昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

情報の価値を創造することの必要性

2012-01-21 08:41:00 | 日記・エッセイ・コラム

朝から底冷えがする。昨日からの雪も断続的に続いているし、うちのボロのエアコンでは、こんな寒さの中十分に暖まらないし、布団にもぐりこんでいるしかないような日である。さて、こんな極寒の中にも拘らず布団にはもぐりこみはしなかったが、ストーブに身を寄せ、一日丸くなっていた。そういう状態では、頭の中は巡る巡る、様々な思いや、記憶の断片や、観想や、種々ごったなパンセがぐるぐると回転している。中でも思ったのは、近年の情報技術の発達、特にモバイルの情報端末、iPadとかiPhoneの類い、そしてSNSと称するtwitterやfacebookなどのシステムの普及と、異常に高度化された技術及び洗練された使い勝手が目を見張るほどであるということ。まったく日進月歩というかドッグ・イヤーというか、5年前には考えも想像もできなかったことが、いまや大衆レベルで可能になってしまう情報技術なのであった。しかし、ふと思う。自分はこのどれも使ったことがあるが、すぐに飽きてしまう。つまらん。ビジネス用に使うにしても、今一、付加価値に乏しいように思える。情報を運搬する技術と製品は究極レベルで、発達・普及したが、どうも使う側としては不満である。これは、情報の運搬技術が飽和するまで高度化したにも関わらず、「情報」自体の質と価値が、過去から見ても劣化の一歩を辿っている結果だと愚考する。考えても御覧なさい。40年前のテレビは、ブラウン管の白黒のすぐ故障するどうしようもない機械であったが、見たい番組が目白押しであった。チャンネル争いなんてことが、家族の中で頻繁に行われていた。はてさて、昔のコンテンツ・ソフトはその時代状況と進度に比して高度なものだったのである。それに対して、いまどうしても見たいテレビ番組がありますか?デジタルハイビジョンと機械は高度化したが、コンテンツが追いつかず、デバイスを持て余しているというのが現状だろう。書物の世界でもそうである。いま出版不況と言われる中、続々と新刊書が出版されているが、そんなものにどれだけの価値があるのだろう。そんな新刊を読むよりも、古典に慣れ親しんだほうが、よほど為になるし価値ある情報を仕入れられるのではないか?だから、twitterやfacebookに書き込まれる情報も一概に言ってつまらんつまらん。これらが世の中を動かすとはとても思えない。「アラブの春」にこれらの情報システムが大活躍したという話を聞くが、そこでは特殊な政治・社会状況があり、情報のもつ価値も、それを民衆間で共有することの意味も、現代日本とは比べ物にもならないほど切迫した要求と、影響力があったのだろう。日本のはちっとも面白くない。そこで提言したいのは、これから、これらの情報技術に頼ろうが頼るまいが、発信する情報、そして受け手の側のセンシビリティをもっと磨くことに関して社会教育を行う必要があろう。かつての古典の大家がものしたような作品、大革命を引き起こしたようなプロパガンダが、良い悪いは別として、今の日本の世の中に出現する可能性がないのは、いかにも社会が沈滞し、貧困化している証左であると見る。この状況を打ち破るには現代日本人は、情報技術の発達に目を奪われることなく、"savoir"(知)の限界に挑むチャレンジ精神が要求されている。そして100年後、200年後にも必要とされるコンテンツを創造する力を持つことが望まれる。それは、折角、これだけ発信する情報技術が発達したことを思えば、プロの文筆家や制作者のみならず大衆レベルにも求められることであるのだ。

さて、今晩の夕飯はあまりの寒さのため、当初、から揚げにする予定だった鳥腿肉を使って、急遽、水炊きを作ることにした。台所係はかーたん。熱々の水炊きに身体の芯から温まった。

寄せ鍋をつつき大仰に世を憂う     素閑

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                         雑炊です。食べ切れなかった。