秋めいていたのだが、前夜から、また雨だ。
今日は、北澤八幡の例大祭だというのについていない。
雨では、仕方がない。
数年前の鎌倉旅行について綴る。
この時も雨だった。
雨の鎌倉へ行く前に、藤沢で遊行寺に寄ってきた。
遊行寺は時宗総本山。
時宗は一遍上人が開いたものだ。
「一遍上人は伊予国河野通広の子で浄真といった。はじめ叡山にのぼって天台宗をきわめ、その後浄土宗西山派に学んだ。禅宗や神社信仰とも接触し、教理よりも実行によって民衆を教化した。その念仏踊りはむかしから民間にあった踊りに仏教をとりいれたものである。
一遍という名は、熊野の証誠殿で「六号名号一遍法」の神託の偈を感得したことによるそうである。
一遍の教団を時宗、古くは時衆といった。在来の宗教ではないという意味であろう。一遍は空也上人になぞらえて、諸国を行脚し、念仏をひろめた。彼の後継者も代々遊行したので、遊行上人とよばれた。
正中二年、遊行四代他阿上人が藤沢に一寺を建立した。遊行寺は正しくは藤沢山清浄寺という。記録によると、延文年中に足利尊氏が堂宇を修造したとある。大正十二年の関東大震災で堂塔の多くは倒壊した」(加藤慧「野の道・野の塔・野の仏」)
遊行寺には、適当に当たりをつけて、足を向けたが、途中で迷ってしまいまった。
駐車場の警備員の人に道順を聞くと、丁寧に教えてくれた。
大通りを右に曲がると、藤澤橋という大きな橋が架かっている。
遊行寺の境内は広々としていて、さすが総本山の格式だ。
小栗判官と照手姫の塔が見たかったのだが、塔中の長生院の墓域は閉じられていた。
換わりに、遊行寺境内の小栗堂という建物を見てきた。
堂宇を囲んで墓が並んでいる。
無縁塔もあり侘しい心持になった。
小栗堂に上がっていく坂道の途中に、地蔵の群れがあった。
石塔ばかりを見てきた目にはなにかほっとさせられる。
法師蝉雨の木立と六地蔵 素閑
境内の入り口の近くには、「怨親平等碑」がある。
応永二十二年、上杉氏憲と足利基氏が戦ったときの敵味方の戦死者、軍馬を弔って、十五世尊恵上人が建てたものだ。赤十字精神の濫觴として史跡に指定されている。
祭の準備だろうか、法被にねじり鉢巻の男が集まっている。
雨降りて氏子たむろす秋祭り 素閑
男たちが立ち上がり、一仕事始めようとするのを潮に遊行寺を後にした。
ふるでらの松の枝端に秋意あり 素閑
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