報道によれば、政府は、沖縄県名護市辺野古沿岸部に建設予定の米軍普天間飛行場代替施設内に、南西諸島の防衛強化に向け新たに編成する陸上自衛隊の「初動担任部隊」の拠点を設ける検討を「始めた」という。新基地基地前提の「自衛隊共用案」は以前からあるし、そういう目論見があることは予想はされていたことだが、この報道、「複数の政府関係者が明らかにした」そうだが、このタイミングで発表することに意味があるはずだ。そのどこにポイントがあるのか、ニュースを知った夜中から考えている。火事場泥棒的に「やってしまえ」なのだとも思うが、もちろん参院選を利用した「事案があること」の既成事実化を狙い、また、参院選の与党有利のためにするものでもあるだろう。しかし「配置場所としては、宮古島や石垣島が浮上している。ただ、能力維持に欠かせない広い演習場を島内に確保するのは困難で、辺野古であれば、滑走路などを使い離島へ迅速に展開できるメリットがある」という報道は、どう考えても偏向している。知事が着工許可を出していない飛行場を前提に「広い演習場」とは、よくもそんなことが言えたなと思うしかない。とにかく、報道の人たちに言いたいのは、「政府は」では困る。誰が言っているかを示すべきだ。そしてその情報の「前提」については、公正に伝えるべきだ。
報道によれば、日本原子力研究開発機構(JAEA)が発注した除染モデル実証事業(2011~12年)で、中堅ゼネコンの日本国土開発(東京)が福島県南相馬市で生じた汚染水340トンを、農業用水に使う川に流していたことがわかったという。原子力機構は、川に流すことを知りながら、排水経路に触れていない国土開発の計画書を了承、地元に提出していたんだそうだ。南相馬市も福島県も説明は受けておらず「排水されたことも知らなかった」。原子力機構は「地元と合意書は交わしていないが、排水については口頭で説明したはず」というが、そんな大事なことは言ったら大問題になっているはずだし、「説明したはず」ですませられる神経が常軌を逸している。国土開発は「機構が地元に説明をしたと聞いていたので、排水してもいいと理解していた。農業用水に使う川とは知らなかった」と言い逃れる。なんという無責任。南相馬市は「当時はガイドラインもなく除染の知見がなかった。日本原子力研究開発機構から汚染水は『処理する』と説明を受けたが、放流するとは聞かなかった」としているが、知見がなければ食い下がって、納得できるまで許可しないのが自治体の責任だろう。何とも醜悪な責任のなすりつけあいだ。……金房小学校近くの宅地で、住宅塀の洗浄作業で出た汚染水が通学路の砂利道に垂れ流しになっていた様子を、作業員の一人が「証拠を残そう」と急いでカメラを回したことから明らかになったというが、ほうっておいたら闇に葬られていたわけだ。国土開発の現場監督が、撮影に気付き「国の実証事業だ。写真は全て消去しろ。できないなら帰ってよい」と迫り、データの一部を削除させたというのもひどい話だ。ただ、トカゲのしっぽ切りみたいに現場のせいにしても仕方がない。「除染」という国策じたいが間違っているのだ。これも、責任者を明確にすべきだし、責任を取らなければならない仕組みが必要だ。村上春樹氏の最近のインタビューにはいろいろ思うことはあるが、原発事故について彼の言う「誰も罪に問われていないのはおかしい」という考えが正しいのは確かである。無責任体制が、この国の迷走を助長している。
そして、農業用水に汚染水を流しうる体質が発覚した以上、福島の人たちを傷つけると言われても、「食べて応援」は、ほんとうに、もう言ってはならない。
報道によれば、入学式や卒業式で、国旗に向かった起立と国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の職務命令に従わなかったとして、停職処分を受けた都立養護学校元教員の女性(63)が、都に300万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷は都の上告を受理しない決定をし、都に30万円の支払いを命じた差し戻し控訴審判決が確定した。君が代不起立訴訟で賠償命令が確定したのは初めて。一、二審は女性の訴えを退けたが、最高裁は懲戒権者の裁量の範囲を超えているとして停職処分を取り消し、賠償請求について高裁に審理を差し戻した。東京高裁は、処分について都の過失を認めた上で、「停職中、教壇に立てないことによる精神的苦痛は、支給されなかった給与の支払いでは回復できない」として、都に賠償を命じていた。
どうしてこの記事がもっと大きく報道されない? 彼女の名誉を回復し、復職を可能にするための世論が作られない? 彼女を抑圧した者たちが誰なのかをきちんと報道しない?
市民の生命を脅かしておきながらごまかしを繰り返している者たちが組織の中に紛れる一方、勇気を出して声を上げた個人の権利が蹂躙され、それを社会が無関心という悪意でスポイルしているこの国の現実は、本当にひどい。
報道によれば、日本原子力研究開発機構(JAEA)が発注した除染モデル実証事業(2011~12年)で、中堅ゼネコンの日本国土開発(東京)が福島県南相馬市で生じた汚染水340トンを、農業用水に使う川に流していたことがわかったという。原子力機構は、川に流すことを知りながら、排水経路に触れていない国土開発の計画書を了承、地元に提出していたんだそうだ。南相馬市も福島県も説明は受けておらず「排水されたことも知らなかった」。原子力機構は「地元と合意書は交わしていないが、排水については口頭で説明したはず」というが、そんな大事なことは言ったら大問題になっているはずだし、「説明したはず」ですませられる神経が常軌を逸している。国土開発は「機構が地元に説明をしたと聞いていたので、排水してもいいと理解していた。農業用水に使う川とは知らなかった」と言い逃れる。なんという無責任。南相馬市は「当時はガイドラインもなく除染の知見がなかった。日本原子力研究開発機構から汚染水は『処理する』と説明を受けたが、放流するとは聞かなかった」としているが、知見がなければ食い下がって、納得できるまで許可しないのが自治体の責任だろう。何とも醜悪な責任のなすりつけあいだ。……金房小学校近くの宅地で、住宅塀の洗浄作業で出た汚染水が通学路の砂利道に垂れ流しになっていた様子を、作業員の一人が「証拠を残そう」と急いでカメラを回したことから明らかになったというが、ほうっておいたら闇に葬られていたわけだ。国土開発の現場監督が、撮影に気付き「国の実証事業だ。写真は全て消去しろ。できないなら帰ってよい」と迫り、データの一部を削除させたというのもひどい話だ。ただ、トカゲのしっぽ切りみたいに現場のせいにしても仕方がない。「除染」という国策じたいが間違っているのだ。これも、責任者を明確にすべきだし、責任を取らなければならない仕組みが必要だ。村上春樹氏の最近のインタビューにはいろいろ思うことはあるが、原発事故について彼の言う「誰も罪に問われていないのはおかしい」という考えが正しいのは確かである。無責任体制が、この国の迷走を助長している。
そして、農業用水に汚染水を流しうる体質が発覚した以上、福島の人たちを傷つけると言われても、「食べて応援」は、ほんとうに、もう言ってはならない。
報道によれば、入学式や卒業式で、国旗に向かった起立と国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の職務命令に従わなかったとして、停職処分を受けた都立養護学校元教員の女性(63)が、都に300万円の損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷は都の上告を受理しない決定をし、都に30万円の支払いを命じた差し戻し控訴審判決が確定した。君が代不起立訴訟で賠償命令が確定したのは初めて。一、二審は女性の訴えを退けたが、最高裁は懲戒権者の裁量の範囲を超えているとして停職処分を取り消し、賠償請求について高裁に審理を差し戻した。東京高裁は、処分について都の過失を認めた上で、「停職中、教壇に立てないことによる精神的苦痛は、支給されなかった給与の支払いでは回復できない」として、都に賠償を命じていた。
どうしてこの記事がもっと大きく報道されない? 彼女の名誉を回復し、復職を可能にするための世論が作られない? 彼女を抑圧した者たちが誰なのかをきちんと報道しない?
市民の生命を脅かしておきながらごまかしを繰り返している者たちが組織の中に紛れる一方、勇気を出して声を上げた個人の権利が蹂躙され、それを社会が無関心という悪意でスポイルしているこの国の現実は、本当にひどい。