今日2月2日は、数日前から雪予報でしたけど、雨の一日でした
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。
2月に雨なんてあったっけ
ひめちゃんは、もうじき13才になります
2020年4月の黒柴家族です。
ひめちゃんは、小次郎パパともよくお散歩していました。
獅子丸も実家に帰って10ヶ月、パパとの関係は微妙でしたけど、実家の生活に埋没していました
末っ子達は、七海ママの昼散歩に付き添ってました
ひとまず城を開き三河に退き(膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事・その1)
去る程に、膳の城には一旗集まり評定なり。
譜代若武者小俣の城にて討ち死にして、残る者には役に立つものなし。老若男女ばかりなり。
斉藤右近此れ等初めて三十旗にすぎず。
時弾正諸勢に向かって、「口惜しきの事なり。主君宗次殿すいきょうに由なき人の徒党して、命を失い家を亡ぼし妻子を捨て、誠にたぐいなき不覚なり。かかる時節到いたし、当年七才なる春松殿を、一郡の主に取り立てまいらせんとおもいしに、懸かるしだらなれば我ら御供申して、家康公甲州御入部の節、御目見えとげんと思いしに今滅亡に至る事、皆是主君宗次殿のなされるわざなり。知行の地侍を集め、一合戦致すともばかばかしき事あるまじ、譜代の家人を失わば、若君後日に御運開き給うに頼りなし。ひとまず城を開き三河に退き、家康公に職くして時の至を待つべし」と、理を尽くしてもうしければ、人々同心なり。
あらすじというか、大意です
(小俣城攻撃で敗退した頃)膳城には家中が集まって相談しました。
譜代や若武者がみんな小俣城で討ち死して、役立たない者ばかり残っていました。
残っているのは、斉藤右近をはじめとして30騎ほどでした。
時弾正が、みんなに向かって言いました。
「我らの主君・膳宗次が、気まぐれでとんでもない人に加担して、そのあげくに死んでしまい、誠に油断がすぎたことだった。膳家が滅びるのは、我らの主君・膳宗次のせいである。残っている者で戦してもうまくいかないだろう。ひとまず開城して、若君・春松殿をともなって三河に退こう。家康公のもとで、時の至るのを待つのがよい。」
と、理路整然というので、みんな納得しました。
どうも、理路整然どころか、理路不明です
どういう意味か分からない表現が多いです
何が言いたいのか、そう考えて意味を取ります
主君・膳宗次が悪いのだと断言しています
その前に、諫言するべきでした。
それに、なんと家康を頼って落ちていこうですって
膳氏と家康は何の関係もありません。
他の老談記では、上杉謙信を頼ってます。
膳宗次は、上杉勢が渋川義勝の留守を狙って、小俣城を攻撃する時に道案内をして暗闇沢(くらみざわ)で討ち死にしています。
物語として、オリジナルなものを創作したかったのかもしれません
でも、余りに不自然すぎるのは、どうかな
膳氏・膳城については、『粕川村誌』にも、詳しくありません
ほとんど分からないようです。
この膳城の土地は、膳氏の子孫という人が、戦後畑になるのを防いで買い上げ、村に寄付したものだそうです
その売買の過程とかは、実に詳しくでています
ちょっと違和感を覚えます
初稿 2020.04.08 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.02.02
(つづく)
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