黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

紫陽花は遅霜の害?(国定赤城神社)

2021-07-20 16:22:24 | 早川物語 2

今朝いつもより早く、ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内を西に出て、諏訪神社に到着です。

パパが動きません

パパは、階段を登るのが嫌なのかな?

パパは、最近足腰がとても弱ってます。

ひめちゃんたちは、まだ普通に上り下りできますけど、パパは無理しない方がいいね。

ここから右回りして帰ります。

途中、獅子丸とタバサねーちゃんに逢います。

 

ひめパパ、行ってくるね

行ってらっしゃい

 

 

 

6月9日、最後の訪問は、国定赤城神社神社(くにさだあかぎじんじゃ)です。

紫陽花がきれいだと言うことです。

 

二の鳥居前の建物には、いろいろな御利益の貼り紙です。

 

社殿改修工事竣工記念碑があります。

現在の社殿は、昭和4年に国定字古屋敷より現在地(旧菅原神社鎮座地)に移転改築されたものだが、老朽化甚だしく建物自体の傾斜や腐食破損箇所が顕著になったため、総代一同と協議の上「移築遷座七十五周年記念事業」として改修工事を執行することとなり・・・・・・(後略)

 

もともとは、菅原神社・天神様だったんですね

 

 

かわいいユニークな微笑みの狛犬です

 

 

拝殿で参拝です。

 

社務所で、御朱印をお願いします。

 

待っている間、境内散策です。

拝殿の後ろには、りっぱな本殿です。

 

本殿の西にも、それなりの祭神です。

何様かな?

後で御朱印と一緒に頂いた境内の桜マップによると、国定天満宮です

もともとここに鎮座していたのが、この神様だったのです

 

「御朱印出来ました。」の声がかかります・

明るい元気な御朱印を頂きました。

境内の桜マップもいただきました。

桜の季節の訪問もいいですね

 

それにしても、紫陽花が咲いてない

「紫陽花の花が少ないですね。」

「どうしてか分からないけど、ダメなんです。」

「もしかしたら遅霜で花芽がやられませんでしたか?」

 

ひめちゃんちは、遅霜でかなり花芽がやられました。

結局咲かない木が何本かありました。

早咲きで、しっかり花芽を付けていた木がやられたようです。

 

「来週から紫陽花の御朱印は、やろうと思っているんですけど

 

わずかに咲いている紫陽花に、ご挨拶して帰ります。

 

 

桜マップによると、境内東のこの社殿の祭神は、木花咲耶姫命です。

 

駐車場を北に出て、川沿いの道を帰ります。

あの森が赤城神社です。

早川です

新里の奥沢・早川貯水池から流れ出した早川は、国定赤城神社の東を流れていたのです

橋の名は、天神橋です。

向こうに赤城山が霞んでます。

赤城神社の地に、もともと祀られていたのは、天神様でした

 

振り返ると、電車が早川を渡ります。

早川物語の国定赤城神社です

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泰山木のレクイエム(義平山清泉寺)

2021-06-25 15:46:07 | 早川物語 2

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、朝散歩をしてきました。

帰ってみると、あれ小次郎パパとタバサねーちゃんはまだ帰ってません。

ハイシニアのパパは、遠出を好まないけど、タバサねーちゃんに牽かれて遠くまで行ったかな?

 

まもなく、帰ってきました。

タバサねーちゃんが、先にハーネスを外してもらいます。

パパは、獅子丸のお部屋の前で待ちます

パパは、今日も尻尾が上がってます。

獅子丸は、そっぽを向いてます。

父と息子の微妙な関係です。

 

薄紫のムクゲが咲き始めました

けっこう切り詰めてますけど、毎年元気に花をいっぱい咲かせています。

 

 

 

19日、世良田八坂神社を参拝し、御朱印を頂きました

お昼近くになると、駐車場は埋まりだし、他県ナンバーの車も見られるようになりました。

 

そうだ、近くに源義平の墓があった。

お久しぶりに、ちょっと寄って行こう

 

草に埋もれてると思いきや、きれいになってます

あれ、かなり手が入ったかな?

お地蔵様は、地獄の入り口で衣を脱がし罪の重さを量るという奪衣婆(だつえば)かと、一瞬だけ思いました

こんにちは

 

清泉寺の説明板です。

義平山清泉寺は、東京湯島霊雲寺に属し真言律宗の祈祷寺であった。創建は詳らかで阿ないが平安末期に悪源太義平の妻がここの庵を結んだのがこの寺之起源だといわれる。時を経て江戸時代の寛保年中(1741~1744)高健教岳により中興された。

悪源太義平は義朝の長男で鎌倉幕府を開いた源頼朝の兄である。十五歳の時叔父義賢(木曽義仲の父)を武蔵大蔵館に討ち悪源太といわれた。ここで悪とは善悪の悪ではなく勇猛という意味である。

平治の乱には父義朝と共に平清盛と戦い、待賢門の戦いでは平家の嫡子重盛と一騎打ちをしたことで有名である。

戦局は源氏に利あらず父義朝は討たれた。義平は京に潜入し清盛父子の命を狙ったが捕らえられ六条瓦で斬首された(二十歳)。義平の妻は新田義重の娘であったが、夫の死を知り京に上ってその首を密かに持ち帰り此の地に埋葬し、剃髪して妙満尼と称し夫の菩提を弔ったという。

 

夫が20才で斬首、妻はたぶん10代でしょう。

平家の目をかいくぐり、はるばる京まで首を持ち帰りに行けるかな?

 

 

境内に入ります。

大きな白い泰山木(たいさんぼく)の花が咲いています

なんとなく、レクイエムのイメージです

泰山木のレクイエムです

芳香がすると言うことですけど、雨のせいかわかりません。

でも、白い花が似合う風景です。

 

こちらの紫陽花も、静かな寺にふさわしい、楚々としたガクアジサイです

 

本堂かな?

数年前に来た時より、しっかりした建物になってます。

 

確かに大きな宝篋印塔があります。

塔身の四面に梵字が彫られており、塔身の中から経筒に入った写経が発見された。この写経は鳥の子紙を使用し、湯島霊雲寺の僧法明書写になる一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経と清泉寺の僧廓照書写になる梵字宝篋印陀羅尼経で、二千四百一体の不動尊を刷った十一枚のがんぴ紙に包まれて納められていた。写経の奥書によって、徳川八代将軍の第二子で、田安家の創立者であり、国学者家人でもあった田安宗武が娘の誠姫とその婿の寿福を願って建立したことが判明した。

 

田安家の奉納があるくらいだから、霊験あらたかな霊場として、栄えたこともあったのでしょう

湯島霊雲寺ですか

江戸時代には関東の真言律宗の総本山ですね。

 

 

斜め松の向こうに、悪源太義平の墓が見えます。

確かに悪源太義平の墓とあります。

 

でも、こう表記するかな?

まあ、合掌

 

 

振り向くと、不思議な枝振りの松です。

頭をぶつけそうになります

何か意図があって、こう仕立てたのかな?

 

数年ぶりの清泉寺、思ったよりきれいになってました

 

旧国道354号線(県道142号線)に出て、早川を渡って帰ります

 

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大同元年宥海上人創建・さつきの永徳寺

2021-06-19 20:25:57 | 早川物語 2

雨の降りしきる朝でした

ひめちゃんは、貧乏カッパで、小次郎パパと南の方にお散歩です。

雨にも負けず、きれいに咲いてくれた大輪のヘメロカリスです

 

夕方、雨止みに、ひめちゃんは小次郎パパとお散歩です。

最近、ひめちゃんは恋の季節に突入したようです。

パパは、ひめちゃんのマーキングの跡に丁寧にマーキングです。

まだまだ煩悩を抱えたパパです。

また雨が降らないうちに帰ろうね

 

 

 

5月28日、世良田八坂神社の後、さつきの寺・永徳寺を訪ねました。

もしかしたらまだ、さつきが咲いているかな?

 

満徳寺歴史資料館の駐車場に駐車です。

 

 

道の反対側が永徳寺です。

境内に入ると左手に説明板があります。

寺伝によると、天台宗の開祖伝教大師最澄の弟子・宥海上人によって、大同元年(806)に創建され、関東最初の天台三道場の一つだったという。

ええ、どこかで聞いた話です

 

新川(にっかわ、桐生市新里町)の善昌寺の話と同じだ

宥海上人は天台宗の東国伝道教団の先達として、鬼石の緑埜寺(みどのじ)にやって来たと言います。

そして、善昌寺縁起によれば、東北に紫雲が見えた所に善昌寺を建てたんですって

 

新田の永徳寺もその時に建てたんですか

先達のお仕事大丈夫だったのかな?

 

その後は訂正されて、一行消えています

 

徳川郷に居館を得ると、薬師如来を深く信仰し、当寺を祈願所とした。

 

誰のことかな?

少し北に、伝・新田義重の墓があります。

祈願所にしたのは、新田義重かな?

 

むむ、善昌寺縁起にも、似たようなことが書いてあったぞ

 

 

さつきは盛りを過ぎていますけど、まだ咲いています

さつきの花の中に古い石仏、いいですね

 

 

山号は医王山、院号は和光院ですね。

大きなお地蔵様です。

延命地蔵尊とあります。

合掌

ひめちゃんたちが天寿を全うするまで、生きられますように

 

 

もしかして比翼塔?

さっきの説明板に、

また境内には利根川に身を投じた相思相愛の心中者を共に葬った「比翼塔」が二基あるのが注目されているが、いずれも男女の寄り添う姿が浮き彫りになっている。

 

 

如意輪観音ですね。

 

観音様のようだけど?

 

りっぱな庚申塔です。

徳川の正田家の菩提寺なのでしょう。

 

御利益のありそうな青面金剛です。

横に奉納者の名前があります。

 

そばに、よく似ている青面金剛です。

 

 

不動堂です。

さっき案内板には、

明治41年徳川河岸にあって船頭たちの守本尊とされてきた不動様のお堂を移築した。

とありました。

合掌

 

 

本堂脇に、ありました

まだ、水害避難用の小舟がありました。

さっきの説明板に、

江戸時代、元禄、宝永など度々利根川の洪水にあって、寺地も何度か移転したが、文化十四年(1817)には火災によって堂宇ことごとく焼失したため、長楽寺は円雄を住職として派遣し、永徳寺の再建にあたらせた。

 

洪水に悩まされてきたのですね。

向こうに見えるのが不動堂です。

船頭さん達の守本尊から見えそうです。

 

 

本堂で参拝です。

医王山の山号が架かります。

合掌

 

 

さつきの花を見ながら、東の山門に向かいます。

 

 

徳川河岸跡です。

不動堂は、ここらへんにあったのかな?

 

 

山門から出ます。

 

山門を出て、すぐ隣を流れる早川を確認です。

 

上流の流れです。

この川を遡っていくと、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)に到達できるのです

 

 

 

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西福寺の大カヤと白狐稲荷神社

2021-06-17 20:07:15 | 早川物語 2

ひめちゃんは、久しぶりにペット美容室に行ってきました。

湯上がり美女のひめちゃんの姿を、アップする予定でした。

でもやっぱり予報どおり、雨が降り出してしまいました

 

湯上がり美女のひめちゃんは、明日になります

 

ひめちゃんちに、今朝咲いたヘメロカリスです。

八重の品種は少ないと思います。

さりげなく豪華に、いい感じです。

不思議な色合いです。

小ぶりでも存在感あります

 

 

 

昨日、行仙上人弟子の記憶・田部井の薬師如来堂が、深くかかわってきたという西福寺(伊勢崎市田部井町)を訪ねました

でも、駐車場がありません

境内には駐車禁止のバリケード

 

あたりを見回して、山門脇の神社隣に少しだけスペースがあります

まあ、路上駐車のうちですから、急いで参拝です。

 

真っ赤な鳥居をくぐって、まず神社に参拝です。

正一位白狐稲荷神社です。

2礼2拍1礼です

 

神社のすぐ北は、お寺の墓地になってます。

和尚さん達の墓石も、たくさんあります。

 

大きな榧(かや)の木が見えます

説明板があります。

樹齢400年以上の大榧です。

雄木かな、雌木かな?

たしかに比類なき名木です

 

本堂で参拝です。

山号は白狐山ですね。

合掌

 

山門を出て振り返ると、大きな大きな榧の木です

 

山門の先には、歴史を刻んだ石造物です

 

ここは浄土宗のお寺です。

宗旨がわかりやすく書かれています。

阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。

 

こちら側の言葉も意味が深そうです。

いい雰囲気の古刹なのですから、御朱印も欲しいところです

 

ちょっとだけですけど、「行仙上人弟子の記憶」延長線上を、散策できました

 

稲荷神社に戻る時、さっき目に付かなかった「社殿新築碑」があります。

社伝ニ依レバ明治五年日本国太政官府ヨリ正一位ヲ贈ラレタコノ白狐稲荷神社ハ平安末期 岩松四郎経氏コノ田部井郷ヲ領有スルニ至ツテカラノ発祥ト考ヘラレテイルガ詳カデハナイ 岩松四郎経氏ノ子泰経孫泰寛共ニ崇敬篤ク重邦 泰兼ト継ガレ元屋敷地内観音山デ殿賑ヲ極メタ 又同所ニ西福寺 観音堂 白狐稲荷神社ト並び祭ラレシタメ部民ノ崇敬素祖ノ念一層タカメラレ鎌倉時代吉野時代ト送リ~(後略)~

 

岩松氏の創建によるらしいのですね。

新田の岩松氏、こちらの方にも進出していたのですね

 

早川を遡ってくれば、道に迷うことなく新田からやってこれます

早川物語です

 

 

県道291号線から脇に入り、「あずま橋」より少し下の橋で、早川を渡ります。

早川を渡って、赤城山の麓・山上に帰ります

早川物語、まだまだ続きます

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田部井村鎮守・鹿島神社

2021-06-15 20:42:40 | 早川物語 2

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て岩神沼に到着です。

岩神沼は静かで、逆さ赤城もきれいに映っていました

さて、もう少し上まで行きましょう。

あちゃあ、小学生の黄色い帽子の集団がやっています

 

急遽、摩崖仏の参道に避難です。

早く行ちゃってくれればいいのに

お天気がいいので、阿弥陀三尊のお姿がよく見えます

合掌

 

 

 

薬師如来堂で、行仙上人の弟子の記憶を確認できました

車を置かせていただいた鹿島神社にも、ご挨拶です

鳥居から入ります。

 

左の狛犬です。

ちょっとよそでは見かけない風貌です

 

右の狛犬です。

顔の一部が欠け落ちたかな?

 

振り返って鳥居です。

この先、どうなってるのかな?

本来は参道のはずだけど

 

しっかりした社殿です。

鎮守・鹿島大明神とあります。

2礼2拍1礼です

 

社殿の西側には石造物です。

ここにも出羽三山です

真ん中の3名様は、もしかしたら阿弥陀三尊?

石造物のみなさん、ごみステーションと仲良く同居しています。

長生きの秘訣ですね

 

あれ、本殿の板壁に絵がある

花がありそうだけど

 

北側の壁面です。

富士山を背景に、天女が三保の松原で舞っているようです。

 

東の壁面です。

戦いの場面のようです。

龍と虎の戦い?

そういえば、鹿島神社の本宮は、軍神を祀った鹿島神宮でした。

 

ウィキペディアによれば、

鹿島神社(かしまじんじゃ、旧字体:鹿嶋神社)は、「鹿島」を社名に持ち武甕槌神(たけみかずち)を祭神とする神社。

東北地方・関東地方を中心として全国に約600社あり、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を総本社とする。多くは鹿島神宮から勧請して創建され、神宮と同じ武甕槌神を祀っている。

武甕槌神は、香取神宮(千葉県香取市)の経津主神とともに中臣氏・藤原氏の氏神とされたことから朝廷・中央貴族の信仰を受け、武神であることから武家の崇敬も受けた(鹿島信仰)。

 

あずま道が近くを通っていたようですから、東北征服の軍勢と関係あるかもしれませんね。

 

あずま道の早川に架かる「あずま橋」を渡って帰ります

このあずま道は、東山道の脇往還という感じでしょうか?

本来の東山道は、もう少し南の旧新田町を通っていたようですから。

 

霞んでいるけれど、赤城山が見えます。

あの山の麓に帰ります

 

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