一昨日降った雪は、だいたい溶けています。
でも日陰には残っていて、注意が必要です。
赤城おろしがきつい寒い一日です
近所にキツネが出没するとの話を聞きました
カバ丸をさらっていこうとしたのは、もしかしたらキツネかも
カバ丸は獅子くんの大切なお友達、土に帰って一緒に眠るのです。
キツネさん、邪魔しないでね
2020年2月の黒柴家族です
雪の朝の写真がありません
雪は降らなかったかも
膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事
去る程に、渋川の一旗は其の日、午の刻ばかりに膳の城に取り懸かり、鯨波のどっと作りけり。
されども城中しずまり、何の音もせず。
さて城内を見渡せば、空虚になり、「察するにこの城無勢なれば、越後勢と一所なるとまくりきりにせん、はかりごとなるべし。女渕の城に押し寄せん」と既に評定ある所に、
女渕の城代より、萩田はさる二十一日に直ちに越後へ帰国の由、告げ来たり。
しからば寄せ手の者も手持ちを失い、膳の城に火を駆けて、さんざんに焼き払い、無益の陣を引きにけり。
あらすじです。
渋川家中は、その日の午の刻(12時ごろ)に膳城にたどり着き、鬨の声をあげました。
しかし、城中は静まりかえっています。
「城が空であるのは、越後勢と一緒になっての作戦らしい。女渕の城に押し寄せよう。」と作戦会議をしていたところに、女渕の城代から使者がきました。
「萩田備後守は、(小俣から敗走した翌日)21日に越後に帰国しました。」と告げてきたのです。
小俣勢は膳城に火をかけて焼き払って、引き上げていきました。
膳城の落城は、あっけないものでした
城主・膳備中守の最後も具体的には描かれていません。
もう少し、具体的な描写がほしいところです。
女渕城の位置付けも曖昧ですね
膳城主・膳備中守は、上杉謙信の家来萩田備後守に従って、小俣城を攻めたのです。
なのに、奥方と嫡男は三河の徳川家康を頼って落ちて行ってます
作者の思考がちょっと混乱しているようです
それにしても、膳城と別城一郭といわれる山上城については、何の記述もありません
山上城は、江戸時代の桐生では、無名だったのでしょう
初稿 2020.04.14
改稿 2025.02.10
( 膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事 終 )
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