黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

棚下の十二さま

2021-05-31 20:55:27 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場に行きました。

ヤギさん、おはよう

あれ、ヤギパパだけじゃなく、ボクも鎖でつながれてる

もう、大人になったんだね

またくるよ、バイバイ

ひめちゃんたちは、更に東のタケイ沼を目指します。

あれ、カモさんがあんな所に

仲良く、一休みのようです。

他にカモさんはいません。

赤城山は、今朝もその姿をはっきりとは現しませんでした。

 

ひめちゃんちのヘメロカリス、開花です

季節は移り変わってます

夕方、かなりの雨を伴った雷雨に見舞われました

 

 

 

(5月7日)棚下不動尊から、県道255号線を北に上ります。

ほどなく、「棚下十二さま」ですって

矢印に誘われて、ちょっと寄り道です

 

駐車場が見当たりません。

隣が空き地のようなので、ちょっと失礼します。

「赤城村立棚下小学校 百周年祈念碑」があります

廃校になってしまったのかな?

でも、だれかいるみたい

 

「神社に参拝です。校庭の隅に駐車させてくださいね

 

鳥居から参拝です。

額は「十二宮」です。

村社大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)とあります。

拝殿の額は、大山祇神社神社です。

鈴をならしたつもりで、2礼2拍1礼です。

 

拝殿の左に、由来があります。

余りよく文字が見えません

「寛永年間棚下村の総鎮守、舞台を棚下小学校校舎」塔の文字が見えます。

元々の大山祇神社に、明治時代にたくさんの地域の神々を合祀し、さらに小学校も境内に建ったのでしょう。

 

社殿の西側には、合祀された神々がいっぱいです。

角度を変えると、上越線の線路が見えます

 

裏にも石宮です。

本殿は、脇殿もあるりっぱな造りです。

 

後ろの石殿の中においでの方々です。

石殿の中に石造物、大きな願いがこもっているのです。

 

右の枝のようなのは何だろう?

 

社殿の周りを一周してきました。

小学校の敷地を含めると、かなり大きな神社です

村社大山祇神社、納得です

小学校がなくなって、ちょっと寂しい村の鎮守様です。

 

県道に戻って、上越線の下をくぐります。

うわー、クラシック

まだ現役で人々の往来を支えているのです

 

沼田街道・森下宿に出ました。

画面奥からやって来ました。

 

思いがけず棚下不動尊に参拝し、棚下不動の滝にもたどりつききました

さらに棚下の十二さまにも参拝できました

本日の目的地・沼田歴史資料館は、又の機会にしましょう

 

17号方面で帰るのが無難ですけど、このまま道なりに、道の駅・あぐりーむ昭和に出ます。

この間来た道を逆に、家路を辿ります

 

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赤い鳥居の棚下不動尊・その3

2021-05-28 16:16:49 | 北毛紀行

晴れました

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

 

放置されて自主的に成長している、桑の大木です。

ドドメが色づいてきました

 

 

棚下不動(たなしたふどう)の滝を目指して、上ります。

だんだん、滝が近づいてきます

滝の向こうに、お堂も見えます

瀑布(ばくふ)という感じです

 

滝の裏には、賽の河原(さいのかわら)?

たくさんの石が積まれていました

 

ここも不動堂でしょう。

お不動様、いるかな?

しつこく覗きましたけど、見えません

とりあえず、合掌

 

お堂の後ろの岩の中に、石造物です。

摩崖仏ではなく、石造物をよそから運んでいます。

 

おや、奥には閻魔大王様です。

合掌

 

赤い鳥居です

本来の参道の到着地点はここだったのです。

落石で崩れたり塞がったりしてしまったんですね

 

滝の裏からの風景をみながら帰ります

恐怖の滝壺ではないけれど、滝壺です。

修験者が滝に打たれている風景があっても、おかしくありません。

パワースポットです

 

坂道を降りてきました。

「SLが見えます。日時はHPで確認して下さい」との貼り紙があります。

後で日時を確認してみましょう

紫陽花もいっぱいあったし、紅葉もあったし、また違う季節に来ましょう

 

もうじき駐車場です

おば(あ)さん達の大きな話し声が聞こえます

「じゃあ、聞いてみようか。」

「大変ですか?」

「楽じゃないけど行ってみる価値ありですよ、頑張りましょう ガンバですよ

おば(あ)さんたちも上って行きました。

 

もう一度、大岩の中から出現した不動明王さんにご挨拶です

さようなら、また来ます

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赤い鳥居の棚下不動尊・その2

2021-05-27 15:04:19 | 北毛紀行

雨の朝です。

ひめちゃんと獅子丸は、貧乏カッパでお散歩です。

ミーナちゃんちのさつきがきれいです

最近、獅子丸の目は、小次郎パパの目だと気づきました。

パパと息子は、案外似ています

 

道ばたのグミも赤くなってます

 

 

 

不動堂に到着です

鳥居があります

手水社の向こうは、双体道祖神かな?

どうも同性の二人に見えなくもないけど?

 

石造物がいろいろあります。

湯殿山・羽黒山・月山、修験道の山ですね。

そうすると、修験系のお堂なのでしょうか?

比較的新しい寄付者名の木札が並んでいます

 

灯籠も新しく寄進されています

ナウい「不動堂」の表示です

 

さて、大岩山不動堂に参拝です。

合掌

 

お堂の右後ろに滝が見えます

あれが棚下不動の滝ですね

 

お堂の裏の石造物も確認です。

 

この方が、一番目立つかな

慶応三年(1867)の文字があります。

どなたかな?

脇に二十三夜塔とあるので、勢至菩薩ですね

あれ、お地蔵様の首が変

 

こちらは片膝あげてます。

ずいぶんとふくよかな如意輪観音です

 

西国板東奉納供養塔って?

 

不動堂の由緒もあります。

ウーン、ちょっと読みにくい

漢字を眺めての大意です。

奈良時代、東国開拓の勅命を受けた大仁鳥臣命は、この地で、人々を苦しめていた暴蛟をやっつけた。後に住民が不動明王を祀った。

 

蛟とは、ウィキペディアによれば、

みずちは、日本の神話・伝説で水と関係があるとみあされる竜類か伝説上の蛇類または水神。

暴蛟(あばれみずち)は、人々を苦しめる悪いやつだったのです。

 

由緒の隣に階段がありますけど、通行禁止です

この階段の参道が、入り口の案内板にあった参道です。

 

鳥居を出て、不動堂右の新しい道で滝を目指します

みんなでいっぺんに上ると、崩れる危険がありそうです

1人ずつ、間隔を空けて上ります。

 

振り返って不動堂です。

ゼイハアゼイハア、結構きついけど頑張ります

 

 

(つづく)

 

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赤い鳥居の棚下不動尊・その1

2021-05-26 19:54:41 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

明日はお天気悪そうだから、今朝は上の沼まで行っておこう

新沼に到着です。

さざ波がたっています。

カモさん、2羽だけいます。

隣の童沢貯水池は、どうかな?

やっぱり鳥さんいません。

ここから一級河川蕨沢川が流れ出しているのです。

暑くなってきたよ

そうだね、早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

 

5月7日、沼田歴史資料館を目指します。

道の駅・あぐりーむで企画展の案内を手に入れたのです。

いつも同じ道じゃつまらない。

利根川の東の道を辿りました。

すれ違いも大変な、怖い道です

 

あれ、「棚下不動尊(たなしたふどうそん)」ですって

もしかして、この道筋かな?

棚下不動の滝は、しっかり準備をして訪問するべきという話を聞きました。

今日は、下見だね

 

 

トンネルまである、険しい細い道が続きます

 

 

突然、棚下不動の瀧の大きな看板です

 

駐車場はと見ると、1台分空いてます

これは、ちょっと寄って行きなさいという、お不動様のお導きかも

 

 

真っ赤な鳥居です

棚下不動堂は、向拝の彫刻の美しい建物だったんですか。

昭和56年に火災によって失われ、再建されたんですね。

不動院奥院の岸壁には、不動明王が祀られているんですね。

 

鳥居がたくさんです

お不動様って、仏様ですよね

自然に神仏習合しています

 

 

さて、行けるかな?

下ってくる人の格好が、わりとラフです。

「こんにちは。お不動様まで行ってきたんですか?距離ありますか?」

「近くはないけど、行ってみる価値ありですよ

「ありがとうございます。行ってみます

 

 

まず、入り口反対側の、この方にご挨拶です

説明板があります。

この不動明王様は東北大震災の地震により不動の滝山頂から落石し、この地に留まった巨岩です。ここに未来永劫の安寧を願い祀ります。

重さは二百トンあり完成までに二年の歳月を要しました。

 

あの時に落下した巨岩なのですね。

あの日、ひめちゃんちのおかあさんは、桐生市の染色工房にいました。

用事が終わって会計をしているときに、ぐらぐら

店員さんが、「この建物は古いから危ない、外に出ましょう。」

外に出た途端、この建物は崩れ落ちました

店員さんの的確な判断がなかったら

 

あの時、この巨岩が、不動の滝山頂から落下してきたのですね

そしてその中から、不動明王が掘り出されたのですね

 

右回りに一周します。

お不動様は巨岩の中でずっと眠っていて、あの日に目を覚まして、みんなを迎えてくれているのかも知れません。

合掌

 

 

赤い鳥居をくぐって、坂道を上ります。

ゼイハア、ゼイハア

 

 

前方の飛び出した岩の上に何かありそうです

坂の途中に、鬼子母神です。

頂上の石宮、文字がありそうですけど、何様かわかりません。

幣束があるので、まだ現役のようです。

とりあえず合掌

 

 

眼下には、利根川です。

さっきあの道を左から来ました

 

 

さて、参道にもどり、奥めざします。

 

 

しばらく行くと、鳥居があります。

不動堂に到着です

 

(つづく)

 

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松ノ木の十二様

2021-05-25 20:11:11 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

強い日射しで、影もはっきり出てます。

獅子くんモコモコ、換毛真っ最中です。

ひめちゃんは、ちょっと神経をとがらせます

自転車の中学生が、登校の待ち合わせです。

大丈夫だよ

彼女らも、「おはようございます。」と明るく通り過ぎていきました。

 

赤城山の緑が、よく見えます。

おや、変な雲が出てます

 

ひめちゃんたちのママ・七海ママが逝ってからもうじき5ヶ月です。

最近、ママは安眠できるようになりました。

その顛末は近日中に報告します。

お墓も落ち着いて、花盛りの七海地蔵です

 

 

(5月5日)ビュースポットの道の反対側に、十二様前のバス停です

バス停があるって素晴らしいことです。

ひめちゃんちのある新里村は、桐生市に合併してから、バス路線はなくなりました

元々の桐生市には、しっかりと市バスが走ってます

 

階段を上がって、さらに参道が続きます。

鳥居の額は、十二山神社です。

 

振り返って、鳥居です。

「平成二十五年、松ノ木平」の文字が見えます。

 

拝殿です。

拝殿の奥が見えます。

とりあえず2礼2拍1礼です。

 

後ろには、石宮が2基です。

本殿ということでしょう。

文字がありそうですけど、ちょっと判読不能です

 

拝殿の後ろ、本殿の前を通って、境内を出ます。

十二様は、山の神ですね

 

貯水池というか、ため池というか?

 

リンゴ畑です。

リンゴの花が花盛りです

 

道なりに、ビュースポットに戻りました。

 

 

さて、後は迷わずに無事に、「道の駅あぐりーむ昭和」に到着です。

込んでます

利根郡昭和村のあぐりーむ、こんなに込んでるとは

(利根郡)昭和村は、ウィキペディアによれば、

・1889年4月1日町村制施行に伴い北勢多郡に久呂保村・糸之瀬村が誕生。

・1896年4月1日北勢多郡が利根郡に編入され、利根郡久呂保村・糸之瀬村となる。

・1958年11月1日久呂保村・糸之瀬村が対等合併し、昭和村が発足。

・1961年8月1日利根村の一部(大字生越)が昭和村に編入。

 

久呂保村・糸之瀬村が対等合併したのです

最近市町村を検索すると、対等合併の文字が目に付きます。

桐生市と新里村は、もちろん対等合併ではなかったようです

合併の意思を問う住民投票もありませんでした

多くの新里住民は、「40億も持参金持って桐生市になっても、何もいいことはなかった」と言ってます

 

道の駅の裏からも、鹿の子まだら的に雪の残る山が見えます

武尊(ほたか)山かな?

 

初めての案内です。

気持ちよく使用しできました

 

野菜とみそを買って帰ります

 

ナビを自宅に入れると、利根川を渡って国道17号線を帰るのが無難のようです。

にぎわうモツ煮の永井食堂を、素通りして帰ります。

そのうちに寄ってみたいとは思っているのですけど

 

 

 

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