唐十郎さんの告別式には行けなかった。
稽古もあり、他にも演劇の仕事があり、演劇のことだから唐さんも許してくださるだろうと勝手に思うことにさせていただいた。
御冥福をお祈りします。
私が『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』で岸田國士戯曲賞をいただいたときの審査員の一人が唐十郎さんで、1991年のその日、授賞を決めた審査会が終わった直後に唐さんが言い出して一部の審査員たちがタクシーを飛ばして、私が『カムアウト』の再演の稽古をしている稽古場のある阿佐ヶ谷にやって来た。阿佐ヶ谷の、某新劇団の、小さな稽古場で、実は唐さんたちもそこを借りて稽古していたことがあるということだった。タクシーでいらしたのは、唐さんと、佐藤信さん、八木柊一郞さん、白水社の梅本聡さん。ご一緒に居酒屋に行くことになった。これを書いたのがどんなやつか顔を見たかったのだという。「こんなヒゲ青年とは思わなかった」と言われた。「サカモトという登場人物がわからない」と言われ、そのわからなさに意味があるという話にもなった。この役は初演では私が演じたのだった。唐さんにお目にかかるのはもう何度目かだったが、もちろんご本人は以前のことは忘れている。その二年前の岸田戯曲賞審査のときに唐さんが読んでくれた拙作『トーキョー裁判』のことを「久々のルサンチマン復活」と言ってくれたのであるが、確かに唐十郎戯曲の登場人物たちはみんなルサンチマンを抱えていたのだとあらためて思う。もちろん私は計り知れないほどの影響を受けている。こころから感謝しています。
写真は、新宿御苑。
唐さんがお亡くなりになった五月四日の新宿御苑だ。
たまたまその日に新宿御苑にいたのだ。
やはり唐十郎さんは、新宿の人だと思う。
状況劇場は阿佐ヶ谷にあったのだが⋯⋯。