黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南牧の秘境・黒瀧山不動寺3(幽玄静寂の一刻・開山堂)

2021-07-24 17:04:26 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

早々と用を済ませたひめちゃんは、もうご褒美のおねだりです。

小次郎パパとタバサねーちゃんも、やって来ます。

にぎやかに、家族でお散歩です

ひめちゃんちのただ1輪の蓮の花も、開花して3日目、咲き進んできました。

 

 

 

 

(黒瀧山不動寺、境内の散策続きます。)

深山の風景に癒やされて、疲れも忘れました

竜神の瀧下のお堂に降ります。

階段の角には、勢至菩薩(?)です。

飾らない木彫りの仏様に、合掌

 

階段を降りて、さてこちらのお堂にお参りです。

おや、開山堂の案内が目立ちます。

開山堂は右階段をお上り下さい。五代将軍綱吉公の嫡男虎松丸君、佐賀鍋島の松平信濃守綱茂らの位牌も安置され、正面の潮音禅師の寿像は等身大で、延宝五年京仏師康祐法眼が刻んだものです。上州の奥の院といわれる黒瀧山不動寺を体感して下さい。天地一杯の呼吸をして、幽玄静寂の一刻をお過ごし下さい。

 

ごめんなさい

先に開山堂にお参りしてきます。

 

また、階段を登ります。

 

門のある開山堂です

 

まず左手に歴代塔、歴代住職の合葬墓です。

本来は、左の山際にあるこちらのお墓が、歴代住職のお墓でしょう。

合掌

 

また、階段を登ります。

 

登りきって、振り返ります。

深山の幽玄静寂の空気を、深呼吸です

 

さて、開山堂に参拝です。

残念ながら、中の様子はうかがえません。

葵のご紋の賽銭箱にお賽銭を入れて、合掌

 

開山堂の説明もあります。

図録か何かあるといいですね。

絵はがきでもいいかな?

 

左回りに、開山堂の周りを散策です。

不思議な建造物があります。

潮音禅師のお墓のようです。

合掌

 

ふと山際を見上げると、ヤマユリです。

本当に生命力のある花です

 

一周してきました。

おや、巣箱です。

いろいろな野鳥がいるらしいですけど、今回は全く逢えませんでした。

 

りっぱな宝篋印塔もあります。

手前は、灯籠かな?

支えている邪鬼が、なんとなく微笑んでいるような

 

幽玄静寂の一刻を満喫して、滝の前のお堂に戻ります

上州の奥の院・黒瀧山不動寺を体感して、戻ります

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南牧の秘境・黒瀧山不動寺2(不動堂と天女窟と竜神の瀧と)

2021-07-22 16:27:41 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

朝から強烈な太陽の光です

ひめちゃんは、小次郎パパとお散歩に出ます。

おかあさんの準備が出来るまで、待機です。

ハイシニアのパパと一緒なので、堀之内の北方を歩いて戻りました。

 

お散歩から帰って、ご飯がみんなに配られて、ふと見ると、蓮の花が開こうとしています。

鉢の中でたった一輪、鮮やかに咲き出しました

 

 

 

 

黒瀧山不動寺、山門をくぐって、不動堂を目指します。

「金躰不動明王」の元気なのぼり旗が、何本もはためいています

 

左奥には、中国の山水画に出てくるような峯です。

 

手水社があります。

かつては、真っ赤かだったのかな?

 

手水社の隣に、開山・潮音禅師碑銘があります。

潮音道海禅師碑銘
字は潮音 諱は道海 寛永五年佐賀県小城に生る 十三才で出家 十七才で諸国に行脚 承応三年(1654) 宇治黄檗山隠元禅師に参じ木菴禅師の鉗鎚を受けて大法を嗣ぐ 徳川綱吉公の帰依篤く 萬徳山を開創 延宝三年(1673)の秋黒瀧山不動寺を開山し更に二十余ヵ寺を開山末寺末庵二百余を擁し黒瀧派(緑樹派)を成す 
元禄八年(1695)八月二十四日岐阜萬亀山で遷化 卋寿六十八法嗣六十四受戒十余萬著述多数 

遺偈 六十八掣風掣顛 掉臂行處蹈倒大千

 

ここは、黄檗宗黒瀧派(おうばくしゅうくろたきは)の本山だったのです

 

不動堂です。

悪や災を切り砕き人々に気力と安らぎを授けます。

 

金躰不動明王は、厨子の中かな?

悪や災を切り砕き気力と安らぎを下さい

合掌

 

 

おや、竜神の滝の案内です。

 

矢印に従って、お堂の裏に回ります。

 

弁天様です。

こんなにみごとな弁天様は初めてです

合掌

 

ここは天女窟です

弘法大師伝承の爪彫り不動の摩崖仏あり

潮音禅師が入山するまで、ここを道場として真言密教の修行者達が滝に入り山谷を駆け日夜励んだと伝わる

 

爪彫り不動の摩崖仏は、宝剣の上です。

合掌

 

そばに弘法大師像もあります。

合掌

 

 

行く手に滝の水が降り注ぎます。

不動の滝です。

合掌

 

 

(つづく)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南牧の秘境・黒瀧山不動寺

2021-07-21 16:04:12 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北の出てお散歩です。

蕨沢川沿いの道を帰ります。

おや、川沿いの石造物にも、夏の強い日射しです。

草刈りしてもらって善かったですね。

この間まで、草に埋もれて、お姿が見えませんでした。

この道はまっすぐでないところが魅力です。

昔の道なのです。

小林の相応寺住職に引率された滝沢不動参りの人々が、集合場所・関の摩崖仏を目指して上って行ったかも知れません。

 

 

 

 

大久保不動尊(太田市大久保町)は、西上州黒瀧山不動寺(くろたきさんふどうじ)で修行した修験者が開創したということです。

西上州の黒瀧山不動寺、検索すると、なんと現在も存在します。

甘楽郡南牧村(かんらぐんなんもくむら)のかなりの山奥・秘境にあります。

これは是非行ってみなくてはなりません。

2時間半くらい、休憩を入れると、3時間くらいの道のりです。

 

7月17日、ひめちゃんたちの朝散歩の後、身支度を調えて出発です

 

途中、大胡のマクドナルドで朝マック

ひたすら西に走ります。

 

道の駅下仁田です。

休憩します

 

わー、ソフトクリーム食べたい

新鮮野菜を購入して、ソフトクリームで元気を復活させて、先を急ぎます。

 

上信電鉄の電車と走ります

 

やっと、南牧の表示です。

すれ違いも困難な山道ですけど、まあ常広寺の若和尚の実家・甘楽秋畑の天徳寺に行った経験から、落ち着いて進みます

でも、かなりの上り坂のようで、車もやっと上ります

 

もう限界かなというところで、やっと駐車場に到着です。

下界からの訪問者にはかなりの秘境ですけど、まだまだすごい山奥がありそうです。

 

黒瀧山不動寺登拝口、杖が置いてあります。

後で考えると、杖を借りた方がよかったかも。

 

ひたすら上ります。

見た目より、実はかなりの上り坂です

きつい

上を見上げると、ヤマユリです

ヤマユリって、案外生命力の強い生き物だ

 

まだまだ、つづら折りの道を上ります。

向こうに、ちょっぴり赤い屋根が見えます

いろんな小鳥がいるんですね。

 

やっと建物が見えてきました。

右の建物で、御朱印をお願いします

 

境内の案内です。

 

山門を目指します

大きな杉の木があります。

数百年、ここで生きてきたんですね。

 

重厚な山門です

 

山門の説明があります。

鐘楼門として寛政10年(1798)四十二代祖駿禅師の代に再建。梵鐘は戦時中の昭和17年に供出した。楼階正面には元禄5年の最初の山門に潮音禅師が東海禅窟と揮毛した肩額あり。

東海禅窟の額です

 

不思議なものがあります

木魚は、もとはこんな形をしていたのです。

 

隣に、この寺についての説明があります。

都合で2枚になります。

行基伝承、秘仏金躰不動明王を本尊として千余年悠久の歴史を刻む。

江戸時代中興開山された潮音道海禅師は、館林に綱吉公開基の広済寺を開き、先代旧事本紀大成教出版を機に延宝三年(1675)黒瀧山入山。

 

 

山門をくぐって、不動堂を目指します

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とぼぐちの魔除け大久保不動さま

2021-07-17 20:42:16 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

小次郎パパは、もうじき15才になります。

今朝のことです。

昨夜から、パパは夜もお外犬になりました。

朝起きてすぐのおかあさんと、そこらまでのちい散歩に出ます。

高齢のご夫婦がやって来ます。

「おはようございます。」

「おはようございます。その子は何才ですか?」

「15才です。」

「中型犬だと、15才まで生きられるんですね

そういえば、以前このご夫婦は小型の洋犬を連れてお散歩してました。

その子は案外早く虹の橋を渡ってしまったのかも知れません。

 

コジくん、長生きしてね

というわけで、今日は小次郎アーカイブです

 

生後2ヶ月くらいです。

七海ねーさんは、小次郎が来たその日から、とっても気に入ったようでした。

七海ねーさんと、よく赤城南面のドッグランに出かけました。

やがて恋が実って、ののこが生まれます。

ヤングパパは、一生懸命ののこを遊ばせました。

3才頃の小次郎パパです。

あれ、まだシッポはしっかり巻いてます。

いつのころからか、巻が甘くなり指尾になってしまいました。

 

 

 

6月9日、新田郡薮塚町大久保(現太田市大久保町)の大久保赤城神社を訪問しようと、道の西にある大久保公民館に駐車です。

公民館の南にお堂があります。

 

あれ、大久保不動尊ですって

元気な赤い幟が、何本もはためいています

 

由来もあります。

大久保不動明王は、その昔本村より北1kmほどの所に大窪村竜王院があり、西上州黒滝山不動寺に永年修行を重ねた修行者が住んでいた。修行者は村人の幸福を願い彫刻に丹誠込め作り上げ、不動寺の霊を勧請して本尊として安置したと伝える。~(中略)~寛文2年(1662)代官岡上景能が大久保村を創設した。村人は不動堂を新築して移そうとしたら、自ら歩むように軽々と移ったといわれる。

 

まさか、西上州の黒滝山不動寺が現存しているとは思いませんでした

でも、検索すると、今でもしっかり存在します。

西上州黒滝山不動寺は、群馬県の西部、甘楽郡南牧村(なんもくむら)の黒滝山不動寺(くろたきさんふどうじ)です

これは絶対に行ってみなければなりません。

 

というわけで、実は本日行ってきました

レポートは近日中に。

遠かった

よくぞあんなに遠くから、不動寺に永年修行を重ねた修行者がやって来てくれました

 

 

こじんまりとした、こぎれいなお堂です。

 

こんにちは

お不動様、かなり大きそうです

 

石造物も移したのかな?

 

新田の地に、代官岡上影能は大きな足跡をたくさん残しています

子どもの頃は、地元の偉人と教えられちょっと反発も覚えました。

最近は、彼の足跡に素直に親しみを持ってます

 

「やぶづかかるた」に言うように、このあたりは地図を見ると、村のとぼぐち(でいりぐち)になります。

「とぼぐちの魔除け大久保不動さま」です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡上景能開基の国瑞寺・後編

2020-06-13 21:05:58 | 黄檗宗のお寺を訪ねて

激しい雨の一日でした

ひめちゃんたちは、ビンボー合羽でお散歩です。

ビニール風呂敷や市指定ゴミ袋をビニール風呂敷と同じ大きさに切り裂いて、首とお腹で結びます。

だれにも逢いません。

こんな日はみんなどうしているのかな?

梅雨入りしそうになかったけれど、あっという間に梅雨入りして、雨の毎日です。

でも、花菖蒲の季節になりました

今年は、花菖蒲のみなさんちょっと元気がないかな?

晴れたら、しっかり草むしりをしてお世話しますね

 

 

岡上景能開基の国瑞寺(こくずいじ)に到着です。

ちょっとかわった雰囲気です。

山門の上にいるのは、何でしょう?

しゃちほこ?

角度を変えてみても、わかりません。

境内には、マスクをして草むしりをしているおじさんがいます。

ちょっと、声を掛けにくい。

門脇の掲示板に寺の由緒があります。

ここ国瑞寺は徳川四代将軍家綱公のころ、推定、寛文七年(1667)に笠懸野を開拓された時の代官岡上景能(おかのぼりかげよし)公によって創建され、延宝元年(1673)、景能公が師事されていた独堪性瑩禅師(後の黄檗宗四代管長)により開かれました。

景能公は笠懸野の荒れ果てた大地に農業や街道、宿場町などを作り上げ、この地を生活できる場所に変えられました。しかし、その大きな功績や名声を妬む人々により、結果、切腹という不遇の最後を遂げられました。

 

「御朱印希望の方は本堂東の建物へ」ともあります

御朱印があるんだ

山門をくぐり、さっきの草むしりをしているおじさんに声を掛けます。

「あのう、御朱印をいただきたいんですけど。」

「こちらへどうぞ。」

失礼しました。

和尚さんでした。

いただいた御朱印です

ありがとうございます

 

境内はさほどひろくないようです。

本堂西から裏山にかけて、羅漢さんがいっぱいです。

16名様か確認しませんでしたけど、とりあえず、みなさんに合掌

 

山門を出て、墓地に向かいます。

参門脇に六地蔵です。

こんな形で祀られている六地蔵さんもあるのですね

 

墓地には、御利益のありそうなお地蔵様もおいでです

 

やっと、岡上景能の墓です

埼玉県児玉郡高柳村の生まれとあります。

群馬県指定史跡だったのです

子どもの頃郷土の偉人と教えられ、ちょっと反発を覚え、向き合ってきませんでした。

今は素直に向き合って、合掌です

 

 

鹿の川沼の脇を通って帰ります。

むこうにみえるドームは、岩宿博物館です。

 

岡上用水は、荒れ果てた笠懸野を、農耕可能な人の住める土地にしたのですね

いわば、瑞穂の国(みずほのくに)にしたのですね

あれ、瑞穂の国には、国と瑞の字があります

そして、その後もさまざまな努力によって、みどり豊かなみどり市になったのですね

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする