というわけで五十歳になった。韓国流の数え方だととっくに五十歳になっていて、というか、韓国ではおそらく既に五十二歳にカウントされてしまうのだが。かの国では生まれた時に一歳で、次に正月を迎えるともう二歳という数え方なのである。まあ、半世紀である。フェイスブックなど始めたためか、今までにない数の御祝いメッセージが届いて、劇団員たちも稽古後にケーキなど用意してくれて、なぜかだるま柄の彫られた湯飲みやら肩こりマッサージ器具(アーム付きツボ押し)やらプレゼントもいただいて、ありがたいことである。まあ劇団員にしてみれば、ちょうど一年前『裏屋根裏』通し稽古中に震災に遭遇し、二度にわたって通しが中断したときの衝撃もあって、今ふたたび、その同じ稽古場にいるので、どこか気持ちのリセットというか、持ち直しというか、そういうことに意識が向かっているのではないかと思う。今の稽古は、私としてはとにかく、今回の実験の初期の新鮮さを失わないことと、可能な限りクオリティを上げていくことが主眼である。清水弥生助手に言わせると「サカテさんがいま猛磨き中」。リアンは現在販売中の雑誌「世界」に掲載されている私の文章(震災一年後の特集に寄せた『「一年間」と「水の変容」』)を読んで、「9.11の後、(アメリカでは)すごい勢いで、日常が戻ってきた。でも、内面では何かが変わったかもしれない。だが、その外的に時間のたつ速さと、内面の時間のたつ速さはずれがあった。3.11以後の日本もそうかもしれない。このテキストを読んでこういうことを思った。前を向いているはずなのに、どっかずれている、実は進んでいない、そういう時間感覚。ある日常のひとつひとつの場面をとらえ直して、刻みつけることで、その速さに、ある意味、抵抗する。日常のなかの動きのなかで、美しいと感じる瞬間を作っていきたい。あるいは発見していきたい」という。演出補の明子は「10秒を8分にのばした波の映像を見たことがある。それは、普通に見る波よりも随分違って見えて、美しかった。この部分も、そういう感覚かなと思う」。この部分の稽古のスタートは私が『荷』にどっぷり浸かっていた時だったので、ある程度の話はしてはいるものの、後に清水の克明なノートで稽古場での言葉として再確認できるわけである。その部分は我々が「あの日」と呼ぶ場面になっている。さて、なんにしても新作『ALL UNDER THE WORLD』の上演時間は、一時間半を切る。今まで劇団がやった本公演では一番短いはずである。
公演詳細は以下の通り
http://rinkogun.com/Next.html
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