安ければ安いほどいい。品質は高ければ高いほどいい。機能は高ければ高いほどいい。
買い物をする立場からすれば当然である。
しかし、こういうディマンドサイドの過剰な要求はマクロ的に経済を疲弊させる。
昔はボロな商品でも結構な値段で売っていた。
しかし、そこにも需要はあった。
貧乏でなおかつ物のない時代だったからだ。
それで経済も潤ったし、成長もした。
現在の日本の経済の滞留は少子高齢化や財政赤字高度成長を経て全体が衰退期に入っているなど。様々な理由が考えらるだろうが、一面ではこうしたディマンドサイドの過剰な要求に対して、サプライサイドが疲弊してしまった結果とも受け取れる。
なぜコンビニを24時間営業にしなければならないのか?
確かに、そこには需要があるだろう。
しかし、その需要は「過剰な要求」である。
「安い、旨い、早い」は確かに需要に応えたであろうが、逆に牛丼業界を疲弊させてしまった。
欲求は、ほどほどのところで抑えておくのが良い。
そこそこ良いものをそこそこの値段で買うことに満足しなければ、市場は限界的競争に陥り、勝者のない世界になってしまう。
まずは「足るを知る」ことである。
啓蟄や獄の中にてはや三年 素閑
啓蟄や荷役の男の太き腕 素閑
啓蟄に不遇の末のふて寝かな 素閑
山越へて里にいでむと啓蟄や 素閑
朝月も眺めて野良へ啓蟄や 素閑
おざなりに並ぶ地蔵の啓蟄や 素閑
啓蟄にわだち新しぬかる路 素閑
箱根路の啓蟄の空清きかな 素閑
啓蟄やクレオソートをどぶに撒き 素閑
嵯峨の畑啓蟄の日のおだやかさ 素閑
啓蟄や菜をば商ふ老婆かな 素閑
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