Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

バウスシアター閉館の報

2014-02-13 | Weblog
吉祥寺バウスシアターが5月末をもって閉館するという。
正確な理由は公表されていないが、お客が入っていなかったからということではないはずだ。
1984年3月にオープン。30年の歴史に幕を閉じる。
初めからミニシアターを併設していて、都心で公開された小品や当たらなかったが評価の高かった映画を上映してくれた。
ここでやってくれたから見逃さなかった映画が多々ある。
最近で思い出深いのは『ドッグヴィル』だ。
もうだいぶ前だが、昔はレンタルの「アコム」だった隣のテナントを借りて映画館をひとつ増やしたのにも驚いた。そんなことができるのだと感心した。これで3スクリーンになった。
劇場を作ったH社長は演劇に理解のある人だった。オープン当初から「パパ・タラフマラ」がまだ「タラフマラ劇場」を名乗っていた頃に、相当な支援をしていたのは有名な話だ。私が初めて小池博史作品に触れたのはこの劇場だ。オーケストラ付きだったので劇場自体がばかばかしいほど大きく見えた。
最前列に「カップルシート」があった。間に手摺りのない二連席である。最前列だった。確か伊丹十三監督の映画でも撮影に使われていた。『タンポポ』だったか。
劇場のミニコミも作っていた。
演劇に理解があるというのは、本当に徹底していて、屋上に演劇の時に便利なプレハブの楽屋を立ててくれていた。
H社長兄弟は、私が屋上で野外劇をやりたいという要望を聞いてくれた。
『オルレアンのうわさ』という劇である。1984年9月。
そのレンタルの「アコム」だったところの上の屋上に客席とオペルームを作った。イントレを立てて照明を吊った。
劇場の更に奥の高い層を使い、ラストシーンは少女が真っ赤な傘を持ってそこに立った。
商店街に近い小さい棟の上も使わせてもらった。この上で最初メガホンで台詞を言うのが町内会長役で出演しこの作品が舞台デビューだった猪熊恒和である。当時二十五歳。
商店街から観客以外の人も見上げていた。「空中野外劇」と名乗った。
件の楽屋は廃材とトタンで囲って掘っ立て小屋に見えるようにした。
原発の島を舞台にした劇で、私は原発作業員の役だった。
雨が降って一日巡演になった。
本番中に来年一緒に仕事をしようと約束していた舞台美術家の手塚俊一さんが亡くなった。お通夜にも行けなかった。
社長にお世話になったことはもう一つある。そんな秘密にすることではないけれど、時効だろう。稽古場不足に悩む小劇場の私たちに、親しかったらしい某政党の選挙事務所(選挙期間以外は空っぽだ)に話を付け、1時間五百円で提供してくれたのだ。どれだけ助かったことか。

「公共」の充実は、いい。しかし官製の「公共」だけではなく、「民間の人間がする仕事の公共度の高さ」を、ゆめゆめ忘れてほしくない。金と知名度、コネ人脈におもね、官の気まぐれに踊らされていては駄目だ。このままでは多くのものを失ってしまうと思う。

http://www.bakuon-bb.net/
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首相の傲慢は許せない

2014-02-13 | Weblog
報道によれば、安倍晋三首相は十二日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり「(政府の)最高責任者は私だ。選挙で国民から審判を受けるのは(内閣)法制局長官ではない。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べたという。
憲法はそもそも政治に対して優越するものであり、政府は内閣法制局と確認を重ねてようやく「解釈」の微妙な変更を認めてきた歴史がある。
首相が勝手に解釈改憲を進めることなどできないのだ。
慎重論が強い公明党から入閣している太田昭宏国土交通相は「(集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている政府の有識者懇談会の)報告が出た後、与党間で、また国会の中で論議を深めていくことが重要だ」「これまで政府見解として『認められない』という答弁が出ているのは事実」と、拙速は避けるべきだとの認識を強調した。
しかし首相は「(内閣法制局の議論の)今までの積み上げのままでいくのであれば、安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会をつくる必要はない」という。
集団的自衛権の行使については、過去のどの政権も、戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法九条から「許容された必要最小限の範囲を超える」と解釈されることを尊重し、一貫して禁じてきた。
選挙で選ばれたのは自分だからとする首相の発言は、憲法を普通の政策と同じようにとらえようとするもので、あまりにも憲法を過小評価しているわけで、この独断は目に余る。断じて許してはならない。
マスコミの扱いも小さすぎる。
もっと「あり得ない発言」であることをとことん示すべきだ。

そして経団連が武器輸出拡大を提言している。なぜ経済団体が「武器輸出」を、と違和感を感じない世の中になったのだろうか。
長いものには巻かれろ、金になるならなりふり構うな、声の大きいやつが正しい、というわけだ。

都知事選でも思ったが、確かに説明が足りないのかもしれない。
同じ情報でも昔の人間の常識なら敏感に反応できただろうとも思う。
ただ、情報が隠されていること、扱いを小さくすることが問題点を小さく見せているという現実は、ある。
報道側の、自粛なのか、まさか、確信を持ちにくいのか。
これに秘密保護法案の施行が加わったとき、どんな世の中になるのか。

コメント (1)
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