立春は過ぎたが、春は確実に近づいてきている。梅の蕾が緩み、早春の花の訪れが告げられ、厳しい冬の寒さからの解放はすぐそこまで来ている。
この時期に我が家の食卓に必ず載るのが京菜鍋である。これは昨年のエントリーにも書いたが、冬が過ぎようとし、春の緑の奈の先駆けである京菜を貪り食うことにより、春の精気を吸収しようという思いもある。とにかく京菜を食う。この料理の醍醐味はそこに尽きる。ただし、これは我が家のオリジナル料理ではなく、何十年前かの雑誌に載っていたサントリーの広告で『すき焼き』として紹介されていたものである。だしと塩と味醂と隠し味にたらした醤油の寄せ鍋風の割り下を煮立たせて、そのなかにどっさりと京菜と豚肉を入れる。さっと京菜が茹だったら、あとは一心不乱に食う。京菜の一把ぐらい簡単に食べられてしまう。まさに春の精気を貪り食うという表現があたっている。
花をのみ待つらむ人に山里のゆきまの草の春をみせばや
この紀友則の歌が、今の季節の心を最も的確に表していることと思う。今晩、今年の念願であった京菜鍋を食った。さあ、春の訪れを待つばかりである。
春寒の夜もふけりつしんしんと 素閑