赤坂真理さんの新刊『安全に狂う方法』を読んだ。
版元は医学書院。シリーズ「ケアをひらく」の最新刊ということになる。
「アディクション=依存症」が中心の課題である。
何かに《固着》する、《依存》する感情と向き合う書。
著者がセラピストに、「あなたには、安全に狂う必要が、あります」と言われたことがタイトルの由来であるという。
以下、印象的なフレーズが幾つもある。
アディクションとは、「主体性を発揮したくてもできない状態」のことだという。
アディクションは「セルフ緩和ケア」でもある。
最もよくあり、逃れにくいアディクションが、「思考」であると思う。
言語とは、簡単な操作で前の言葉を否定できる。なにせ否定形を持つ表現形態は言語だけだ。言葉がうまい人にこそ、言葉は効かない。
愛はただ起きる。起きないなら起きない。
といった言葉たちが、記憶に残る。
「苦界浄土」の件りも説得力がある。
あらためて、「言葉にすることの難しさ」を感じる。それに挑むことのたいへんさも。
私は最近、「事実ではないこと」に抗弁することで、その「事実ではないこと」が誤った事実として肥大してゆくというような事象が耐え難く、「言葉にする」よりも沈黙を選んでいることが多いような気がしている。
『安全に狂う方法』は、「言葉にする勇気」ということでもあるのかもしれない。
読み終えた旨を赤坂さんに伝えたら、なんとその日に「生きるための演劇性」というテーマでトークするということで、「今日の今日ですが、ご参加いただけると嬉しいです」ということだったので、たまたま行ける時間だったため、下北沢BonusTrackの本屋B&Bに顔を出す。
トークを聞いていて、「シームレス」「ナラティブ」という、私がふだん使わない言葉が、ようやく理屈として守備範囲に入った。
赤坂さんも観てくれた燐光群最新作『地の塩、海の根』が、まさに「シームレス」「ナラティブ」という概念にあてはまるからで、トーク後もいろいろとお話した。
私は演劇は「役を演ずる」「他者になる」ではなく、より「リアル」「真実」であることが求められる、という話をした。