この国の総理大臣安倍晋三は、ついに北朝鮮からも軍国主義熱に浮かされた「ファシスト狂人ヒットラー」に例えられ、酷評を受けた。
そして、例えば、「ザ・ガーディアン」紙は、NHKの二人の委員、百田、長谷川の暴言を見逃さなかった。ところが日本政府は、天皇主義者の「報道へのテロ」を賛美し、南京大虐殺をなかったと言いつのり、従軍慰安婦(性奴隷と訳されていることを忘れるな)はどこの国でもいたとしている。政教分離が果たせていない、歴史の事実に向き合わない、そういう連中を「認める」としてしまったのだ。
もちろん安倍首相も同じ考え方だからだ。
イギリス政府は、海外旅行者のための各国の安全状況を知らせるページの中で、日本を訪れる旅行者に向けて「外国人排斥を掲げたデモ」への注意を呼び掛けている。
「日本はしっかりした民主主義のある国ですが、暴動や過激なデモ活動がたまにあります」「ときどき、極右勢力による外国に対してヘイトをむき出しにしたデモが頻発しています」「身の安全を確保するための情報を逐一入手し、デモに気づいたらただちにその場所を離れてください」、とある。
いったいどんな国だと思われているのだ。
この数日間での世界への「壊れてしまった国・ニッポン」の浸透度は、おそろしいものがある。
逆に、これがこの国にとって最悪の「非常事態」に繋がっていることは、国内には浸透していない。
日本の報道機関はこの国の現在の国際的孤立について、きちんと紹介できているといえるだろうか。
そしてこの国の社会は、そこに生きる者たちは、この恐るべき右傾化に対して、厳しく批判する良識を失ってしまってはいないか。
それは「黙認」ということだ。
「南京大虐殺はなかった」という発言に対し官房長官が「個人的な演説は放送法に違反しない」というのは、「個人的意見としてはあり得る」と言っているわけで、「この国ではその考え方も一つの選択肢としてあり得る、だから彼は免職されない」ということであり、国際社会で「南京大虐殺はなかった」と考えている国は他にないはずなので、この国がそのことの証明をする必要がある。
ティム・ヒッチンズ駐日英国大使が「過去の過ちを挽回する最善の方法は、犯した過ちを認め、より良い未来を積極的に築くことだ」というのは、基本的にこれまでも日本社会が「常識」としようとしてきたはずのことであり、「過去の過ちを認め、繰り返さないことを約束する」こと、それが国際社会から信用されることによって初めて、過去の過ちを挽回する道が見つかるはずだった。過去の人たちはそこに向けて努力してきていた。
だが、それが覆されている。
「犯した過ちを認め」をスルーしてどんな綺麗ごとを言っても駄目だ。
過去のことを誤魔かす者は現在のことも誤魔かす。
NHK籾井勝人会長は五日午前の参院予算委員会に参考人として出席、東京都知事選が終わるまでは原発問題に触れないよう出演者たちに要請していたことを明白にした。
NHKのFM番組にレギュラー出演中の音楽評論家ピーター・バラカン氏は先月下旬、都知事選が終わるまで原発の問題に触れないよう複数の放送局から求められていたと表明していた。
籾井会長は「放送法は政治的に公平であること、意見が対立している問題にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。都知事選では原発問題が争点の一つとなっており、期間中の番組はより公平性を期する必要性があり、いろいろ検討した結果、出演が取りやめられた」と言う。NHKラジオ第一放送で先月末、経済学の観点から脱原発について語ろうとした中北徹東洋大教授に発言をやめるよう求めたことについても「選挙期間中でもあり、テーマの変更を求めた」と認めた。
呆れるしかない。そんな理屈が通るなら、何ごとも発言できなくなる。
この世の物事に、国政・地域政治とまったく無関係なものなどありはしない。ルールとして成立していない。
何を禁止するかの尺度に、恣意的な政治判断が持ち込まれている。
「脱原発」の表現が駄目、という立場が罷り通り、原発推進以外の立場が存在しないようにされてしまう。その気運を公共放送が推進している。
表現の自由はどうなる。そして国民・都民の「知る権利」は?
これがこのまますまされるようでは、憲法違反である。特定秘密保護法以前に、システムの側が厚顔無恥にも「保守の強制力」を隠していないのだ。
そう思っていた矢先の百田、長谷川の連続暴言である。
民主的な社会なら、彼らはNHKの役職どころか社会的地位を失うはずである。
この国は彼らにお墨付きを与え、その意見が国家の意見と同じだと思われている。
結果、日本は孤立を深めている。
愚かな安倍、自民党を中心とした右寄り一派のせいである。もちろんそうだ。
予算委員会での安倍は、自分に都合の悪いことは知らぬ存ぜぬ、あるいはただ言わせておいて無視、でしかない。
話し合いになっていない。
一方この国のマスコミは、きちんと海外の声も国内と同等に紹介し、日本がいかに異常な思想に染められようとしているかを批評的に見ることができるように、つまり、世界の良識・常識に沿うこともできるように、報道できているだろうか。
黒い物も白いと言っていれば白くなる、と言わんばかりに、ここまで歴史をねじ曲げ、憲法の精神も民主主義の基本も踏みにじった喧伝を、あたかもそれも一つの言説として通用しているかのように、垂れ流していないか。
今まさに、若い世代、子どもたちが洗脳されようとしているのだ。家庭の親たちや、教員たちは、きちんと今の異常事態に対峙し、子どもたちが狂気の軍事国家思想に侵されぬよう、指導できているだろうか。
できているはずがない。
長いものに巻かれてきた。目先のことばかりに囚われてきたのだ。誰かが民主主義の基本的なことを言えば勝手に「左翼」のレッテルを張られてしまうのが、現実だ。
この二十年余の、否、「戦後」のツケが回ってきたのだ。
「脱原発」は大事だ。それは認める。
しかし今、この国のアイデンティティが、こんなにもわかりやすく失われ、その指針が明らかに誤っているとき、なぜ「命が大事」とだけ言って、他の要素を見なくてもいいとでもいうような言説が出てくるのだ。
安倍からすれば、片側ではしっかり不都合を隠蔽しておきながら、「脱原発に気を取られてくれていて、ありがとう」だろう。
一部の人が言う「今が戦時」という感覚は間違っていない。
だが仮に「脱原発」候補が都知事選に通ったということで、ただそれだけで、はたして安倍自民党に対して圧倒的なダメージを与えられるのか?
「原発の危険性はわかっています、だから私なりに考えています」と、かわされるだけだ。
今の厚顔無恥ぶりを見ていればよくわかる。
「脱原発」一本に絞った候補が負けたら?
安倍政権は「原発推進のお墨付きをいただきました」と言いつのるだろう。
もちろん「脱原発」どうしがいがみ合うことには、何のメリットもない。
ただ、本当に、「非常事態だから」と言い、本来は認めていないはずの保守の力を借りてまで、と言ってきた人たちは、自分の後ろを振り返ってみればいい。
「子どもたちが洗脳されてゆく社会」は、原発同様に危険だ。
人が死ぬのは放射能のせいだけではない。
軍国主義化の趨勢に巻き込まれかけている子どもたちに対しても、「命が大事」と思うことを、そのことが浸透しづらくなっていることを、忘れてはならない。
「民主主義の正当性」をあらゆる方向性で知らしめる以外に、より良い勝ち方があるはずがない。
力の論理でなく、平和と平等、自由と解放を守る人たちが勝ち得た方が、結局は「脱原発」も早い。
この国は完全に「まともな国」と見られなくなっている。
万が一偶発的な衝突があったとして、国際的な審判から見れば、「軍国化」を進めるこの国に分はないだろう。むしろこの国の中枢部はそれを狙っているかのように見える。あまりにも異常だ。
「軍国化阻止」の方法は何か。
生活の場では、まずは、周囲に流されないこと、個人の尊厳を大切にすることだ。
そして、例えば、「ザ・ガーディアン」紙は、NHKの二人の委員、百田、長谷川の暴言を見逃さなかった。ところが日本政府は、天皇主義者の「報道へのテロ」を賛美し、南京大虐殺をなかったと言いつのり、従軍慰安婦(性奴隷と訳されていることを忘れるな)はどこの国でもいたとしている。政教分離が果たせていない、歴史の事実に向き合わない、そういう連中を「認める」としてしまったのだ。
もちろん安倍首相も同じ考え方だからだ。
イギリス政府は、海外旅行者のための各国の安全状況を知らせるページの中で、日本を訪れる旅行者に向けて「外国人排斥を掲げたデモ」への注意を呼び掛けている。
「日本はしっかりした民主主義のある国ですが、暴動や過激なデモ活動がたまにあります」「ときどき、極右勢力による外国に対してヘイトをむき出しにしたデモが頻発しています」「身の安全を確保するための情報を逐一入手し、デモに気づいたらただちにその場所を離れてください」、とある。
いったいどんな国だと思われているのだ。
この数日間での世界への「壊れてしまった国・ニッポン」の浸透度は、おそろしいものがある。
逆に、これがこの国にとって最悪の「非常事態」に繋がっていることは、国内には浸透していない。
日本の報道機関はこの国の現在の国際的孤立について、きちんと紹介できているといえるだろうか。
そしてこの国の社会は、そこに生きる者たちは、この恐るべき右傾化に対して、厳しく批判する良識を失ってしまってはいないか。
それは「黙認」ということだ。
「南京大虐殺はなかった」という発言に対し官房長官が「個人的な演説は放送法に違反しない」というのは、「個人的意見としてはあり得る」と言っているわけで、「この国ではその考え方も一つの選択肢としてあり得る、だから彼は免職されない」ということであり、国際社会で「南京大虐殺はなかった」と考えている国は他にないはずなので、この国がそのことの証明をする必要がある。
ティム・ヒッチンズ駐日英国大使が「過去の過ちを挽回する最善の方法は、犯した過ちを認め、より良い未来を積極的に築くことだ」というのは、基本的にこれまでも日本社会が「常識」としようとしてきたはずのことであり、「過去の過ちを認め、繰り返さないことを約束する」こと、それが国際社会から信用されることによって初めて、過去の過ちを挽回する道が見つかるはずだった。過去の人たちはそこに向けて努力してきていた。
だが、それが覆されている。
「犯した過ちを認め」をスルーしてどんな綺麗ごとを言っても駄目だ。
過去のことを誤魔かす者は現在のことも誤魔かす。
NHK籾井勝人会長は五日午前の参院予算委員会に参考人として出席、東京都知事選が終わるまでは原発問題に触れないよう出演者たちに要請していたことを明白にした。
NHKのFM番組にレギュラー出演中の音楽評論家ピーター・バラカン氏は先月下旬、都知事選が終わるまで原発の問題に触れないよう複数の放送局から求められていたと表明していた。
籾井会長は「放送法は政治的に公平であること、意見が対立している問題にはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることを定めている。都知事選では原発問題が争点の一つとなっており、期間中の番組はより公平性を期する必要性があり、いろいろ検討した結果、出演が取りやめられた」と言う。NHKラジオ第一放送で先月末、経済学の観点から脱原発について語ろうとした中北徹東洋大教授に発言をやめるよう求めたことについても「選挙期間中でもあり、テーマの変更を求めた」と認めた。
呆れるしかない。そんな理屈が通るなら、何ごとも発言できなくなる。
この世の物事に、国政・地域政治とまったく無関係なものなどありはしない。ルールとして成立していない。
何を禁止するかの尺度に、恣意的な政治判断が持ち込まれている。
「脱原発」の表現が駄目、という立場が罷り通り、原発推進以外の立場が存在しないようにされてしまう。その気運を公共放送が推進している。
表現の自由はどうなる。そして国民・都民の「知る権利」は?
これがこのまますまされるようでは、憲法違反である。特定秘密保護法以前に、システムの側が厚顔無恥にも「保守の強制力」を隠していないのだ。
そう思っていた矢先の百田、長谷川の連続暴言である。
民主的な社会なら、彼らはNHKの役職どころか社会的地位を失うはずである。
この国は彼らにお墨付きを与え、その意見が国家の意見と同じだと思われている。
結果、日本は孤立を深めている。
愚かな安倍、自民党を中心とした右寄り一派のせいである。もちろんそうだ。
予算委員会での安倍は、自分に都合の悪いことは知らぬ存ぜぬ、あるいはただ言わせておいて無視、でしかない。
話し合いになっていない。
一方この国のマスコミは、きちんと海外の声も国内と同等に紹介し、日本がいかに異常な思想に染められようとしているかを批評的に見ることができるように、つまり、世界の良識・常識に沿うこともできるように、報道できているだろうか。
黒い物も白いと言っていれば白くなる、と言わんばかりに、ここまで歴史をねじ曲げ、憲法の精神も民主主義の基本も踏みにじった喧伝を、あたかもそれも一つの言説として通用しているかのように、垂れ流していないか。
今まさに、若い世代、子どもたちが洗脳されようとしているのだ。家庭の親たちや、教員たちは、きちんと今の異常事態に対峙し、子どもたちが狂気の軍事国家思想に侵されぬよう、指導できているだろうか。
できているはずがない。
長いものに巻かれてきた。目先のことばかりに囚われてきたのだ。誰かが民主主義の基本的なことを言えば勝手に「左翼」のレッテルを張られてしまうのが、現実だ。
この二十年余の、否、「戦後」のツケが回ってきたのだ。
「脱原発」は大事だ。それは認める。
しかし今、この国のアイデンティティが、こんなにもわかりやすく失われ、その指針が明らかに誤っているとき、なぜ「命が大事」とだけ言って、他の要素を見なくてもいいとでもいうような言説が出てくるのだ。
安倍からすれば、片側ではしっかり不都合を隠蔽しておきながら、「脱原発に気を取られてくれていて、ありがとう」だろう。
一部の人が言う「今が戦時」という感覚は間違っていない。
だが仮に「脱原発」候補が都知事選に通ったということで、ただそれだけで、はたして安倍自民党に対して圧倒的なダメージを与えられるのか?
「原発の危険性はわかっています、だから私なりに考えています」と、かわされるだけだ。
今の厚顔無恥ぶりを見ていればよくわかる。
「脱原発」一本に絞った候補が負けたら?
安倍政権は「原発推進のお墨付きをいただきました」と言いつのるだろう。
もちろん「脱原発」どうしがいがみ合うことには、何のメリットもない。
ただ、本当に、「非常事態だから」と言い、本来は認めていないはずの保守の力を借りてまで、と言ってきた人たちは、自分の後ろを振り返ってみればいい。
「子どもたちが洗脳されてゆく社会」は、原発同様に危険だ。
人が死ぬのは放射能のせいだけではない。
軍国主義化の趨勢に巻き込まれかけている子どもたちに対しても、「命が大事」と思うことを、そのことが浸透しづらくなっていることを、忘れてはならない。
「民主主義の正当性」をあらゆる方向性で知らしめる以外に、より良い勝ち方があるはずがない。
力の論理でなく、平和と平等、自由と解放を守る人たちが勝ち得た方が、結局は「脱原発」も早い。
この国は完全に「まともな国」と見られなくなっている。
万が一偶発的な衝突があったとして、国際的な審判から見れば、「軍国化」を進めるこの国に分はないだろう。むしろこの国の中枢部はそれを狙っているかのように見える。あまりにも異常だ。
「軍国化阻止」の方法は何か。
生活の場では、まずは、周囲に流されないこと、個人の尊厳を大切にすることだ。