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「東アジア反日武装戦線の50年を考える連続講座」で、「『反日』をいかに表現するか」というお題をいただいて、お話した。
主催は、東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議。
私がこの講座に呼ばれたのは、かつて「東アジア反日武装戦線」を背景にした『火の起源』を青年座に書き下ろしたからだが。
連続講座じたいは、既に始まっていて、上野千鶴子さんの「国家権力・対抗暴力とジェンダー」、白井聡さんの「『幻の本土決戦』と戦後日本」など、興味深い内容だったようだ。
「桐島聡発見とその死」は、その題材で既に映画も二本作られている。
この連続講座の開催も、その死を無駄にはしたくないということである。
講座じたいは、おかげさまで好評だったようだ。
しかし「五十年」という単位を意識する事柄がここ最近、多く、考えさせられる。
会場は日本キリスト教会館だったが、私は、1989年3月「大喪の礼」の日、この施設の「早稲田奉仕園」で、「反自粛イベント」を、平井玄さんと共に「東京CRY-DAY」として、主催したのである。
そちらも、「三十六年前」ではないか。
なんてことだ。
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