Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

劇場での稽古

2012-11-15 | Weblog
『星の息子』、劇場での稽古。こんな最中に助成金の書類提出締切。もう久しくゆっくりと寝ていない。二時間だけ寝る、と言って寝て、ほんとに起きられてしまうのが異常。それを老人化だという人もいる。どうなのか。……衆院選挙だそうだ。呆れもしない。現在の「緩さ」の中では、重大事でさえないのだろう。言葉もない。党首討論での安倍の「いいんですね」の声が妙にリアルなのでそこだけ聞けば「いいんですね解散」と言われるのかもしれない。どうでもいいが。
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場当たり

2012-11-14 | Weblog
『星の息子』、午前中から午後二時まで明かり作り(照明デザイン)。それから場当たり。半分以上は当たった。浮き世のことは知らず、ただただ演劇の日。スタッフ・キャスト総員で作っていくペース。何がいいとか悪いとか今更言うまでもなく、ただ当たり前に然るべき所に着地させていく集中力。……写真は劇中にも触れられる沖縄・高江、ヘリパットに通じる道。オスプレイ配備に反対する住民の会が建てているN4テントの、すぐ裏だ。……今回の上演、配券手続きのトラブルで、初日(16日)の売れ行きが悪い。可能な方はぜひ初日においで下さい。
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劇場入り

2012-11-13 | Weblog
『星の息子』劇場入り、舞台仕込み、位置決め等。さくさくと進む。ある意味、潔すぎる舞台づくりだ。舞台美術家じょん万次郎の仕事としては、もう少し細かいところの修正は照明が入ってからの決定になるだろう。合間に、地下三階の稽古場で若手中心の部分稽古も。……写真は渡辺美佐子、円城寺あやのお二人だが今日は仕込日なのでお二人お休みで顔を見ていない、さみしいものだ。……世間は衆院解散が本決まりの噂。石原新党は「太陽の党」だとか、あほらしい。GDP年率3.5%減、目に見える数字の何倍も早く水面下では崩壊が進んでいるはずである。小沢二審無罪、そりゃそうだろう。ストーカー殺人だのなんだの。世間はめんどうだ。……そろそろ店頭に並んだはずの「悲劇喜劇」最新号に、演劇書特集と大滝秀治さん追悼特集の文を寄せている。演劇書、私が何の本を薦めたかは、ぜひ本誌でお読みください。座・高円寺のアーカイブスから「私の選ぶ演劇書二〇冊」をチョイス、二階のカフェ・アンリ・ファーヴル展示コーナーに並べてある。私が何を選んだかも、ぜひご覧ください。まだ一七冊しか選んでいないので、追加三冊をどうするか、既に選んだ本も差し替えるかなど、考慮中。
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稽古場最後の「通し」

2012-11-12 | Weblog
『星の息子』、稽古場での最後の通し稽古。稽古場撤収、舞台に移る。地下三階の劇場から一階の座高円寺1に上がるのである。……今回のセットはやはりやぐらが主役。やぐらを見ていると、やぐらじたいは底面積がそんなに広いわけではなく、狭いところに人がいるわけで、ああ私はけっきょく『屋根裏』的な発想になるのだなあと、あらためて自分で思う。……写真は、こちらが本物の高江のタワー。7月。今は撤去されている。
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劇場にやぐらを建てる

2012-11-11 | Weblog
『星の息子』稽古場での稽古も、あと一日。今回は舞台にやぐらを組むので、俳優陣は高所の演技が多いのである。渡辺美佐子さんも円城寺あやさんもである! 舞台の高さ・広さに特徴のある座・高円寺という劇場空間を活かした舞台づくりになっているので、ぜひご期待下さい。やぐらのモデルは、沖縄・やんばる高江で、オスプレイ配備・ヘリパッド建設に反対するために七月に建てられたやぐらである。劇場にやぐらを建てると、たんにスタッフの作業用に見えてしまうものだが、今回はあくまでもセットとして登場するのである! そう見えるはずである!
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いつの間に僕たちは僕たち自身を哀れむようになったのだろう

2012-11-11 | Weblog
人間が「強い」か「弱い」かは、わからない。自分にとっても、他者にとっても。現在の人々を見て、「逃げ場のない思い」に晒されて、多くの人が自分自身を「哀れんでいる」というように、私には思われる。自分で自分を哀れむような人間は「弱い」と、昔の人間は考えただろう。しかし今は「強い」「弱い」などとは関係なく、皆が自分を哀れんでいる。「憐れむ」とも書くかもしれないが。救いようがない。哀しいことだ。
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稽古の日々

2012-11-09 | Weblog
今回は渡辺美佐子、円城寺あやという客演のお二人に支えられた公演である。とは言っても劇団公演である。劇団に新作公演を書くということは、主に劇団のメンバーに向けて書くということであり、それぞれの人を活かした設定を考えなければならない。それぞれの特徴や状態、能力に即して、あえてそれに沿うとは限らない設定にする場合も含めながら、その世界を作っていく。長い間やってきた人にとっても刷新していくことや、新たな壁にぶつかることは大切なことであり(私は決してその「壁」を作ったりはしない、主に本人が感じていることに寄り添うだけだが)、互いに支え合う中で新しい可能性を発見する用意をしなければならない。新人や新人以前の人達にも、それに応じたことをしなればならない。「当て書き」というコトバは私にはぴんと来ないが、その時々で「然るべき世界」をプロデュースしていくだけのことである。何とか一人一人が生きてほしいと思う。本来の意味での「劇団」というものが少なくなってきた時代である。若い人には劇団というものの意味がなかなかわからない人もいる。ただ、人が集まる場であることから伝えていくしかないし、私たち自身が検証していかなければならないことばかりだ。この組み方でなければできないことを、見せられるかどうか。あと一週間で本番である。本日は初めての通し稽古を予定している。

公演情報
http://rinkogun.com/

沖縄タイムスに「星の息子」についての記事が載った。ありがたい。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-11-09_41267
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「住居侵入」の許し難さ

2012-11-08 | Weblog
ひどい事件がまた起きた。読谷村で発生した米軍嘉手納基地所属の空軍兵(24)による住居侵入傷害事件である。空軍兵は2日午前1時前、酒に酔って読谷村古堅のアパート3階の一室に侵入し、テレビを壊し、この部屋に住む男子中学生を殴ったという。空軍兵は1日、数軒の飲食店でビールやウイスキーを飲み、うち現場となったアパート1階にある居酒屋を2度訪れた。別の店に行き、さらに居酒屋に戻って以降の記憶がないと話しているという。事件後、消防により容疑者であるこの空軍兵が基地内病院に搬送されたため、容疑者の身柄が米軍の手中に置かれることになった。警察は米兵がけがを負わず現場に残っていたら「現行犯逮捕も考えられた」とする。結局、身柄を求めないと判断した県警だが、一方で早々に政治家から「身柄不要」の言葉が出たことに、疑問の声も上がっている。米軍人の起訴前身柄引き渡しに関しては、1995年の米兵暴行事件をきっかけに、日米合同委員会で米側が「殺人、強姦(ごうかん)などの凶悪事件のみ、好意的考慮を払う」と日米地位協定の運用を改善することで合意している。今回県警は「凶悪犯罪」には当たらないと判断。米軍の捜査協力が得られていることや、男が取り調べに素直に応じていることから身柄を拘束せずに任意で取り調べる方針を決めたという。藤村修官房長官がの事件当日の夜、5日には沖縄防衛局の武田博史局長が「起訴前の身柄の引き渡しを米側に要請する必要はない」と明言したのは不可解だ。正確な事態の調査、事情聴取も始まっていない段階でなぜそんなことを言えるのか。結局事情聴取された空軍兵は「飲み屋に行ったことまでは覚えているが、その後は酒に酔って覚えていない」として、このまま逃れるつもりだ。今回のと事件が「凶悪犯罪」ではない、という判断が罷り通るなら、米兵は泥酔して暴力行使を行い器物を破損しても許されることになる。日本人が行ったことなら考えられないことではないか。あまりにもひどい。被害に遭った中学生の感じたであろう恐怖を思うと、ひどい処置だと思う。……戯曲『普天間』には、米兵が沖縄で住居に侵入して犯罪を行った過去のシチュエーションがある。泥酔した兵士による「住居侵入」はなかなか表沙汰にならない場合も含めて、件数は少なくないと聞いている。あらためて戦慄する。
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流言飛語を流しやすい場

2012-11-07 | Weblog
インターネット上では「米軍基地反対派に米軍の子供が髪を切られたとか米軍が車にゴミを投げつけられた」等、いろいろ嫌がらせを受けたという投稿が見受けられるという。すべて「知人から聞いた」などのまた聞きになっていて、事実とする根拠が示されたものはないという。なにがしかの事件があったとして、その犯人をどうやって反対派と特定したのかもわからない。ゲート前を通る米軍関係者を反対派の人達が取り囲んで何かすれば大騒ぎになるだろうし、そういう例はない。そういう行為をした人が反対派のTシャツやゼッケンをしていたということなのだろうか。なんにしても、顔が見えない、匿名性も可能なネット上で、そうした流言飛語の場として使われることは、これからも増えるのであろうか。
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雨らしい雨

2012-11-06 | Weblog
雨が降ってきたので自転車を置いて帰る。久しぶりに雨らしい雨が降りそうだと思う。しかし雨らしい雨とは何だろうか。この季節だと雨が運んでくる寒さは身体の芯を冷やす。……地下三階の稽古場にいて久しいが、天候の変化と縁遠い時間を長くのあいだ過ごしているわけだ。時間感覚がおかしくなるのはそのせいか。集中力が増しているともいえるのかもしれないが……。経過している時間を勘違いしたりすることと自然と隔絶されていることの関係は、ありやなしや。
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道を間違える

2012-11-05 | Weblog
高円寺から下北沢に行くのに環七をまっすぐ行けばいいのに「近道できないか」と、脇に入った。後はさんざんなものだ。まっすぐ行けば良かったのに十分余計にかかった。道のことだけでなく、どうやら自分はこういうことを繰り返しているのではないだろうかという気がした。何にしてもブレーキを直した自転車は快適だ。……以上で147字。150字ブログとしてはこの量が適正なのだが。
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フェイスブックを見る時間がなくなりつつある

2012-11-04 | Weblog
一日とか一晩携帯電話を見ずにいると、けっこうな数のメールが届いている。対応していると、あっという間に時間が経つ。仕事やヤボ用で午前中から出かけると、もう時間はない。PC上で他のことはできない。フェイスブックなどはこうして覗かなくなっていくのだろう。……座高円寺へ。先月末からは劇場下の稽古場に移っている。午後から夜、退館時間まで稽古。稽古後に音響島猛氏と打合せ。そうか、ラッパ屋も初日間近なのだな。その後自宅近くのファミレスでこれから再演ツアーされる『普天間』台本改訂最終打合せ。演出の藤井ごう氏と。家が近いので次回打合せは夜中にでも、というと、ほんとうに夜中になってしまった。もうこれ以上は手を入れないと決める。真夜中というより明け方近くに帰宅。夜が明ける前にメールは何とか見るがまたフェイスブックは諦めた。三日ぶん諦めたことになる。遡って大量の書き込みを見るモチベーションが出てこない。あるいは、こうしてある転機からこのメディアと本格的に遠ざかってゆくのかもしれない。まあ、撤退はいくらなんでも時期尚早か。最近はずいぶんフェイスブックで情報収集もさせてもらったし、私が今まで接点のない職業の未知の方からいろいろと教えてもらったケースもある。まだまだ役立てる方法はある。……フェイスブックで「友達リクエスト」を受けた時、まだこのシステムの使い方がよくわからず、方針も決めていないということもあったが、基本的には相互交流をするのは、じかに知っている方に限らせてもらっていた。健忘症ゆえメッセージをもらわないと相手が誰だか思い出せない場合も多々あり。ごく一部の未知の方とも交流し始めたが、未知の方の場合、基本データがほぼブランクだったり「~さんは一部の情報のみ公開しています。」 となっていると、誰だかわからないのでお受けできないことが多い。申し訳ないが。こちらもぼんやりしている場合があるので、メッセージをいただけると「ああ、あの時の人か」となることもあるし、「あの人からの紹介ならば」とか、「この事案について交流できるなら」という判断がつくのだが。リクエストを受けても、一日に複数以上のルーズな書き込みをしている様子の人に対しては、慎重になる。読まねばならないものを増やしたくないからだ。一日分の「友達」の書き込みの総量が半端ではないからといって、「ハイライト」というシステムは使う気にならない。情報の優先順位のような者をシステムの側が選別して提示するわけだが、それに従うのはなんだか違うという気がする。ツイッターはやらないが、こうしてフェイスブック上の繋がりを「世間」と思ってしまう感覚もあることを知ると、いいとか悪いとかではなくて、新たな電脳社会のあり方を思う。どこまでを「前提」と考えればいいかの部分が刷新されるのだ。SNSで関係の輪が広がったような「錯覚」を無防備に受け入れるのか、あらためて誰ともやりとりとしない孤独な時間を「貴重」と思うようになるのか、そういうことも気にしないくらいに、さらにさらに情報の渦に押し潰されてゆくのか。……このブログもそうだが、時間がなくたいへんな時期に、あえて「そんなにたいへんでもないよ」というポーズのために(?)、あるいは自分自身を鼓舞するために、書き込んでしまうこともあるような気もする。まったく愚かな話だ。
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だらしない「裸の王様」

2012-11-03 | Weblog
「あってはならないことが起こってしまった」としゃあしゃあと言う野田総理。おまえは何か努力をしたのか、一つでも。そして謝るべきだろう! 手をこまねいて何もしない日本政府のおかげで、どんどんひどい事態が起きているのだ。これ、あえてどの事件か特定しないでいるけど、ほとんど全ての事項に当てはまる。何もしない総理、口だけ総理である。……情報の世界で一挙手一投足が他者に晒されている人間は、「裸の王様」状態に慣れず、常に自身の言動が他者にとってどうであるかを確かめ、そのことにより客観性を獲得し、同時に誠実でいようとすることもできるはずである。「他者の目」を気にする、というコトバはふだんいい意味で使われないが、想像力の中で、その人自身の行動を律するものにもできる。こうした「トップ」の位置の人間は、逆に、無神経さ・傲慢さを持つものなのか。……例えば、川勝静岡県知事、御殿場市の若林市長。オスプレイの「日米同盟を支援するための飛行訓練」の今月からの米軍キャンプ富士(御殿場市)での実施について、森本防衛相が言及。低空飛行や空中給油、後方支援など訓練拠点として岩国基地とキャンプ富士を挙げた。この発言に対して、川勝知事は「いきなりキャンプ富士の名を出されて驚愕した。地元無視で一方的」、若林市長も「前触れのない突然の発言については、耳を疑うものであり、信頼関係を損なうものと考える」と反発。「仮に、キャンプ富士への飛行訓練が示された場合は、第10次東富士演習場使用協定にのっとり、2市1町の関係行政と地元権利者団体などと一体になり、協議を進めざるを得ない。突然オスプレイが飛来してくる事態は、あってはならないものと考える」という。ごもっともだ。しかしこの二人の首長は、オスプレイ配備と訓練の開始について、とうに知っていたはずだ。計画はきちんと発表・報道もされている。本土が訓練予定ルートに入っているのだから基地がある以上どこでも当然起こり得る事態だ。そして沖縄で訓練が始まったこともご存じだろう。自分の場所でやらなければ放置しておいて、いざ矛先が自分に向いたら慌てて「うちではやらないで」と言うのか。そもそもやるのは仕方がないと黙認していて、一応反発した姿だけを見せておこうという作戦か。彼らは沖縄の現実と怒りを見ても、手をこまねいて何もしないでいた。なぜはじめから「沖縄と一緒にたたかう」と言っていなかったのか。今からでも言おうとしないのか。「地元の問題」ではないことに、ほんとうに気づいていないのか。もしも沖縄の人間の前で今更それを言うとしたら、それがいかに恥ずかしいことか、気がつかないのか。「同じ問題を抱えている」と考えるなら、仲井真沖縄県知事にもっとしっかりするように言い、今からでも普天間ゲート前や高江に行って一緒に阻止行動をすればいい。……情報の世界で一挙手一投足が他者に晒されている人間といえば、マスコミ関係者もそうであろう。例の『ハシシタ』記事の佐野眞一氏のその後の沈黙が解せない。謹慎しているわけではないだろう。私が知らないだけでどこかで発言しているのか。近辺で「あれは週刊朝日が悪いので佐野さんじゃないんだよね」という言い方も出てきていたりする。それは違う。自分に責任の所在がある問題に対して、ほとぼりが冷めるのを待っているような者は、ジャーナリストではない。
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台風なので「サンディ」も女性名なのだろう

2012-11-02 | Weblog
アメリカを襲った大型ハリケーン「サンディ」。ニューヨークも被害を受けたようだ。フェイスブック上などでも写真や報告が多々。暴風雨の中で自ら喋る映像を上げる者もあり。わざとか関係ないジョークばかりアップする者もあり。やがて停電のためネットも繋がらなくなった人達もいて、むしろニューヨーク外の人達が心配のため大騒ぎする状態。ネット社会は安否が確認しやすくて便利ではある。……死者数はAP通信によると、10月31日までに計62人。ニューヨーク、ニュージャー両州を中心に500万戸以上で停電が続いており、電力会社は復旧まで1週間以上かかる可能性があるとしている。ニューヨーク圏の3主要空港のうち2つが31日、一部再開。全面運休中のニューヨーク市営地下鉄が11月1日に一部復旧という。目の前の仕事に押されてよくわかっていなかったが、ほんとうに市民生活機能が停止していたのだ。バスしか公共移動手段がなく渋滞し、ガソリンスタンドは長蛇の列、在庫切れで営業できないスタンドも目立つという。ブルームバーグ市長は記者会見で、一般車両が橋を渡り市中心部のあるマンハッタン島入りする際は、1台に3人以上が乗る「カーシェア」を2日まで義務付ける方針を示したという。経済的な損害の推計が最大500億ドル(約4兆円)に上方修正されたというが、それがいかほどなのかがぴんと来ない。……ニューヨークも海沿いの場所で、こうした被害に遭いやすいのだなと思う。かつて私はマイアミで「フランシス」ハリケーンに遭遇し、その最中をアトランタまで移動したことがあるが、変容する雲と風、海と空の広大さが際立ち、平地が広々と続く「大陸」のスケールを感じたことを覚えている。
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「自殺」か「自死」か

2012-11-01 | Weblog
今年の年間自殺者数は、今のペースが続けば、ここずっと続いている年間三万人の大台には乗らない可能性が強いという。毎月五百人平均で減少しているという。死者のことを数で数えるのは気が引けるが、自殺者数ワーストスリーにいつも入っている東北の某県で自殺防止の仕事を少しだけ手伝ったことがあるが、各地域のそうした取り組みが功を奏しているのであれば、それは何よりである。で、読売新聞地方版によれば、島根県は、自殺防止の施策をまとめた県の「自殺対策総合計画」の名称について、「自殺」という言葉の使用をやめ、来年度から「自死対策総合計画」に改める方針を示したという。中身も「自死」の言葉を使う。遺族の感情に配慮したといい、県の文書では今後、可能な限り「自死」に統一する方向で検討しているという。「自殺」という言葉を巡っては、「殺す」という文言が含まれ、罪人のようなイメージがあることから、県内の遺族らが「自死」とするよう県に求めていたらしい。「自殺」という言葉で「遺族が傷ついてきた」、というのは、一瞬意表を突かれるが、「殺す」という言葉の「自動性」が、故人の行為を思い起こさせ、遺族の神経に響くということもあるだろう。……私個人の意見を言えば、「殺」という言葉より「死」という言葉の方が重い。「死」という語のインパクトや、目に入った瞬間の圧倒される感じが、辛いという人もいるのではないか。そして「死」というのは状態を示すものでもあるから、「取り返しのつかない感じ」は、その方が強いと思う。にわかに今回の島根県の選択が全国的に広がるとは思われない。でもそれは、我々が「自殺」という言葉になれてしまっているだけで、「自死」という言葉の持つ一種の静謐さに、「受け入れる」という心が順応しやすいということもあるのかもしれない。結論がどちらがよいとは一概に言えない。言葉を扱う身としては、細かく使い分けることは既にしているわけである。公の言葉としてどうかについても、検討していく余地があるとは思う。
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