は、自遊人として羽が生えたように思う存分精力的に遊びまくった時代である。

 現職時代の15年間は、私生活では、2人の子供も進学で家を離れ、母が亡くなり、翌年には妻まで他界し、5人家族から最後の3年間は一人暮らしとなった。しかし、公的な活躍の場を多く与えたもらった仕事の面では、周りにも恵まれ、これ以上はないと思われるほど非常に充実した大満足の15年間でもあった。

 後半の15年は、第2の人生であるが、それを支えてくれた典型的な押しかけ世話焼き女房タイプの今の妻の存在なしには語れない。2回の大腸癌手術を乗り越えながら、登山三昧の生活を中心に、2回の四国遍路、日本三百名山完登、7回の海外トレッキング、熊野古道や中山道、東海道の歩き旅のほかに、夏のマラソン、冬のスキーマラソンなどなど・・・自分でも、呆れるくらい充実した15年間だった。いつ死んでも悔いはない状態である。

 あと新しい年号を何年生きられるか・・・ 何か新しいことへの挑戦も探しているが、なかなか見つからない。これまでも生活をできる限り維持しながらも、もう少しゆったりモードに落として、のんびり過ごしたいものである。

 さて、外泊は今日の17時までである。これから病院へ戻り、明日には無事退院できることを願いながら一晩を過ごすことになる。

外泊~亀田八幡宮例大祭 & 富山ますのすし

2018年09月16日 | イベント鑑賞・参加

初めて目にした亀田八幡宮例大祭神輿渡御

 今日は外泊許可が出たので、朝食は病院で摂ったあと、そのまま、昭和温泉へ直行した。
 昨日まで腕に点滴治療の針が刺さったままだったので、シャワーを浴びることもできなかった。4日ぶりにゆったり温泉に入って、さっぱりして、帰宅した。

 例年はいち早い大雪の紅葉山行に出掛け、家にいないことの多い9/14~16は、函館の亀田八幡宮(通称:亀八)例大祭である。露店の出店数と種類は函館市内の神社のお祭りとしては最大規模だそうだが、年々減ってきているような感じがする。これまで知らなかったが、15日と16日は神輿(みこし)の神幸(渡御)も行われるらしい。

 いつも「亀田八幡宮のお祭りは雨が降る」と言われ、その通りのことが多い。しかし、今年は珍しく雨が降らないで終われそうだ。

 さて、この祭りの神輿渡御だが、いまだかつて一度も見たことがない。あることすら知らなかった。調べてみたら、その年によってコースか違うらしい。今年の予定では、我が家のそばは昨日通ったらしい。そこで、今日のコースの方へ出掛けてみた。








神輿を見た後、八幡宮へ行ってみた。


休日に重なったためにたくさんの人出が見られた。
昔はこの場所にサーカスや見世物小屋などが並んでもっと賑やかだった。


露店の前は賑やかだが、社殿の前は閑散としている


1862年(文久2年)改築の旧社殿(現神輿殿)

  1964年(昭和39年)に現社殿が建立された際に移設され、現在は神輿殿として使われており、現存する函館最古の建物である。
  1869年(明治2年)5月の箱館戦争で戦場となり、社務所が焼かれ神輿殿には弾痕が残る。同年5月17日には、榎本武揚らが近くの中村家(自分が学生時代4年間家庭教師をさせていただいたお宅)で新政府軍と降伏交渉を行った後、本神社を訪れ、降伏を誓約している。

 
関係者から教えてもらった箱館戦争時の弾痕(ほかに節穴があるが、それとは違う穴)

◎駅弁・富山ますのすし


近くのスーパー・ラルズで開催中の駅弁大会で買ってきた駅弁・富山ますのすしと八ヶ岳高原たまごサンド 
 昔、妻が富山へ行ったときに売り切れで食べられなかったそうだ。それ以来念願の駅弁になっていたらしい。
 実は、自分も三百名山巡りで富山は何度か通ったが、高くて食べたことがなかった。




ついでに買ってきた八ヶ岳たまごサンドも非常に美味しかった。

9/11に登った美利河丸山のHP版ページは下記の「最新情報」からどうぞ!写真等が少し増えています。
今年エベレストで亡くなる10ヶ月前の栗城史多さんのこの山の山頂写真もあります。
 http://sakag.web.fc2.com

点滴治療3日目

2018年09月15日 | 日常生活・つぶやき
     

 病室でごろごろしているにはもったいほど、爽やかな秋空が広がった。

 絶好の登山日和になった今日は、本来は妻と羊蹄山に登る予定だった。残念だが、仕方がない。
 
 朝の院長回診で、「順調に回復しているようですね。今日で点滴治療は終わります。あと、尿の勢いの検査とエコー検査で問題なければ、連休明けの尿検査の結果で退院できます」と言われた。
 明日と明後日が連休でなければ、明日には退院ができたのかも知れない。順調に回復できたことにひと安心。

 9:30から14:00まで点滴治療。その間、11:30には、尿の勢いの検査とエコーによる残尿量、膀胱、前立腺、腎臓の検査を受けたが、いずれも異常なし。心配した膀胱癌や前立腺癌はセーフだったようだ。ただし、前立腺がやや肥大しているので、小さくする薬を出してくれるとのこと。
 連休明けの18日に、尿検査をして異常がなければ、そのまま退院ということになった。

 明日と明後日は治療も検査もないので、明日の朝から明後日の夕方まで、1泊2日の自宅での外泊許可が出た。

 前立腺肥大と抗生物質の薬も病室に届けられた。

点滴治療2日目

2018年09月14日 | 日常生活・つぶやき
    

 朝5時に検温と採血。体温は昨夜の消灯前には平熱に戻っていたが、変化なし。
 おしっこの回数も減り、尿道の痛みも出始めに軽く感じるだけ。

 6時から点滴治療に入る。朝の院長回診で、病名は「尿路感染症・急性前立腺炎症」と診断された。

 また、別の掛かり付けの専門病院ではまだ薬は必要ないとされているが、だいふ進んでいる糖尿病がその引き金になることもあるそうだ。
 ということで、食事も糖尿食になり、退院後はそちらの診察と治療も勧められた。

 気がかりな膀胱癌や前立腺癌の心配には、まだ、大丈夫とは言えないとのこと。この後検査をしてくれるのだろう。

 点滴は午前中で終わった。看護師さんの話では、明日もやるそうだ。

 朝から、ずっと本を読んで過ごした。トイレは2~3時間置きになった。 

 妻は、昼食時と夕食時に来てくれた。

 多くの方から、ご心配のコメントをいただきました。ありがとうございます。

    
 病室の窓から眺めた今日のサンセット

膀胱炎?点滴治療入院

2018年09月13日 | 日常生活・つぶやき
    

 昨日は簡単な山だったのに、なぜか疲れが非常に強くてすぐに寝た。

 夕方からおしっこが近くなり、ちょろっとしか出ない。夜中から、おしっこの度に最初から最後まで尿道に激痛が走るようになった。1回で出る量が少ないので、20
分ごとに尿意が襲う。その度に激痛との闘いが辛い。ほとんど眠ることができなかった。

 朝方になり、色か濃いので確かめてみたら血尿が出て、血の塊のようなものも出ている。

 退職組織の年1のパークゴルフ大会の日だったが、断って、ときどきお世話になっている泌尿器科へ行ってみた。病院で取った尿の血尿の色が一番凄かった。
 いろいろ検査の結果、男性には珍しい膀胱炎ではないかとのこと。

 点滴治療のために、3日ほど入院することになった。それで、好転しなければ、別の病気を考えて検査をするらしい。膀胱癌や前立腺癌でないことをひたすら祈りたい。

 11:30に入院。昼食を食べてから点滴治療に入った。トイレが近くてその都度の痛みが辛い。ただ、血尿は出なくなったのが救いである。

 熱が38度6分もあり、氷枕をしてもらった。その後、座薬も差してくれて、かなり楽になった。おしっこの間隔も少し長くなり、1回に出る量も多くなった。また、痛みも和らいで来た。この調子で順調に経過することを願いたい。

日本一が2つもある美利河ダム

2018年09月13日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

道南で最大の大きさを誇る美利可ダム

 1991年(平成3年)に完成し、重力式コンクリートダムとロックフィルダムを合わせた複合ダムで、堤頂長(ダムの長さ)は1,480mあり、河川を横断して建設されたダムとしては“日本一”の長さである。ダムの高さは40.0m。ダム湖は「ピリカ湖」と呼ばれるが、カタカナ表記のダム湖も全国的に珍しい。 さらに、魚道も2005年(平成17年)に整備され、この長さは2,400mでこの魚道も ”日本一”の長さとなっている。


この工事で発見されたピリカカイギュウ像が設置されたピリカ湖


管理事務所


発電所


魚道


魚道の観察窓。カメラには写らなかったが、この時期はサクラマスがたくさん遡上していた


堰堤の上に登ることができる


登ったところから東側を眺める


同じく西側を眺める。


工事の際に発見された今金美利河海牛発掘場所の碑


国道から眺める美利河ダム


クワプラザピリカで提供されている美利可ダムカレー

 日本一の今金男爵と幻の今金和牛のコロッケを贅沢に添えて、地元名産の軟白ネギや野菜も添えられてボリュームも満点!!
 冬期間は、冬バーションで、白いカレーになるらしい。

薮山低山2山~望月山(森)&折戸山(鹿部)

2018年09月12日 | 登山・旅行
 美利河ダム公園で朝を迎える。8℃まで下がって夏用の寝袋では寒かった。まず、美利河ダムをあちこち見て歩いた。(後ほど別項で紹介)

 その後、ダムの近くにある坊主山と三角山の林道偵察をした。坊主山はすぐにでも登れそうだったが、林道から少し入ったところで、大がかりな笹刈り作業をしていて、林道を車が占拠して通れなかった。諦めて、かねてから考えていた森の望月山と鹿部の折戸山へ転進。

◎望月山(236m)<森町>


地形図上では、国道5号の近くに位置する低山だが、周りから見てもどの山か同定するのは難しい。
下山後、南側の道路から、送電線を手掛かりに同定できた。


アプローチは、「道南登山 単独行」のJyunさんの記録を参考にさせていただいた。


高速道路の駒ケ岳第一跨道橋の突き当たりの駐車スペースから、地図上の古い道状の所へ入る。


すぐ右側に、地図には載っていない沼があった。


沼のそばのトクサで覆われている地図上の古い道を少し歩いて、左の薮へ突入


すぐに、送電線の管理歩道に出た。Jyunさんはそのまま最短距離を狙って薮を漕いでいた。
自分は、薮漕ぎが嫌なので、望月山の南尾根まで管理歩道を進んだ。


尾根の上の鉄塔の所から南尾根を進んだ。薮は薄く歩きやすかった。


平坦で、どこが頂上か全く分からない。GPSのポイントを頂上とした。
倒木に覆われていて、その周りでも三角点を探したが、見つからなかった。倒木の下かもしれない。
Jyunさんも諦めていたので、見つからないのは倒木のせいにして、自分も倣った。

登り20分、下り15分。

 この山の南側の道路は、昔ワールド温泉牧場への道だった。今どうなっているのかと思って進んでみた。


ロングライフリゾート ヒルズテラス函館というリゾート地になっていた。


奥には、洒落たレストランやホテルのコテージが並んでいた。
関西系の会社で、ほとんどは向こうのお客さんを相手にしているとのこと。


◎折戸山(182m)<鹿部町>

これも、JYUNさんの記録を参考にさせていただいた。彼も書いているが、とにかく不可解な山だった。頂上まで(といってもピークではない)現在は廃道となった荒れた舗装道路が続き、最後はどんどん下って行った先がロータリーになっていて、そこが折戸山だった。


大沼鹿部線の松田牧場入口の道路が頂上まで続いている。


GPSトラックログ。


直進していたら、ゲートがある。このゲートの道が頂上へ繋がっているはずである。

 JYUNさんの記録を観ると、ここを左折している。その角にスバルパーク?の恐竜の骨格が建っている。今は廃墟となっているスバルパークは松田牧場から反対側に入った大沼公園の方だが、どうしてここにあるのだろうか?


農道を進む。この右端の道は、分岐でゲートが閉じていた道に繋がっていた。


舗装道路に合流するが、イタドリが道に生えていて、もう何年も車が走ったことのないような道である。
この舗装道路は何だろうという疑問をずっと抱きながら進んだ。
枝道も舗装されているし、植林地にも続いているので、林道であることは間違いない。
しかし、国有林や道有林でもなさそうだ。


 途中で倒木があり、その先は車は無理である。舗装されていそうなので、MTBで進むことにした。
 往路は、ほとんど下りなので、30分だったが、復路は、ほとんど押して戻ったので50分掛った。
帰りに距離を測ったら、3.2kmだった。ちなみに、大沼鹿部線の道々からここまでは4.6km。


道沿いには電柱もある。昔は電気も引いていたようだ。


突き辺りが折戸山で、ロータリーがあるだけだった。ここで戻るだけの終点だった。


JYUNさん情報で、三等三角点(点名・折戸)は、そのロータリーでなく、右手の林の中にあった。
確かに、ここの方がロータリーの中央部よりは高い感じだった。


舗装道路が続いている帰りの植栽地から駒ケ岳が見えた。


戻ってきて、閉じられていたゲートを見て、舗装道路の謎が解けた。千歳林業株式会社の社有林だった。


 望月山にしても、折戸山にしても、まったく登頂感のない山だった。なぜ、このような低山に山名が付いているのだろうか?昔は、この折戸山は地形図に載っていなかった気がする。最近Jyunさんに指摘されて気が付いた。

途中撤退のカニカン岳&美利河丸山

2018年09月11日 | 登山・旅行
⭕まずは、カニカン岳へ…しかし、720m地点で撤退

   
 国道230号の茶屋川付近から正面に見えるカニカン岳

 今金町のピリカダムの奥に聳える珍名で人気のあるカニカン岳(981m)は、その昔、金が採掘されていたため、アイヌ語のカンカン(黄金)やカニ(金)・カル(取る)がカニカンになったと伝えられる。今でも7合目付近に金鉱の坑道入口が残っている。
 ちなみに山頂の二等三角点は「寒々岳」(カンカンダケ)。

 これまで2回登っているが、数年前から道道が登山口から5km手前で通行止めになっているせいか、登山者も激減し、登山道も荒れ放題らしい。

 実は、新聞連載に取り上げる計画だったが、道道がまだ開通していない。しかし、登山道がどの程度の荒れようかこの目で確かめたいと思った。ネット上に今年の記録は見当たらない。しかし、知り合いの「北のかもしかさん」の昨秋の記録がヒットした。藪でかなり苦労したが登頂している。

 全道的に晴れマークが並んだ今日、午前中にカニカン岳、午後から美利河丸山の予定で、4:30に家を出た。

    
 ヤマップのトラックログ

    
 6:45、道道のゲートをマウンテンバイクでスタート。
 舗装道路が2kmほど続き、その先はダートだった。

    
 ダート道も快適で快調に走ることができた。登山口まで、土砂崩れは除去されていて、車で走るには支障はない状態だった。それでも、工期は今年の11月末までだった。

    
 7:20、ゲートから35分で登山口到着。登山口も藪で覆われていて良く分からない状態。
 10分ほどの林道跡は濡れた藪で覆われていて、ズボンがずぶ濡れになった。

 しかし、登山道へ入ると、急な尾根登りの道で、藪はそれほど気にならなかった。

    
 しかし、高度を上げていくと、少しずつ笹で覆われ出す。

       8:10、50分も歩いて2合目標識通過。この山の合目標識の間隔は何を基準にしているのか分からないが、下の方が非常に長い。

    
 3合目手前(680m付近)から、ネマガリダケの藪が急に濃くなる。
 一時的なものかと期待して、掻き分けながら歩を進める。

    
 8:40、ブナの幹に食い込まれた3合目標識通過。
 この先が大変だった。昨秋の記録から予想した以上である。ネマガリダケは太くなるし、それが道をずっと覆ったままである。遅々とした藪濃き歩きになる。
 倒木も多く、その度に道が分からなくなる。

 650mを越えた辺りから斜面をトラバースする道になる。ネマガリダケが上から雪で倒されたままで、踏み跡がはっきりしなくなる。右から被さっているので、右肩や右腕で掻き分けながら進まなくてはならない。そのうちに右の背中が痛くなってきた。

    
 9:30、720m付近で頭上に目指す山頂が見えた。5合目手前だが、登山口からここまでで、2時間20分も要している。前の2回は2時間も掛からないで登頂している。まだ、山頂までの標高差は3250mもある。昨秋の記録では、ここから先の藪が凄いらしい。さらに、1年経っているのだから、もっと凄くなっているはず。
 
 これ以上前進する意欲は失せてしまった。いずれ整備されることを期待して、ここで撤退することにした。

 登山口まで1時間30分で下り、マウンテンバイクの道道は下りなので、わずか20分でゴール。11:20だった。

 ゲートから登り3時間、下り1時間50分。
 下山後、北のかもしかさんの記録の画像を見たら、藪が比べ物にならないくらい濃くなっていた。彼は登山口から2時間30分で登頂している。あそこでの撤退は大正解だった。 

⭕美利河丸山へ

       
 2017年に今金町120年を記念して建てられた頂上標識と三等三角点。後ろ羊蹄山。
 
 この山は今金町と長万部町の境界稜線上にある山(675m)である。地図上ではただの丸山だが、美利河丸山が定着している。

 登山道は今金町の奥ピリカ温泉(休業中)からの美利河コースと反対側の長万部町の二股らじゅうむ温泉からの二股コースがある。どちらも1回ずつ登っている。

 今回は、新聞連載の再取材目的で、16年ぶりに美利河コースを往復した。

 国道から登山口のある奥ピリカ温泉まで10kmほどあるが、ずっと舗装されているのがうれしい。

    
 ヤマップのトラックログ

    
 12:15、今は休業中の奥ピリカ温泉(手前)と山の家からスタート。いずれ再開されるのだろうか?

    
 登山口。頂上まで2800m。距離は短いが、ずっと急なブナの尾根道が続く。特に下の方が急で、ジグを切って登っていく。

    
 尾根道なこともあり、登山道は倒木は多かったが、藪は全くなく最後まで快適だった。

    
 後ろを振り返ると、駒ヶ岳を中心とした噴火湾が広がる。

    
 その右側には、手前にピリカスキー場とピリカダム。その奥は雄鉾岳や遊楽部山塊。

    
 さらに、西側には、先ほど途中撤退したカニカン岳。

    
 いち早く紅葉するウルシ

    
 天気が良かったせいか、珍しく花を開いていたエゾオヤマノリンドウ

       
 13:25、山頂到着。この標識は2017年6月25日に今金町120年を記念して建てられてようだ。このときに、今金町の観光大使だった、今年エベレストで亡くなった栗城君も登っているそうだ。

    
 豊浦方面から室蘭方面までの噴火湾の眺望

    
 山頂から、羊蹄山とニセコ連峰を望む。
 左は日本海からニセコ連峰~羊蹄山~噴火湾~室蘭方面までの眺望が広がる。
 無風でポカポカ陽気の下で、これらの眺望を眺めながら30分以上ものんびり休んだ。
 
 登り1時間10分、下り45分。
 快適な登山道と素晴らしい眺望に、カニカン岳の撤退の悔しさは完全に癒された。

    
 15:30、クワブラザピリカへ。

    
 ぎりぎりオーダーストップに間に合ったピリカダムカレー。温泉とセットで1300円。単品なら900円?
 温泉の前に食べて、腹がこなれるまでブログアップ作業。

 明日も、この近くで登れれば登りたい藪山があるので、ピリカダム公園で車中泊。

 今日のブログは、スマホからのアップだが、コンデジカメラで撮った写真をFlash Airで取り込んだので、これまでのスマホからの画像よりはきれいだと思うが…?

オーストラリア産のピーナッツ

2018年09月10日 | 食べ物

1年以上食べ続けているセイコーマートのオーストラリア産のバターピーナッツ

 昨年のNHK「ためしてガッテン」で取り上げられた「血管を強くしなやかに!ピーナッツパワー解放」を観て以来、朝食前のコーヒーと一緒に、毎日20粒ほどを食べ続けている。
 
 実は、ピーナッツに含まれる油は、飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸がとてもバランスよく含まれていることから、 コレステロール値をさげたり、血管を強くしたりと、様々な効果が期待されている。ミネラルやタンパク質も多いため、優秀な健康食材として一躍注目を集め始めたとのことだった。カロリーのことを考えて、1日20粒程度が望ましいとのこと。基本的には炭水化物なので、朝食はこれも加えての炭水化物摂取に心がけている・・・というより、体を動かさない日の朝食の炭水化物はこれだけで済ますことが多い。

 国内で出回っているピーナッツと言えば、中国産が多いが、ここ1年以上は、セイコーマートで売っているオーストリア産のバターピーナッツ(1袋258円)にハマっている。外見は、ほかのピーナッツに比べてやや丸味を帯びていて白っぽい。歯ごたえが非常に柔らかく、食感がマカデミアナッツやカシューナッツに近くサクサクし、油濃くなくさっぱりしている。毎日食べても飽きが来ないのがお気に入りである。加工業者が、函館の会社であることもうれしい。

 このほかに、やはり1年近く朝食に毎日欠かさないようにしているのは、前にもこのブログで触れたが、中性脂肪対策で、EPAやDHAを多く含むさば缶、さんま缶、いわし缶のいずれかである。一番好きなのはさば缶の水煮だが、最近は健康・ダイエット食品としてブームになり、最近は手に入りづらくなっているのが悩みである。

本日の夕刊に掲載された記事

リーフレットは、下記でどうぞ!
https://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/37f4a0b1348772df32c285d38e5ff2da


「北の昆布展」

2018年09月09日 | イベント鑑賞・参加

 7月から函館博物館で開催されていた「北の昆布展~昆布が支える日本の文化~」だが、前回出掛けたら休館日だった。その後行きそびれていたが、今日が最終日なので、慌てて観に行った。

 昆布といえば、江戸時代から北海道を代表する海産物だが、店頭に並べば高いのに、地味な食材という点ではNo.1かも知れない。決して主菜になることなく、和風料理の出汁のイメージが強い。

 そのような昆布の価値を認識し、興味を抱くようになったのは、日本一の昆布産地である、今は合併して函館市に含まれた南茅部に2度も勤め、合計7年間住んだことが大きい。

 天然昆布漁や昆布養殖に携わる人々に接し、子供たちも亡妻もその乾燥作業や加工のアルバイトに従事した。それ以来、我が家では毎日のみそ汁に昆布を欠かすことはなく、お歳暮やおつかいものにも、昆布漁家から卸し価格で分けてもらっている昆布を使っている。しかし、昆布料理はあまりすることはない。

 特に南茅部の真昆布は、江戸時代から北前船で京都・大阪方面へ運ばれ、京料理などに欠くことのできない存在となっていた。また、北前線の経由地である富山藩と手を組んだ薩摩藩が琉球王国を経由する中国(清)との密貿易に利用した「昆布ロード」の存在や、その財源が倒幕運動へ繋がったいう面白い話まである。

 そのような歴史からなのか、北海道は単なる原料供給地でしかなく、関西方面を初めとする道外でその価値が認められ、向こうの業者がいろいろな昆布製品が開発し、付加価値を高めて来た。
 多くの昆布製品を扱っている七飯町にある「昆布館」も、地元ではなく福井の業者であることが悔しい。


昆布がぶら下がる展示場の入口

 展示場は、次の3章で構成されていた。
 第1章 昆布とは何か
 第2章 昆布はどのようにして広まったのか
 第3章 昆布はどのように利用されているのか


入口に展示されている、「南かやべ白口浜真昆布」のポスター


北海道で獲れる昆布の種類


昆布の種類と製品の数々~それぞれに特徴があり、その用途にも違いがある


昆布採りの船と道具


江戸時代に昆布等を運んだ北前船の模型


全国の昆布の都道府県別消費量のグラフ
富山県が突出し、国内の97%を生産している北海道がラスト。
生産地の北海道でその価値が認められていないという現実が悲しい。
富山県の消費量が多いのは、北前船の中継地で栄えたこと、
富山県は北海道への移住者が多いことなどが上げられている。
北海道では、出汁くらいで、消費量の多い地域に比べて、いろいろな料理として食べることは少ないのが、消費量が少ない原因のようだ。


消費量トップの富山県の正月の鏡餅と昆布
~昆布は「よろこんぶ」に通じ、めでたいものの象徴として神事や行事に広く使われている。


最近その成分や栄養等で、注目されてきたガゴメ昆布のコーナー。
この昆布の研究や製品開発は函館が中心になっている。

 自分にとっては、特別目新しいことはなかったが、昆布の日本文化に及ぼした価値を再認識することができた。


我が家でおつかいものとして重宝している60㎝の長さに折った昆布

地震から3日目~物流停滞

2018年09月08日 | 日常生活・つぶやき


スーパーに目立つ空いている棚

 北海道胆振東部地震から3日を経過した。TVでは、厚真町の土砂崩れ現場の捜索や札幌市清田区の液状化現象の現場、避難所の様子、搾乳した牛乳を捨てざるを得ない酪農家などが生々しく映しだされている。
 しかし、函館市内は停電も断水も昨日の内に復旧し、昨日は虫食い状態だった信号も回復し、市内を車で走っても、普段通りの生活に戻った感じがする。

 しかし、スーパーへ入ってみると、あちこちに空の棚が多く目に付く。冷凍・冷蔵食料品はもちろんだが、肉や乳製品、生鮮加工食品、飲料、カップ麺などの棚は軒並み空になっている。これらの棚が元通りになるには、まだ多くの日数を要しそうだ。


ショックだった13km四方にも渡る厚真町の山体崩壊の画像

 今まで土砂崩れの画像はたくさん目にした来たが、これほど見事な山体崩壊の画像を目にするのは初めてである。いかにも地震ならではの災害といった感じである。手前が、押しつぶされた人家。
 今日になって、行方不明の内新たに10人が心肺停止の状態で見つかったようだ。ご冥福を祈りたい。


札幌清田区の液状化現象の現場

 これも、今まで目にしてきた液状化現象とは、かなり様子が違う。昔沢だった所を火山灰の混じった土砂で埋め立てて造成した住宅地とのこと。単なる液状化現象ではなく、昔の沢に沿って土砂が流れたので、余計被害が大きくなったようだ。


重宝したスマホの予備バッテリー

 今回の停電では、通信や情報収集の手段としてスマホが大活躍だったが、停電が長引いたためにその充電が大きな課題となったようだ。
 我が家では、自分も妻も充電済みの予備バッテリーを持っていたので、それで十分間に合った。いよいよとなったら、車中泊用に車に備えてあるDCーACコンバーターから充電することも可能であった。

 これらのほかに、電池の予備の多くあったし、山の道具や食糧もあり、車のガソリンも多く残っていたので、ほかの人のように、特に必要なものを慌てて買い求めるために出掛ける必要がなかった。それだけに、あまり不便さを感じることはなかった。

○10kmジョグ(五稜郭公園)
夕方、涼しくなったので、一定のペースで走ることに心がけた。
①7'21 ②6'46 ③6'50 ④6'40 ⑤6'41 ⑥6'28 ⑦6'44 ⑧6'23 ⑨6'19 ⑩6'32
トータル1時間06分54秒 平均ラップ6分41秒/km

25時間ぶりの停電復旧

2018年09月07日 | 日常生活・つぶやき
    
   5時に起きて点けたTVの画面

 通電火災への対応でブレーカーを落としていたので、今朝4時に外灯が点いて、停電が復旧したことが分かった。25時間ぶりの復旧である。

 被災された方々やまだ復旧していない地域の方々にはには申し訳ないが、暫し非日常的な生活を楽しんだレベルで済んで良かった。

 それにしても、電気がないと生活機能がすべてマヒしてしまうことの恐ろしさを改めて実感させられた1日だった。

 被災された方々には心よりお見舞い申し上げ、1日も早い復旧をお祈りします。

 今回の道内全域停電は、初めて知った「ブラックアウト」という現象だった。
 道内最大の苫東厚真火力発電所が故障したために、需給のバランスが崩れ、他の発電所が一定の周波数で発電できなくなり、自動的に運転停止したそうだ。
 
 今朝の時点で、復旧はまだ1/3ほどの地域だそうだ。全道的に完全に復旧するのには1週間以上は掛かるらしい。

 なお、この地震は「平成30年北海道胆振東部地震」と名付けられた。

   
   
   
   今朝の北海道新聞

 今日から3日間は雨予報なので、雨が降る前にと思って、函館新道入口まで往復10kmのスロージョグに出た。
 ところが、国道に出て間もないところにあるガソリンスタンドに、七飯方向から来る車が300mほども列を作っていた。その2kmほど先からの国道5号沿いは、昭和町も石川町も停電のままだった。
 帰りは桐花通りを戻ったが、やはり、我が家から2kmほど北側は復旧していなかった。

 その後、いろいろ調べたら、市内のあちこちで停電が続いているところが多かった。我が家は早い方だったようだ。

巨大地震により北海道全域停電・生活マヒ

2018年09月06日 | 日常生活・つぶやき
 このブログは、スマホからアップ
   
   
 朝からドラッグストアやコンビニに食料品等の買い求めに押し寄せる市民の車

 3:08、大きな地震で目が覚めた。TVで震源地や状況をと思ったら停電だった。スマホとラジオで状況を確認したら、震源地は安平町付近で震度6強で、函館は5弱だった。
 
 特に被害もなかったので、寝直して起きたら、まだ停電だった。道外でも大きく取り上げられているようで、弟妹や姪や知人などからメールや電話が入った。地震のすぐに後に安平町在住の岳友にメールを入れたが、夕方になっても返信はない。

 この停電は、地震で火力発電所の運転が停止して北電の電力供給ができなくなったことが原因で、全道的な規模で復旧の見通しが立たないとのこと。
 道路の信号も作動せず、朝から、学校は休校、路線バスもJRなどの交通機関はすべて運休、マンションなどの断水、病院も一般外来受付中止など、生活マヒ状態になった。

 いろいろな店舗も休業で、朝から、食料品や日用品を買い求める市民が、コンビニやドラッグストアやスーパーに押し寄せてごった返していた。近くのスーパーでは入口で必要なものを売り、コンビニは昼には閉店になっていた。

 ずっとラジオで情報を把握しながら、本を読んで過ごした。

 震源地に近い厚真町で大規模な土砂崩れが発生し、40人ほどの行方不明者が出ているようだ。あとでこの厚真町は、震度7だったことが判明した。

 運転停止している火力発電所の安全が確認されて運転が再開しても、一番大きな苫東厚真発電所に故障が見つかったので、全道的に停電が解消するのは、1週間以上掛かるとのこと。

 函館は、知内の火力発電所が運転再開するまではダメだろう。今日は無理のようだ。
 このような長時間の停電は人生初体験である。

   
    
   配達された4ページだけの夕刊

   
 このようなときは山の道具が役に立つ。ご飯はライスクッカーで炊いた。ヘッドランプも重宝だ。いよいよの場合でも、テント泊用の食糧も2人で4食分ある。
 暗くなる前に夕食を済ませ、早めに寝ることにする。 

     

無線LAN搭載SDメモリーカード「FlashAir」

2018年09月05日 | 日常生活・つぶやき
 関西に大きな被害を与えた台風21号は、日本海を北上し、夜中に函館地方に近づいて、朝には通り過ぎていた。強風で何度も目が覚めたが、大きな被害もなかったようでホッとしている。函館市内の学校は、登校時刻を2時間繰り下げて対応したようだ。


 さて、最近Wifi対応カメラが出始めた。これは何だろうと調べて見たら、そのカメラで撮った画像を、スマホやパソコンへ無線で送ることができる機能が付いているらしい。

 現在自分が使っているカメラは、上掲のスマホ、ミラーレス一眼レフ、コンデジの3台である。この中で、スマホとコンデジは、過酷な山や冬期間の使用に耐える防水・防塵・耐衝撃・耐振動・耐氷結などが売りの高耐久性カメラである。

 しかし、このスマホの最大の欠点は、カメラの画質が良くないことである。特に暗いところや接写などで顕著で、ピントも甘い。しかし、スマホでしかアップできない旅の最中のブログは、これで撮った画像しか使えないので、我慢して使ってきた。もし、コンデジやミラーレスで撮った画像がスマホへ取り込めるなら、その悩みが解消できる。しかし、そのために新しいカメラを買い替えるほどリッチではない。

 

 いろいろ調べていたら、数年前から、東芝から無線LAN搭載SDメモリーカード「FlashAir」が出されていることが分かった。これは、カメラの方にこのSDメモリーカードを入れておけば、無線LANで、スマホやパソコンへ好きな画像を取り込めるというものである。これなら、カメラを買うよりかなり安い。

 64GB、32GB、16GBの3種類があり、容量が多いほど通信速度も速いらしいが、値段も高い。そこで、中を取って32GBをamazonで取り寄せた。3,580円だった。

 スマホにFrashAirのアプリをダウンロードし、カメラにスイッチを入れて、アプリを起動させたら確かにカメラの画像を選択して取り込むことができた。

 日帰り行動の時は、コンデジやミラーレスで撮った画像をパソコンに取り込んでブログアップしているが、これからは、旅の最中でも、多少は質の良い画像でアップできることになるはずだが・・・?