Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

ウクライナの悲劇

2014-02-22 | Weblog
ウクライナの惨状。停戦合意にもかかわらず反政権派のデモ隊が制圧された。デモ側の医療関係者によれば、政権側の狙撃手が建物の屋上からデモ隊を狙い撃ちしたという。
ウクライナがEUに取り込まれることを警戒し傘下に置きたいロシアの影響下にある権力側と、エネルギー供給や財政補助などの手段を持つロシアの恫喝・支配から脱したい自由を求める人たちとが衝突している、とされている。
EUに属することの是非はそれぞれの国が決めればいいことだ。その問題ではない。
起きていることは、国家による民間への弾圧であり、民主主義の封じ込めだ。反体制側には海外からの支援があるようだが、あくまで民間支援だ。国家が自国民を威力で支配しようとしているのだ。
八十人近い民間の人たちが国家の治安部隊によって殺された。この悲惨は、民主主義が果たされていない、例えば選挙に不正がまかり通りきちんと行われないこと、あらゆる面で権力側の独断が通されること等から、起きた。
この、国家による民間人への不当な武力攻撃に対し、世界が求めているのは、「片側の勢力に組みすること」などではなく、「民主主義が果たされること」であり、「民主主義に背き弾圧した者」への正当な処罰・制裁である。「民主主義」が問われているのだ。

日本はどうなのか。
権力を握る者が「権力のある人間だから自分に決定権がある」として、選挙前の公約を平然と破り、国民の了承を得ていないことを平然と行い、暴言を許し、傍若無人に振る舞う構造が強化されつつある。
権力者が交代するたぴに解釈が変えられたら、それは憲法ではない。
問題を起こしたくない、依存心の強い人間の多いこの国は、それを許容している。それでも何とかなると高をくくっている。民主主義を守るために多くの犠牲が出ている世界の現状に対し、恥ずべきことだ。
放射能汚染による崩壊が早いか、経済的瓦解が早いか。なんにしても直接的危機に晒されない限り鈍感に動こうとしないだろう。
それらの状況を世界が認識して、この国をどう扱うか本気で考え始めている。それがこの国にとってどうなのかは、もちろん「自己責任」ということの上でだ。
「民主主義」が問われているのは、世界であり、自分たちでもあるのだということを、他国の出来事から読み取り。学ぶことができないのか。

ウクライナには昨年、十日間滞在した。はざまにある国。演劇祭ではキエフも含めた国内の演劇人たちと交流した。一刻も早く平和が戻り人々が民主主義の恩恵を手にすることができるよう切に願う。

自分の現場でにっちもさっちも動けない中、午前から劇作家協会事務所にいた日。健気に平静を装い会議する私と中津留章仁くん。
なんとか突破する。
コメント
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