黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道室沢宿・八王子神社だった八雲神社

2021-01-02 21:27:06 | 日光裏街道

ひめちゃんたちは、みんなお散歩から帰って、朝ご飯が配られました。

みんな元気に食べます。

あれ、七海ママがいません

超高齢のママは、お留守番をしておうちの中にいたはずです。

どこを探してもいません

まさか

犬は自分の寿命が尽きるときが来ると、姿を消すという話もあります

まさか昨日今日とは思わなかった

おむつはしていても、しっかり食べていたので

実はママはドア開け名人なのです。

引き戸は開けてしまいます。

最近は、ほとんど目も見えず耳も聞こえずで、そんなことはないと油断していました

 

小次郎パパを連れて、家の近くを歩いて探します。

おむつをして赤い服を着た犬は、いないかな

いません

でも、近くの用水路には浮かんでません。

 

諦めて帰ると、お父さんに抱かれたママです

「おかあさんのパソコンデスクの奥の奥にいたよ。カサカサ音がしていたよ。」

パソコンデスクの廻りは、いろいろものがあります。

奥はさっき見たのですけど、そのさらに奥の奥に入って出られなくなっていたのです

 

その日が遠からずやって来るのは、覚悟しています。

でも、突然姿が見えなくなると、とほうもなく慌てて悲しくなります。

ナナちゃん、生きてて良かった

今日の写真は、元気なころのピチピチギャルの七海ママです

たぶん生後半年くらいのころ、初めての冬だと思います

 

 

 

全徳寺の裏に八雲神社があります。

八雲神社には、安政二年(1856)の常夜灯があるということです

最初に全徳寺を尋ねたとき、駐車場が分からなくて、迷い込んだ事があります

 

村社八雲神社です。

額は「八王子」です

ということは、本来は八王子神社なのですね。

 

八王子神社はウィキペディアによれば、

仏教の守護神である牛頭天王には頗梨采女(はりさいにょ)との間に8人の子(八王子)がいるとされており、おれを祀ったのが八王子神社である。~(中略)~明治の神仏分離の際、これが午頭天王と習合されていたスサノオと天照大神の誓約(うけい)で化生した五男三女神に変えられた。

 

明治の神仏分離・廃仏毀釈の影響ですね。

「八百万の神」によれば、祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)とあります。

 

最古の和歌といわれる、須佐之男命の歌、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

 

この歌からの命名でしょうか?

 

拝殿前に常夜灯があります。

 

安政二年を確認です

 

拝殿で参拝です。

落ち着いた雰囲気です。

 

拝殿横にも鳥居があります。

愛宕宮です。

火伏せの神様、必要だったのです。

 

境内社もたくさんあります。

何様かな?

 

本殿の後ろを通って行くと、また鳥居があります。

天満宮です。

こちらも必要ですね。

 

更に東に、また鳥居です。

こちらは額に何もありません。

 

本殿は落ち着いた森の社です。

 

金比羅宮もあります。

さすが村社、ありとあらゆる神様がおいでのようです。

 

明治の神仏分離前は、八王子神社だったのですね

日光裏街道を通行する旅人には、室沢宿の八王子神社だったのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光裏街道室沢宿・全徳寺の道しるべ

2020-12-31 15:15:40 | 日光裏街道

寒い寒い朝でした。

小次郎パパは、早くお散歩に行こうと大騒ぎです。

ひめちゃんはパパとのお散歩になりました。

天神田(字天神の田んぼ)を下ります。

おや、何だろう?

ひめちゃんが立ち止まります。

雀よけのカイトです。

季節外れの冬の空に舞ってます。

下には、稲穂ではなくほうれん草です。

ひめちゃんも、すぐに興味をなくしました。

パパは全く興味を示しませんでした。

 

塚越の庚申塚古墳を通って帰ります。

ここには、双体道祖神があります。

ひめちゃんいい子で、はいポーズできました

吹雪いていた赤城山も、その姿を現し始めました。

 

 

 

ひめちゃんちから北に行って、県道333号線に出て左折すると、まもなく室沢の全徳寺(ぜんとくじ)があります。

全徳寺は現在無住、山上の常広寺が兼務しています。

ここには、「日光裏街道の道しるべ」があるということででかけてみました。

 

道をはさんだ向こう側に、なにやら碑が見えます。

何だろう?

其の昔徳川の比此の地室沢は日光街道の宿場で・・・・・・

 

「日光」の文字を確認です

現在の道、県道333号線ができたときの記念碑のようです。

 

南側の門柱の方に廻ります。

以前来た時は、駐車場から直接に本堂の方に行って、管理人さんに、お高祖頭巾(おこそずきん)の双体道祖神を拝ませてもらいました。

こちらからは、初めてです。

 

おや、早くも門柱の前に「六道能化地蔵大?」、下に右・左とあります。

右左の先は埋もれてしまって分かりませんけど、道しるべになってます

 

おや、もう一基道しるべを兼ねた石造物があります

右・日光道、左・湯沢三夜沢

感激、「日光」の文字があります

 

おやおや、もう一基道しるべになっている庚申塔があります

右・日光、左・三夜沢湯沢

感激、また「日光」の文字があります

 

本来はもっと道ばたにあったのでしょう。

でも、道しるべを兼ねた石造物が、それもかなり大きめの目立つものが付近にあったのです

ここは日光裏街道の重要な交差点だったのです

 

久しぶりにちょっと境内を散策です。

今回は、管理人さんのところに寄らずに静かに散策です。

 

本堂の西の薬師堂には、たくさんの石の薬師様です。

かつて寺が賑わった名残ですね

 

初めて、本堂裏に廻ってみます。

 

かなり古めの石仏群です

 

奥にもう一ヶ所、石仏群があります。

 

振り返ると、りっぱな歴代和尚の墓標があります。

あらたな発見と感動がいっぱいの再訪でした

 

今回はお目にかかりませんでしたけど、2017年の9月訪問した時に逢った「お高祖頭巾の双体道祖神」です

なんともほほえましい二人です

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七海ママのふるさと5(那波氏の中興・泉龍寺)

2020-12-21 20:59:53 | 日光裏街道

昨日より少し寒さの和らいだ朝でした

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

岩神沼には、何もいませんでした。

高縄の摩崖仏は、参道に農業用資材が置いてあって、通行不可です。

もう逢えないかな?

 

摩崖仏の裏から、雪を頂いた信州の山々が見えます

 

ひめちゃんたちは、更に上の蕨沢川源流・新沼&童沢貯水池を目指します。

新沼は静かでした。

隣の童沢貯水池は、いつものように奥の方にカモがいます

 

帰り道、巨大な庚申塔があります。

今朝は、左に相応寺の文字が見えます

相応寺、かつてここらへんに存在した寺かな?

 

 

 

柴町八幡神社から帰ろうとして、ふと見ると門柱があって松並木が続いています。

史跡がありそう。

通れるかな?

松並木の参道を進みます。

 

泉龍寺です。

応永元年(1394)那波城主大江宗広が白崖宝生禅師を招いて中興開山としました。~(中略)~寺宝の白崖宝生禅師画像は、県指定重要文化財になってます。

白崖宝生禅師画像の説明板もあります。

どんな画像なのでしょう?

お目にかかるのは無理でしょう。

伊勢崎市教育委員会で出している「伊勢崎市文化財ハンドブック」にありました。

この方です

 

境内の入り口には、巨大なお地蔵様が左右に3体、合計6体おいでです。

六地蔵という事かな?

佐波伊勢崎観音霊場なのです。

もともとは柴町にあった密厳院から移した観音堂の聖観音とあります。

御朱印が出そうですけど、今の時節、又の機会にしましょう

 

まだ紅葉が鮮やかです

この日は12月13日でした。

古い石仏が積み上げられています。

りっぱな宝篋印塔もあります。

 

本堂は新しそうですね。

さっき平成10年の建立とありました。

読経の声が聞こえてきます。

法事があるようです。

静かに目立たないように、境内を散策です。

 

子安観音かな?

小さな六地蔵です。

 

覆屋の下に、古い石仏です。

延命地蔵菩薩並薬師如来です。

延命地蔵菩薩は、室町時代の応永年間(1394~1437)の造立とあります。

そうすると、中興当時の造立ということになります

名和(那波)の歴史を見つめ続けてきたんですね

左の薬壺を持っている薬師如来は、やや時代が下がるとあります。

 

奥に赤い屋根のお堂があります

大本山円覚寺百観音霊場と旗めいています。

失礼します。

厄除観世音とあります。

お姿はうかがえません。

でも、厄除けよろしくお願いします、合掌

 

左の方には、真っ赤な鳥居と社です

説明板があります。

正式には稲含荼枳尼天(いなぶくみだきにてん)といいます。五月の八十八夜が縁日で、以前は養蚕と農家の豊作を祈る人々で大変にぎわいました。

懐かしい日本の風景ですね

 

さらに奥は墓地でした。

墓地を少し探しましたが、那波氏の墓は見つかりませんでした。

法事で人がいるので、邪魔をせずに捲土重来を期して、退却します

 

戻る途中、鐘楼堂あります。

森の中にすっかり溶け込んでいて、さっきは気づきませんでした。

あれ、松って横にも延びるんだ

 

松並木の参道を帰ります

あの右奥の建物の隣が、柴町八幡宮です

思いがけず、那波氏中興のお寺に参拝できました

七海ママのふるさと、名和(那波)の那波氏の記憶です

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七海ママのふるさと4・柴町八幡神社

2020-12-20 21:18:16 | 日光裏街道

ひめちゃんは小次郎パパと堀之内を北に出ます。

赤城山は、吹雪いています

寒いね

 

堀之内に戻るとき、見たことある2名がやって来ました。

タバサねーちゃんは、ちょっとご挨拶。

先に帰るね

獅子丸は、知らんぷりです。

 

何時の間にか日射しも出て、足の長ーい親子の散歩になりました

 

 

 

五料橋を渡って柴町に戻ります。

柴町の信号を過ぎてすぐに、左の奥に鳥居がみえました。

柴町八幡宮の鳥居です。

車が入れるか不安だったので、次の路地を入りました。

まもなく社務所らしき建物があって、何人ものおじさんがいます。

「こんにちは

おじさん達からは、返事がありません。

みなさん何かに夢中で忙しいようです。

失礼して、駐車させてもらいます。

 

それでは鳥居から入り直して、参拝です

鳥居の周辺は、石造物だらけです。

ほとんどが庚申塔です。

その中に1基だけ、太田神があります。

太田神は、どんな神なのか分かりません。

 

さて、拝殿を目指します。

小さな太鼓橋が残ってます

かつては川が流れていたのかな?

 

拝殿左前に説明板があります。

拝殿は正面三間、側面二間の入母屋造りの建物で、天井画は鈴木不求・春山・松山の三代にわたる伊勢崎藩絵師が描く。

 

天井画があるんですか

 

拝殿で参拝です。

扉は堅く閉ざされていて、天井絵は拝めません

 

龍がいます

迫力があります

おそうじしてあったら、もっと迫力があることでしょう。

 

右から、社殿を廻ってみます。

八幡神社の幟がたくさん揚がっています

本殿も、まだしっかり赤く残ってます

 

本殿裏には、庚申塔はありません。

やはり石宮です。

 

本殿の内部は全くうかがえません。

 

一周してきました。

 

神社は、本来は赤い世界なのでしょうか?

 

龍がさっきより生き生きしています

いまにも飛び出して来そうです

 

説明板にあったように、

この神社は十八世紀初頭の伊勢崎地方の近世寺社建築の優れた指標を示し、社地は参道を含め、旧日光例幣使街道柴宿の歴史的景観の名残をとどめる。

 

日光例幣使街道名残の、柴宿八幡神社です

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五料の常楽寺

2020-12-19 14:58:59 | 日光裏街道

寒い一日です。

でも、朝は穏やかに晴れました。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

ひめちゃんは、ご褒美の催促です。

獅子丸は、ブロッコリーの葉っぱを見付けてしまいました。

むしゃむしゃ、ひたすら食べ続けます。

ブロッコリー畑の向こうに、妙義山が見えます。

浅間山、榛名山も見えます。

浅間山は、しっかりと雪化粧しています。

赤城山は、東の方だけ、雪が残っています。

子供達の姿もなく、ひめちゃん元気にお散歩できました

 

 

 

五料の関所そばの常楽寺については、検索してもわかりません。

そうだ、以前玉村歴史資料館でもらった資料にあるかな?

少しだけありました

 

「玉村町地区の歴史」柴根地区編によると、

常楽寺

天平年間(729~49)に行基の開基と伝わります。また、南北朝時代と推定される薬師如来像石仏や像種不明の室町時代と推定される石仏が残ります。参道には庚申塔や二十二夜塔など主に江戸時代の石造物が立ち並びます。

同書には、五料の地名の由来もあります。

五料の地名の由来は、角淵にあった西光寺(玉村町下新田)の稚児千代寿丸が、柴(伊勢崎市柴町)からの渡船の転覆により溺死した。その「御霊」の供養に基づくとされます。

 

例幣使街道最大の難所だったのですね

 

石仏の写真展表紙の左下、常楽寺の弘法大師坐像刻出とあります。

逢えるかな?

 

 

何故か門柱の隣にガソリンスタンドが有ります

参道には、本当にたくさんの石造物です

 

まあ、とにかく山門をくぐりましょう。

 

山門前の如意輪観音です。

大人の雰囲気です。

如意輪観音はいっぱいなのに、この方だけ門前です。

 

参門脇の出入口の上には、左右共に獅子がいます

変な者は通れませんね。

 

中央から、失礼します

 

境内にも、たくさんの石造物です。

 

この方はどなたでしょう?

唯一、覆屋の中においでです。

あれえ、あの弘法大師は何処だろう?

 

古い石造物が山積みになってます。

あの一番上の石仏、写真で見た弘法大師坐像です

室町時代の石造物が、あんなところに

何時までも、衆生を見守っていてくださいね

 

本堂の階段脇にも、古い石造物です。

左は薬壺を持っています

薬師如来です。

「南北朝時代と推定される薬師如来像石仏」と「像種不明の室町時代と推定される石仏」ですね

 

作業用の車が見えます。

邪魔にならないうちに退散しましょう。

桜の季節にでも、再訪したいですね

 

山門外の石造物にご挨拶です。

かなり目立つ石仏です。

片足あげてるけど、未開花の蓮を持ってます。

聖観音かな?

 

こちらは、如意輪観音ですね。

 

如意輪観音も、お地蔵様もたくさんおいでです。

多くの石造物が立ち並ぶ寺でした

 

玉村町の史跡も、そのうちに歩きましょう。

今回はまた五料橋を渡って、七海ママのふるさとの柴町八幡宮に寄って帰ります

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする