安倍首相が石垣島訪問。尖閣諸島周辺などの警戒に当たる石垣海上保安部の巡視船「いしがき」を視察、乗組員に「今、わが国の領土・領海・領空や主権に対する挑発が続いている。とりわけ中国の公船による尖閣諸島周辺への接近や徘徊が頻発し、領海警備を巡る環境は一層厳しさを増している」「このような中、諸君がわが国の領海警備などに尽力していることを高く評価している。私も引き続き先頭に立って、国民の生命や財産、わが国の領土・領海・領空を断固として守り抜いていく決意だ」と激励したという。
そうか。首相は「先頭に立って」いるつもりだったのだ。議会であろうと街頭であろうと、彼の心の中では、勇ましいマーチをバックに、軍やら何やら彼の憧れる者たちの先頭で戦っているような気でいたのだ。内容もない良識もない歴史に学ぶことも何もあったものでもなく、平気で「戦争ごっこ」の陣頭指揮を執っている気でいるのだ。まるで子どもである。つまり今の日本は子ども国家である。と呟いたら、「子ども国家っていったら子どもに失礼ですよ!」と知人に突っ込まれた。ごもっとも。
その後、安倍首相は石垣で街頭演説を行い「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも間違いなく日本固有の領土だ。領土問題はなく、私たちは一歩たりとも譲歩する考えはない」と発言。島の人たちに「事と次第によっちゃあんたたちの島は戦場になりまっせ」と宣言したわけだ。聴く人たちは当惑したことだろう。いや、わざと言わせているのか、真面目に取り合っちゃいないのか。
中国はいつもの「広報担当」の女性が安倍発言に反論した。安倍も参院選向けのなりふり構わぬ「広報」だから、バランスはとれている。本来なら「国際問題」だと思うが。やはり相手にされていない。
どうやら安倍首相は本当にこの国を自分のおもちゃと思っているのではないか、子どもが玩具で遊んでいるうちはまだしも、仮にも彼が子どもではないという一点の理由だけで「大人」なんだとしたら、大人が自覚なくまわりを巻き込みながらおもちゃで遊びに耽るほど不気味なことはあるまい。
街頭演説といえば、報道によれば、維新の会の誰かさんが「先の大戦で日本は負けたが、民族独立、みんな平等であるという旗印のもとで戦った。その結果、アジア、アフリカの国が独立した。ワシントン、ニューヨークに色の黒い人がどんどん来て、レストランなど公の場に出るようになった。それを見ていた米国の黒人の方々が「自分たちもそういう権利がほしい」ということで公民権運動が起こり、様々な要求をした。ついに(黒人の)オバマ米大統領が誕生するということになった。まさにこのような世界になったのは、私たちの先祖のおかげなんだということに誇りを持つべきじゃないか」と言った。これはどう考えても、ものすごい差別意識とむしろさかさまの誤認に基づいた発言なのだが、当人はちっともわかっていないだろう。彼は更に続ける。「歴史を直視するということはまさにこういうこと。中国や韓国が本当に歴史を直視したらどうなるか。慰安婦の問題も南京事件もなかった、でっちあげだったんだということがよくわかる。8月15日、安倍晋三首相は靖国神社に参拝すべきだ。これ以上、中国や韓国との関係が悪化することはない。一番悪い時だから、今行けばいい。我々が先頭に立って自民党を引っ張っていく。平和ボケしてしまった日本人を覚醒させるのが私たち日本維新の会の責任だ」。どう考えてもこういう発言こそが最も鈍感さの強い「平和ボケ」の見本であろう。それにしても維新の会のテレビ広告の気持ち悪さといったら……。内容は何もない。ただ強がっているだけだ。ただ、こうした発言での、「虚偽」の宣伝は罪だ。
一日はあっという間に過ぎる。あまり眠らぬまま朝からひたすら仕事。事務的なことが溜まりすぎ。
午後は劇作家協会事務局で、震災被災支援の企画について相談してきたアメリカからのお客さんたちと。実りのあることができればいいが。
夜は早稲田大学。早稲田大学アジア研究機構、琉球・沖縄研究所共催講演「オスプレイと辺野古から見える敗戦国ニッポンの現実」。「敗戦国」という言い方は最近とんと聴かないが、この表題は悪くないと思う。この国はきちんと「敗戦」の過程を経ぬまま、六十八年も過ごしてしまったからだ。物事にきちんと落とし前をつけないできたことのツケが、今来ている。
講師は琉球新報編集局次長兼報道本部長・論説委員の松元剛さん。辺野古のフィールドワークを続ける明星大学准教授の熊本博之さん。熊本さんの「NIMBY=Not in my backyard から NIABY =Not in anyone,s backyard へ」という提起は面白い。「NIMBY」は実に嫌な響きだが、「NIABY」は耳障りもよく、なかなかさわやかでいいのだ。
松元さんは私に戯曲『普天間』の根幹となった「井戸ガマ」を紹介してくれた人だ。私を山城博治さんに紹介した人でもある。彼が持ってきた、キャンプ・ハンセン近くの宜野座の住宅街上空の、住居すれすれを移動するオスプレイの映像が紹介された。映像の音なのにすごい抑圧感だ。これはたまらない。高江も新ヘリパッドにオスプレイが来れば更にひどいことになるのだろう。松元さんは言う。「オスプレイは何年かの間に落ちるだろう」。その時になってからでは遅いのだ。
写真は、今月撮影した、高江の森。目をこらすと、北部訓練場の米軍施設が見える。
そうか。首相は「先頭に立って」いるつもりだったのだ。議会であろうと街頭であろうと、彼の心の中では、勇ましいマーチをバックに、軍やら何やら彼の憧れる者たちの先頭で戦っているような気でいたのだ。内容もない良識もない歴史に学ぶことも何もあったものでもなく、平気で「戦争ごっこ」の陣頭指揮を執っている気でいるのだ。まるで子どもである。つまり今の日本は子ども国家である。と呟いたら、「子ども国家っていったら子どもに失礼ですよ!」と知人に突っ込まれた。ごもっとも。
その後、安倍首相は石垣で街頭演説を行い「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも間違いなく日本固有の領土だ。領土問題はなく、私たちは一歩たりとも譲歩する考えはない」と発言。島の人たちに「事と次第によっちゃあんたたちの島は戦場になりまっせ」と宣言したわけだ。聴く人たちは当惑したことだろう。いや、わざと言わせているのか、真面目に取り合っちゃいないのか。
中国はいつもの「広報担当」の女性が安倍発言に反論した。安倍も参院選向けのなりふり構わぬ「広報」だから、バランスはとれている。本来なら「国際問題」だと思うが。やはり相手にされていない。
どうやら安倍首相は本当にこの国を自分のおもちゃと思っているのではないか、子どもが玩具で遊んでいるうちはまだしも、仮にも彼が子どもではないという一点の理由だけで「大人」なんだとしたら、大人が自覚なくまわりを巻き込みながらおもちゃで遊びに耽るほど不気味なことはあるまい。
街頭演説といえば、報道によれば、維新の会の誰かさんが「先の大戦で日本は負けたが、民族独立、みんな平等であるという旗印のもとで戦った。その結果、アジア、アフリカの国が独立した。ワシントン、ニューヨークに色の黒い人がどんどん来て、レストランなど公の場に出るようになった。それを見ていた米国の黒人の方々が「自分たちもそういう権利がほしい」ということで公民権運動が起こり、様々な要求をした。ついに(黒人の)オバマ米大統領が誕生するということになった。まさにこのような世界になったのは、私たちの先祖のおかげなんだということに誇りを持つべきじゃないか」と言った。これはどう考えても、ものすごい差別意識とむしろさかさまの誤認に基づいた発言なのだが、当人はちっともわかっていないだろう。彼は更に続ける。「歴史を直視するということはまさにこういうこと。中国や韓国が本当に歴史を直視したらどうなるか。慰安婦の問題も南京事件もなかった、でっちあげだったんだということがよくわかる。8月15日、安倍晋三首相は靖国神社に参拝すべきだ。これ以上、中国や韓国との関係が悪化することはない。一番悪い時だから、今行けばいい。我々が先頭に立って自民党を引っ張っていく。平和ボケしてしまった日本人を覚醒させるのが私たち日本維新の会の責任だ」。どう考えてもこういう発言こそが最も鈍感さの強い「平和ボケ」の見本であろう。それにしても維新の会のテレビ広告の気持ち悪さといったら……。内容は何もない。ただ強がっているだけだ。ただ、こうした発言での、「虚偽」の宣伝は罪だ。
一日はあっという間に過ぎる。あまり眠らぬまま朝からひたすら仕事。事務的なことが溜まりすぎ。
午後は劇作家協会事務局で、震災被災支援の企画について相談してきたアメリカからのお客さんたちと。実りのあることができればいいが。
夜は早稲田大学。早稲田大学アジア研究機構、琉球・沖縄研究所共催講演「オスプレイと辺野古から見える敗戦国ニッポンの現実」。「敗戦国」という言い方は最近とんと聴かないが、この表題は悪くないと思う。この国はきちんと「敗戦」の過程を経ぬまま、六十八年も過ごしてしまったからだ。物事にきちんと落とし前をつけないできたことのツケが、今来ている。
講師は琉球新報編集局次長兼報道本部長・論説委員の松元剛さん。辺野古のフィールドワークを続ける明星大学准教授の熊本博之さん。熊本さんの「NIMBY=Not in my backyard から NIABY =Not in anyone,s backyard へ」という提起は面白い。「NIMBY」は実に嫌な響きだが、「NIABY」は耳障りもよく、なかなかさわやかでいいのだ。
松元さんは私に戯曲『普天間』の根幹となった「井戸ガマ」を紹介してくれた人だ。私を山城博治さんに紹介した人でもある。彼が持ってきた、キャンプ・ハンセン近くの宜野座の住宅街上空の、住居すれすれを移動するオスプレイの映像が紹介された。映像の音なのにすごい抑圧感だ。これはたまらない。高江も新ヘリパッドにオスプレイが来れば更にひどいことになるのだろう。松元さんは言う。「オスプレイは何年かの間に落ちるだろう」。その時になってからでは遅いのだ。
写真は、今月撮影した、高江の森。目をこらすと、北部訓練場の米軍施設が見える。