一か月ほど前の新聞に、いわゆる「終活」をすべきかどうか、というテーマでコラムが載っていた。
それの筆者は、読者から、どうも終活をしなければいけないのではないか?という相談を受けたらしい。
それに対して、筆者は、自分なら終活などしない、自分の死んだ後など知ったことではない、後に残されたものに迷惑が掛かろうが、死んだ後は関知のしようがない、近年の流行のように巻き起こった終活ブームに左右されたくない、というような論だったと思う。
しかし、この回答者の女性エッセイストの筆致には「私は自由に生きるのよ。私は生を謳歌するの」という主張が見え隠れしている。
要は、人間誰もが直面する死というものに伴って、身辺を整理しておこうという、ごく自然の感覚に思い至っていない。
オカブはできれば終活をしたいと思う。しかし、おそらく確実に面倒臭くなって終活などしないだろう。
死というものは、精魂尽き果ててくたばった、というのがオカブの理想である。
まきびらきあしたの飯の当番か 素閑
くさはらを走り回りつまきびらき 素閑
遠きさと母よりたよりまきびらき 素閑
風はこぶあわき花びらまきびらき 素閑
草笛のふるえてなりつまきびらき 素閑
のうさぎも蛙もいでよまきびらき 素閑
川掬い冷やこい水やまきびらき 素閑
苦学してさとに帰りぬまきびらき 素閑
まきびらき昼の湯浴みのぬるきかな 素閑
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