黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんのはね瀧道了尊参拝記

2022-02-08 19:14:27 | 小平川紀行・番外編

寒い寒い朝です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の北の方を歩いてきました。

 

ひめちゃんは、もうすぐ10才になります。

最近は、ぬいぐるみの解体新書を卒業したようです

少し前からひめちゃんのお部屋に同居している、キリンさんの抱き枕、無事です

七海ママの形見なので、ママの残り香があるのか、それともひめちゃんの年齢的な変化か?

 

タバサねーちゃんは、解体新書をしない子です。

このクマさん、タバサねーちゃんのお部屋にずーっと同居しています

 

獅子丸も、解体新書をしない子でした

養子に行くとき持って行ったぬいぐるみは、7年後彼と一緒に実家に帰りました

 

紅梅が咲き始めました

草木染めにはまっていた頃、紅梅の枝を煮出すとピンクがかった色が出るとの情報を得て植えたものです。

 

 

 

 

1月22日、タバサねーちゃんと、高津戸峡脇にある大間々の道了尊を参拝しました。

大間々神明宮隣のはねたき広場に駐車です。

犬などのペットの放し飼いはしないでください。またフンの後始末は必ずしてください。

 

タバサちゃん、お散歩OKだね

 

 

付近の案内図も確認です。

はね瀧道了尊、すぐ近くだね

 

 

あの赤い屋根で赤い旗がはためいているところが、はね瀧道了尊だね

白くとがっているのは「はねたき橋」、右の山は要害山だね

 

 

まもなく、はね瀧道了尊に到着です。

道了尊は、「ねじりん棒のほとけ様」ですか

いろいろの御利益があるようです

 

 

門柱に、瑠璃光山光栄寺の文字があります。

ここは光栄寺の管理下にあるのですね。

 

 

すぐ先は行き止まり、右に行くとはねたき橋です。

 

 

門を入ると、左に不動明王です。

朱に塗られています

 

タバサねーちゃん、なかなかコラボしてくれません。

とりあえず、合掌

 

 

隣には大きな大きな赤い下駄です。

天狗の大下駄ですって

「足腰丈夫にと触ってお祈りをして下さい」ですって

小次郎パパに触ってもらいたいね

15歳半になった小次郎パパは、足腰がかなり弱ってます

 

 

ねじりん棒がたくさんあります。

ねじれた子どもを治すため、一本借りて直ったら、もう一本プラスして返すんですね。

 

 

その隣が、道了尊様です。

なんともすごいでたちです

不動明王のようだけど、カラス天狗のようでもあり、ねじりん木も持ってる

狐にまたがってる

合掌

 

 

不動明王・天狗の大下駄・ねじりん棒・道了尊、すごいパワーの一角です

 

 

由来記があります。

以前は、現在地よりも北側100米の斜面を下がった所にありました。~(中略)しかし、昭和二十二年のキャサリン台風による水害で、渡良瀬川沿岸にあった道了堂は、周辺の滝の湯、茶店もろとも一瞬のうちに濁流にのまれ、跡形もなく流されてしまいました。~(中略)~平成十五年(2003年)十一月一日、光栄寺開山四〇〇年を記念して、道了尊をこの地に移転、勧請いたしました。

はね瀧道了尊のこのお姿は、烏天狗のお顔をしており、子どもの心に宿ろうとする悪鬼を睨みつけ、さらに悪鬼を懲らしめる為に右手にねじり木を、左手に綱を持ち、煩悩を焼き尽くす火炎を背負い、疾風より早く駆ける白虎に乗っていらっしゃいます。

 

すごい道了尊様です。

改めて合掌

 

四阿(あずまや)もあって、ゆっくり出来そうです

 

今回は、ここでゆっくりせずに、はねたき橋の方に行ってみましょう

タバちゃん、初めてのはねたき橋だね

 

(つづく)

 

 

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御朱印をいただきました(小平山正福寺・再訪)

2022-02-07 16:10:55 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、岩神沼に到着です。

赤城山が吹雪いています。

帰り道、タバサねーちゃんが仕掛けます。

姉妹でちょっと追いかけっこです。

タバちゃん、遊んでくれてありがとう

 

 

 

先日、新聞の折り込み会報に、こんな記事がありました。

先日のぞき見だけだった、「小平の正福寺の彫刻と天井画」が公開されるというのです。

こんなすばらしい天井画もあったのですね

これは是非行ってみなければなりません

 

小平の里に問い合わせると、「駐車場は親水公園をご利用ください。」とのことです。

時間にゆとりを持って出かけて、とりあえず親水公園に駐車です。

 

道の向こう側に正福寺です。

イベントがあるせいかな?

いつもより旗めいてます。

 

 

少し時間があるので、境内を散策です

生花も元気です。

 

「正福寺について」確認です。

開山が貞和5年(1349)で、655年前ということは、この掲示は約20年前に建てられたんですね。

日光輪王寺より世襲の許可書があるんですか

長楽寺より灌頂の許可書があるんですか

 

 

石仏のみなさん、帽子とオガケが新しくなっているようです。

鐘楼殿にかかるしだれ桜、まださすがに芽が膨らんでません。

鐘楼堂の隣に、工事中の足場があります。

本堂の屋根が壊れたかな?

 

 

午後三時、受付が始まります。

「本堂内はカメラ禁止です。」

はい、カメラをしまいます。

 

残念ですけど、前回の訪問の時ののぞき見の映像でその雰囲気を

これらの彫刻と天井画を、実際にこの目で確かめられました

こんなに素晴らしい彫刻と天井画のあるお寺は、そうはないでしょう。

未だ見たことない躍動的な彫刻でした

 

どうして、こんな山奥(ごめんなさい)に、こんなすごい彫刻と天井画があるのでしょう?

かつては日光に行く道が通じていたという事が、大きな要因でしょう

円空さんも、ここを通って日光に行ったと言うことだし

 

カメラを向けにくかったので、本堂の外まわりも前回の映像です。

 

この本堂は西向きで、午後3時頃に差し込む日の光によって、本堂内の像や天井画がきれいに見えるそうです

本堂の内陣は、まさに極楽浄土なのです

いろいろ詳しく説明してもらいましたけど、ややはりレジメか何かがほしいなあ

会期は延長になって、2月3月の土日にご開帳と言うことです。

会期中にもう一度、しっかりメモを取るつもりで行ってみましょう

 

御朱印が直書きでいただけました

ありがとうございます

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白柴タバサちゃんの高津戸・要害神社参拝記(後編)

2022-02-05 13:38:08 | 小平川紀行・番外編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、久しぶりに諏訪神社の向こうの高台まで足を延ばしました。

薬師の道を歩いて帰ります。

薬坪を持ったやさしい微笑みの薬師様、今朝は目立ちます

浅間山は見えません。

吹雪いているかな?

タバサねーちゃん、ひめちゃんに仕掛けて少し追いかけっこです

遊んでくれてありがとう

 

 

 

要害神社ヘの最後の階段、かなりの急階段です

でも、タバサちゃん、自力で登ります

 

こんにちは

お久しぶりです。

依然と変わらないようです。

鈴を鳴らしたつもりで、2礼2拍1礼です

 

 

本殿はちょいっと近づきがたい

 

 

狛犬さんの後ろには、昭和10年の文字があります。

戦前には留守番もいたということなので、まだ賑やかな時代だったのでしょう。

 

 

以前のままの由来です。

前半は、高津戸城について、かつて言われていた話です。
最近はちょっと違うようです。

『大間々町史通史編上巻』によれば、
結局、高津戸城の歴史について確認できることは、謙信の仁田山攻め以後に城が築かれ、その死後、後北条氏から由良氏に与えられたことである。ただし、それ以前にも砦のようなものがあった可能性は否定できない。


要害神社は、「自音寺の七世高海上人が四国の金比羅宮に参籠していたとき梅枕にたった金比羅神王を、この地に祀ったのが起源」とあります
さらに、「この金比羅宮(現在要害神社)は霊験あらたかで近郷近在の老若男女の参詣者でにぎわったと文政五年の自音寺の古記録に残されている。」とあります。

 

自音寺が深く関わっていたのです

神仏習合の時代には、僧侶が神社を建立することもあったのです。

 

 

タバサちゃん、情報収集中です。

でも、「熊出没注意」「猪出没注意」等の表示もありません。


 

 

手水社脇から、大間々の町を見下ろします。

要害の地です

 

 

さて、帰りましょう。

最初の急階段は、念のため抱っこして降ります

 

 

二の鳥居の向こうに、大間々の町が見えます

 

あたちもがんばりました

あたちの足は大丈夫だったけど、鳥居の足が心配です

 

 

展望台からの大間々の町です。

まさに間間(まま)、河岸段丘の町です

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白柴タバサちゃんの高津戸・要害神社参拝記(前編)

2022-02-04 15:23:12 | 小平川紀行・番外編

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、プーちゃんの前を通って、堀之内の北之方を歩いてきました。

プーちゃん、おはよう

プーちゃんも、ちょっとだけ反応して、遊びました

バイバイ、又ね

 

ひめちゃんちの夏みかんが、たわわに実り、いい色しています

植えた覚えがなく、たぶん台木だと思います。

本体は枯れてしまっても、台木が生き残ったのです。

今年はなのか、今の時期はなのか、とにかくいつもより甘くなってます。

現代の夏みかんほどではありませんけど、昔の酸っぱい夏みかんと比べると、遙かに甘い。

食べられます

皮が向きにくいのが難点ですけど。

 

 

 

お出掛け大好きなタバサねーちゃんにせがまれて、昨日、高津戸の要害神社に行ってきました

高津戸村も、江戸時代には小平村の領主・甲斐庄(かいのしょう)家の領地でした。

そんなわけで、高津戸付近は小平川紀行の番外編ということで、よろしくお願いします

 

要害神社は、何年か前に行ったことがあります。

変わっているかな?

 

要害山の要害神社には、ながめ公園を過ぎて渡良瀬川を渡り、この表示から入ります。

心細い山道ですけど、舗装されています。

対向車もなく、無事到着です。

展望台の脇に、付近の観光案内があります。

高津戸峡の方から、遊歩道が整備されています。

ボツボツ、やってくる人がいます

 

でも、タバサちゃん一行は、遊歩道ではなく要害神社を目指します。

こちらに進路を取る人はいません。

 

タバサちゃん、クンクン情報収集です

ここには、「熊出没注意」「猿出没注意」「鹿出没注意」等の注意看板はありません

タバちゃんも、あまりクンクンせずに進みます。

 

まもなく、一の鳥居です。

元は真っ赤な鳥居だったのでしょう

前回のこんな感じでした

 

 

落ち葉に、足がズブズブ。

しっかり落ち葉が積もってます。

舗装の道を歩くよ

大分登ってきました

 

 

二の鳥居が見えてきました。

ちょっと、険しい道だね

 

 

二の鳥居を過ぎると、黄色い花が見えます

ロウバイです

ロウバイの向こうには、三の鳥居です。

 

ここのロウバイの花は、花芯が赤い赤目のロウバイです。

きれいだね

 

 

三の鳥居をくぐります。

 

鳥居をくぐると、社殿が見えてきました。

でも、急階段で切り立ってます

ちょっと、きついね

タバちゃん、登れるかな?

 

 

(つづく)

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山田郡・福岡村の記憶

2022-02-03 14:36:00 | 小平川紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

今朝は、以前の道をガラスの破片に十分気を付けて通過します。

葛塚城の堀切跡には、ガマの穂がいっぱいです。

朝日を受けて、不思議な景色です

また、フランクフルトみたいなときに、寄りたいね

岩神沼に足を延ばします。

沼は氷が大分張っていて、誰もいません。

 

 

 

最近、小平(おだいら、みどり市大間々町小平)によく行ってます。

基本的には、大間々の本町通りを北上し、渡良瀬川を渡って右折、県道334号線を辿ります。

この時渡る橋は、福岡大橋です

 

右折してしばらく行くと、東京電力・福岡発電所です

 

道の反対側の山からも水を入れているようです。

ここは、福岡橋です

 

すぐ側に、大きな庚申塔があります。

東に進路を取り少し行くと、突き当たりです。

 

左折してまもなく、大きな目立つ碑があります。

「解村記念碑」ですって

「福岡記念館、旧福岡村役場跡」ですって

 

 

小平へは右折ですけど、みどり色の「福岡記念館→」の表示に誘われて行ってみましょう

 

山村風景が広がります。

記念館というような建物はなさそうです。

もしかしたら、最初にあった集会所というか公民館というかの雰囲気の建物がそうだったかも。

 

おや、禅桂寺(ぜんけいじ)に出ました。

松源寺にある円空仏は、もともとはこちらの寺にあったのです。

紅葉のころ、お邪魔しました。

とりあえず、車中から合掌

 

道なりに、県道334号線に出ました

 

しばらく進むと、学校が出現します。

福岡中央小学校です

 

 

さらに行くと、菅原神社手前に、「そば処ふくおか」です。

福岡村の記憶が、けっこう残ってます

 

 

でも、福岡ってどこだ?

現在の住所には福岡の地名はなさそうです。

 

ウィキペディアによれば、

福岡村(ふくおかむら)は群馬県の東部、山田郡に属していた村。現在のみどり市大間々町福岡地区に相当する。

歴史

・1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により山田郡浅原村、塩原村、小平村、長尾根村が合併し山田郡福岡村が成立する。従前の各村はそのまま大字となる。(例:山田郡福岡村大字浅原村)

・1916年(大正5年)6月1日各大字内の「村」を削除。(例:山田郡福岡村大字浅原)

・1954年(昭和29年)10月1日山田郡大間々町へ編入する。

・2006年(平成18年)3月27日山田郡大間々町が新田郡笠懸町、勢多郡吾妻村と新設合併しみどり市となる。

 

旧大間々町の渡良瀬川左岸の村々が、旧福岡村で福岡地区だったのです

 

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