黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道・富田の三柱神社

2021-02-21 19:21:04 | 日光裏街道

暖かい朝でした

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

 

岩神沼に到着です。

いつもの黒いカモさんが、1羽しかいません。

 

上の新沼&童沢貯水池を目指します。

あれえ、珍しく新沼でカモさんの競演だ

隣の童沢貯水池は、ほとんどいません。

時間的にちょっと遅かったので、サギさんの姿はありません。

 

新沼にもどると、彼(?)は、まだ特等席にいます。

いつもはこの石柱が見えることはありません。

今朝は水位が下がっているのかな?

 

帰り道、道草です。

二人ともアブラナを見付けて、ムシャムシャ。

おうちに帰って、ひめちゃんは、良い子でハーネスを外してもらうのを待ってます。

夕べは暖かかったので、湯たんぽは入れませんでした。

今夜も湯たんぽはお休みです。

 

 

 

「街道を歩く・日光への脇往還(大胡道)」の前橋市富田町付近です。

2月5日、お使いがてら、33番三柱神社、32番正法院を訪ねました。

 

まずは三柱神社です。

大きな門柱と大きな車があります。

役員さんでも、来てるのかな?

 

付近を確認です。

日光裏街道(大胡道)です

この道を多くの人が日光方面に向かい、また日光方面からも多くの人がやって来たのです

赤城山の景色が、ひめちゃんちから見えるのとちょっと違います。

 

広い駐車場です。

大きな力強い鳥居です。

向こうに見える社殿は、村の鎮守の神様のイメージです。

茅葺き屋根を覆っているのかな?

 

由緒碑があります。

明治の時に、近郷のたくさんの神社を合祀したのですね。

メインの神社は、稲荷神社・春日神社・赤城神社ですね。

社名の由来、納得です

 

あれ、四代目宮司は六弥太登良麿ですって

確か二宮赤城神社の神主は、六弥太神主だったですよね

『平家物語』で、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)を討ったという岡部六弥太(おかべのろくやた)の子孫だとか。

 

拝殿で参拝です

やはり、鈴を鳴らせないように、工夫されています。

 

本殿への渡廊下、絵馬が懸かってます

多くの神様がいるので、いろいろな願いが叶うのでしょう

 

社殿後ろには、合祀された石宮の方々です。

よくある庚申塔の類はありません

 

本殿も拝殿と同じく大きいです。

 

明るい森の中の鎮守様という感じです

集落センターもあって、現役の地域の鎮守ですね

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師走のわたらせ渓谷鉄道・上神梅駅

2021-01-16 15:25:51 | 日光裏街道

葛塚の地に、この冬は本格的な降雪はまだありません。

パラパラと白いものが、一度舞ったきりです。

2014年2月、七海ママ10歳&ひめちゃん2歳ころの、雪の朝の写真があります。

ひめちゃん、お散歩前に、ミニドッグランでママとひと遊びです

ママもまだはつらつとしていました

近所の雄犬たちには、ひめちゃんよりママの方がもてました。

ママが一番好きなのは、もちろん小次郎パパでしたけど。

 

道に出ると、除雪してあったのか、雪は道ばたです。

ひめちゃん、ママっ子だったんだね

 

 

 

12月27日、高泉の巨大な宝篋印塔を確認した後、県道333号線(日光裏街道)を東に走り、上神梅に出ました。

つづら折りのカーブをなんとかクリアーして、神梅小学校が見えてきました

子どもがいなくなって、現在は廃校だそうですね

左奥にある神梅神社、覚成寺も行きました

日光裏街道総集編には、神梅小学校・神梅神社・覚成寺・上神梅駅も入れましょう

 

 

国道122号線に出て、上神梅駅に初めて寄ってみます。

わたらせ渓谷鉄道は、しばらく前に、大間々駅から足尾まで乗ったことがあります。

大間々の次の駅が上神梅だったのですね。

 

「関東ふれあいの道」の案内図です。

 

なんともノスタルジックな駅舎です

無人駅ですね。

解放されているようです

 

まだ、大きなクリスマスツリーがあります

ちょっと失礼して、改札を通過してみます。

改札を出て、ホームを見学です。

 

下り、足尾方面です。

 

上り大間々方面です。

 

改めて改札付近です。

かわいい

夜は、ライトアップされるのでしょう

誰もいないのに、きれいに整理整頓され、プランターにも苗が植わっていました

地域の人の協力もあるのでしょう。

 

寒い日が続きました。

プランターの植物は元気かな?

いつかまた、わたらせ渓谷鉄道で、足尾まで行ってみたいものです

 

 

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新春の日光裏街道の休憩所・高泉村

2021-01-15 19:53:17 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、いつもより少し早くお散歩に出ました。

今朝は東の牧場の方に行きます。

ひめちゃん、牛さんに見つめられてちょっと緊張気味。

 

ヤギさんいるかな。

あれ、お食事中です

ヤギさん一家の初めて目にする、お食事中の風景です。

ひとりのボクは、ママと一緒にご飯です。

もうひとりは、お一人様でご飯です。

ヤギパパさん、貫禄だね

バイバイ、またね。

ひめちゃんたちは、サマンサ坂を通って帰ります

 

 

 

稲里の稲荷神社の後、県道102号線にでて、馬場宿で右折、県道333号線(日光裏街道)に入ります。

お疲れタバサちゃんだけど、もう一カ所寄って行きましょう

室沢宿をすぎて板橋宿をすぎて、新里の高泉(たかいずみ)に日光裏街道の休み場があったと言います。

ちょっと、寄って行きましょう。

 

「日光への脇往還」(街道を歩くシリーズ15 群馬県教育委員会)の地図、新里町高泉付近です。

86が日光裏街道の休み場とあります。

以前に行った記憶があります。

でも、石造物があったと言うだけでした。

日光裏街道の休み場という目で見れば、また違った風景になるでしょう

 

県道333号線(日光裏街道)板橋を過ぎて、ちょっと寂しい山道を過ぎて集落が開けます。

記憶を頼りに、右折します。

まもなく、ありました

 

目立つお地蔵様です

イノシシの捕獲用の檻も見えます。

かつては、日光裏街道の休憩所だったはずですけど、今はそういう場所なのです

 

奥は青面金剛です。

邪鬼を踏みつけています。

ちょっと誰かに似ているような?

モデルが近くにいたかな?

優しそうな書面金剛です

 

青面金剛の下には馬頭観音です。

 

せっかちおじさんは、タバちゃんと、もう南の方を探索です。

どこからか、1人でお散歩している子がやって来ました

タバサちゃんが大分興味を持っています。

雄犬かな?

高齢犬らしく、静かに去って行きました

 

手前の2基には百番の文字が見えます。

百番供養塔ですね。

自分が百ヶ所の霊場巡りをした功徳を、みんなにも分けようとした人がいたのです

 

その上には、灯籠と如意輪観音(?)です。

灯籠には、「寛政七年 高泉村」の文字が読み取れます。

 

先の地図では、如意輪観音としていますけど、かなり個性的です。

宝冠の上に化仏がある如意輪観音ってあったっけ?

二十二夜とも二十三夜とも確認できません。

 

ここらへんは、とにかくひっつき草との戦いです。

タバちゃんは、比較的上手に避けています。

 

この上は、ちょっと大変

多分あの石祠が、地図によると文政8年の石祠でしょう。

最近はほとんど手入れがなされていないようです。

ひっつき草の猛攻撃に、おじさん退却です

タバサちゃんは、上手に避けて元気に探検できました

 

休み所のということで、かつては小さなお堂やら茶店やらがあったのでしょう

 

 

 

はす向かいに、大きな宝篋印塔があります。

地図では85番です。

この日は寄らずに帰りましたけど、12月に寄ってます。

記録に残しましょう。

向こうに見えるのが日光裏街道(県道333号線)です。

萬人供養塔の文字があります。

明治33年建立の文字が読み取れます

明治33年はちょうど西暦1900年ですね。

高泉村に何かあったのかな?

 

先の地図には、寛政十一年大日様ともあります。

この方でしょうね

寛政十一年は確認できませんでした。

 

 

 

 

さて、交差点に戻って帰りましょう。

左折して、84番の「文化元年 庚申塔軒道しるべ」を確認して南に下ります。

地図の文化財の解説では、

高泉の庚申塔兼道しるべ、文化元年(1804)建立。台石に「右おうご まいはし」とあり、日光方面からの旅人に教えた道しるべであった。

 

日光方面からも、たくさんの旅人がやって来ていたのです

さっきの休み所の利用者にも、たくさんいたことでしょう

 

この庚申塔軒道しるべは、日光方面からの旅人も多かったことの大切な記憶です

タバちゃんたちは、この交差点を南に下って帰りました

 

 

 

 

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馬場宿・稲荷神社から「おびんづる街道」へ

2021-01-06 20:23:10 | 日光裏街道

今朝は、ひめちゃんは小次郎パパと北の方にお散歩に出ました。

ひめちゃんは、何か見付けたようです。

戦闘モードになってます。

ひめちゃん、右利きかな?

 

赤城山は、やさしい色合いでした

 

 

 

馬場宿・稲荷神社、鳥居から参拝です。

鳥居の額は、「稲荷大明神、雷電王、山神十羅刹」です。

山神十羅刹って?

十羅刹は、元は悪神だったけれど、仏法にふれて善神になったということですね。

そういえば、鬼子母神も同じような神様ですね。

みんな農耕を護る神様になったのかな?

 

二の鳥居の額は「天王宮」です。

天王社、天王神社は牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社ということです。

 

神仏習合の名残を色濃く残しているということでしょうか?

 

 

強そうな狛犬です

子どもも悪ガキに見えます

 

 

拝殿です。

 

本殿は、神社らしい建物です。

 

本殿の裏にも、石造物です。

 

 

西の道路端に道陸神(どうろくじん)です

道行く人々を見守ったり、村に疫病等が入らないように護る神、道祖神ですね。

この道陸神の脇の道、ちょっと細いですけど、こちらを帰ってみます。

本来の道はこちらだったのでしょう

 

少し行くと、巨大な石仏が2体あります。

個人のお宅の墓地のようですけど。

ちょっと路上駐車は無理みたいです。

どこかでこんな石造物に出会ったことがあるぞ

 

 

細い道ですけど、やっと県道102号線に出ます。

 

出てまもなく、おや何だ

チェロを弾いているように見えなくもないけど?

個人のお宅の庭先なので、写真1枚だけで退却です。

 

 

しばらく北上すると、「おびんづる街道」の表示です

「御賓頭盧様旧跡地」ですって

あの金剛寺の御賓頭盧様は、元はここに鎮座していたのですか

榛名山が見えます

 

 

少し行くと、苗ヶ島公民館です。

付近の文化財の案内があります。

ここは、「小次郎パパのふるさと鼻毛石」の東なのです

 

 

大きな石灯籠が見えます。

馬場宿の大灯籠に似ています。

赤城山の文字が見えます

この道は、赤城山への参道なのです。

 

 

お隣・金剛寺のおびんづる様にもご挨拶していきましょう

おや、おびんづる様マスクしています

この時節、「身体の悪いところとおびんづる様の同じ所を交互になでるとよくなる」といわれても

やはり使い捨て手袋は必須アイテムです

この時は持っていませんでした。

現地に用意もありませんでした。

なでたつもりで、合掌

 

おびんづる様、ちょっとなでにくい時代になってます。

 

 

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日光裏街道馬場宿・大灯籠と稲荷神社

2021-01-05 15:17:37 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

浅間山が、真っ白です。

天神田の一角にサイロがポツンとあります。

獅子くん、草の実をいっぱい付けてきました。

小次郎パパとタバサねーちゃんも、同じコースをやって来ました。

知らんぷりして追い越して行きます。

 

 

 

日光裏街道室沢宿の西、馬場宿に大灯籠があるというので、室沢の全徳寺から足を延ばします。

日光裏街道・県道333号線を走っているだけだと、目に入りませんけど、信号・馬場宿を右折北上するとまもなく、超特大の灯籠が出現します。

確かに大きいです

おや、右奥に神社が見えます。

もしかしたら、右の道は参道の名残?

 

行ってみましょう

すれ違いが難しそうな細い道です。

まもなく、道ばたに石造物です。

天満宮がありますね

 

ンスのすぐ向こう、鳥居の右前に三面六臂の馬頭観音があります。

神社には、お掃除をしている人がいます。

「こんにちは

「りっぱな馬頭観音ですね。」

「そのうち、そこの枝を下ろすから、また来てください

「はい、でもなんとかお顔が拝めそうです。」

丁寧に作られています

そのうちに、又伺いますね

合掌

 

この一帯に石仏・石造物が、たくさんあります。

説明板もあります。

江戸時代になると、馬頭観音は農耕馬などの動物の守護神として、また度の安全を守る菩薩として広く信仰を集め、各地で馬頭観音が作られた。

 

あ・うん石仏です。

どちらが「あ」で、おちらが「うん」かな?

その隣は馬頭観音かな?

石造物がいっぱい転がってます

明らかに破壊された痕跡があります

僧形の墓石もあります。

意図的に壊されています

 

明治の廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時かな?

ということは、ここは神仏習合のパワースポットだったかな?

 

大きな石殿もあります。

むこうに鬼子母神もあります。

石殿の中にも、小さな石仏です(写真はボケボケでした)。

 

石殿の隣に鍵のかかった小さな建物があります。

中には、たくさんの石仏です

ちいさな石仏もいっぱいです。

ここは、こんなにも祈りの造形に満ちた空間だったのです

 

さて、鳥居から神社を参拝しましょう。

石橋があります。

ここから神域ですね

 

(つづく)

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