「維新派」の松本雄吉さんが亡くなられた。今年になってから、お悪いということは聞いていた。
燐光群が京都大学西部講堂で初めて上演したのは1987年だが、「維新派(当時は「日本維新派」)」が西部講堂前でいろいろやった痕跡は残っていて、ご本人との直接の面識を得る前に、空間を通しての出会い、というのが最初の記憶だ。
それほど多くの接点があったわけではないが、お会いすると必ずお話はした。松本さんが新国立劇場で初めて上演した頃にも、いろいろ意見を聞かれた。屋内の劇場、国立の施設でやるということが、落ち着かなかったのだろうと思う。
犬島は私の実家の牛窓にも近いのであるが、維新派がそこで壮大な野外劇の公演をやるようにならなければ私も足を向けることがあったかどうか、わからない。
後に自分も犬島で野外劇を上演したが、松本さんに私がどこを上演会場に選んだか訊かれ、じつは松本さんも上演会場候補に挙げたことのあるという石切場近くの浜ですよ、と答えたら、おお、あそこでやるのか、という反応だった。
少なくとも私にとって、犬島は、松本さんあっての犬島、であった。松本さんの公演を観に行って、船で帰らなければならない観客がいると、いちいち見送りに来られる習慣だったようだ。優しい人だった。
そして、やはり野外がお好きだったのだと思う。
池袋のデパートの屋上で公演したときは、ちょっと照れくさそうだった。
小堀純さんに言われて、精華小劇場の存続のために、松本さんと集まったりもした。
小堀純さんは亡くなられる前日にお見舞いに行かれていたようだ。岡山での松本さんの上演になくてはならぬ人であるアートファームの大森さんと、電話で話した。今年は犬島で、松本さんと組んでいた音楽の内橋さんのコンサートがあるようだが、また松本さんの野外劇を犬島で観たい。しかし「維新派」の作品は再演するというようなことに馴染まない気がするから、きっと難しいだろう。
松本さんの69歳という年齢が、どうにもリアリティがない。年齢を感じさせない人だった。
そしてやはり、作品のすごさ、明確にそこにある個性、それを忘れてはならない。
ご冥福をお祈りする。
今年は訃報が多く、また、今取り組んでいる新作の内容のせいでもあるのだろうか、松本さんのことを知る以前に、ここ数日、亡くなった人のことばかり考えていた。
そういうことも踏まえていえば、今抱えている新作は、自分も五十を超えなければやらないはずの劇である。
演劇は若い人のもので、青春を追いかけるようなものだ、そう考える向きも多いと思う。
だが、世阿弥のいう「時分の花」の、さらに先に入っていくことを、もう少しは長く生きる以上、私たちは知らなければならない。
そういうおそろしい、しかし、こうなってしまわないと見えなかった、おもしろいはずの領域に、着実に入っている。
まわりがそう理解するかどうかの問題でさえない。前人未踏の場所にいることは、確実だ。
写真は文と関係ないのだが、沖縄にて、5月。ツートンカラーの、不思議な、夢のような、葉々。
現実と夢の境目がないことを知らないと、本当のその違いもわからないし、先には行けやしないのだ。
燐光群が京都大学西部講堂で初めて上演したのは1987年だが、「維新派(当時は「日本維新派」)」が西部講堂前でいろいろやった痕跡は残っていて、ご本人との直接の面識を得る前に、空間を通しての出会い、というのが最初の記憶だ。
それほど多くの接点があったわけではないが、お会いすると必ずお話はした。松本さんが新国立劇場で初めて上演した頃にも、いろいろ意見を聞かれた。屋内の劇場、国立の施設でやるということが、落ち着かなかったのだろうと思う。
犬島は私の実家の牛窓にも近いのであるが、維新派がそこで壮大な野外劇の公演をやるようにならなければ私も足を向けることがあったかどうか、わからない。
後に自分も犬島で野外劇を上演したが、松本さんに私がどこを上演会場に選んだか訊かれ、じつは松本さんも上演会場候補に挙げたことのあるという石切場近くの浜ですよ、と答えたら、おお、あそこでやるのか、という反応だった。
少なくとも私にとって、犬島は、松本さんあっての犬島、であった。松本さんの公演を観に行って、船で帰らなければならない観客がいると、いちいち見送りに来られる習慣だったようだ。優しい人だった。
そして、やはり野外がお好きだったのだと思う。
池袋のデパートの屋上で公演したときは、ちょっと照れくさそうだった。
小堀純さんに言われて、精華小劇場の存続のために、松本さんと集まったりもした。
小堀純さんは亡くなられる前日にお見舞いに行かれていたようだ。岡山での松本さんの上演になくてはならぬ人であるアートファームの大森さんと、電話で話した。今年は犬島で、松本さんと組んでいた音楽の内橋さんのコンサートがあるようだが、また松本さんの野外劇を犬島で観たい。しかし「維新派」の作品は再演するというようなことに馴染まない気がするから、きっと難しいだろう。
松本さんの69歳という年齢が、どうにもリアリティがない。年齢を感じさせない人だった。
そしてやはり、作品のすごさ、明確にそこにある個性、それを忘れてはならない。
ご冥福をお祈りする。
今年は訃報が多く、また、今取り組んでいる新作の内容のせいでもあるのだろうか、松本さんのことを知る以前に、ここ数日、亡くなった人のことばかり考えていた。
そういうことも踏まえていえば、今抱えている新作は、自分も五十を超えなければやらないはずの劇である。
演劇は若い人のもので、青春を追いかけるようなものだ、そう考える向きも多いと思う。
だが、世阿弥のいう「時分の花」の、さらに先に入っていくことを、もう少しは長く生きる以上、私たちは知らなければならない。
そういうおそろしい、しかし、こうなってしまわないと見えなかった、おもしろいはずの領域に、着実に入っている。
まわりがそう理解するかどうかの問題でさえない。前人未踏の場所にいることは、確実だ。
写真は文と関係ないのだが、沖縄にて、5月。ツートンカラーの、不思議な、夢のような、葉々。
現実と夢の境目がないことを知らないと、本当のその違いもわからないし、先には行けやしないのだ。