禅には曹洞宗と臨済宗と大きく分けて二つの宗派があるのはご存知だろう。(隠元の伝えた黄檗宗もあるが非常にマイナーである)
道元が日本の法主の曹洞宗は別として臨済禅はそこから細かく枝分かれする。
鎌倉禅には建長寺派と円覚寺派に分かれる。
それぞれ蘭渓道隆と無学祖元の法統を継いでいるからだ。
そして南北朝を経て京都に禅の中心が移ると、南浦紹明、宗峰妙超(大徳寺開山・大徳寺派)、関山慧玄(妙心寺開山)と続く法統と、足利尊氏の寵愛を受けた無窓疎石の天龍寺派が相対する。
しかし、江戸時代に降って白隠慧鶴らの輩出もあり、現代の臨済禅の系統は何派というのとは別に、応(大応国師・南浦紹明)、燈(大燈国師・宗峰妙超)、関(関山慧玄)の法統に続く者が司っている。
特にこの妙心寺派の系統をひく臨済禅は禅風峻烈、寒中の氷のような修行姿勢であるという。
オカブは禅とはなんの縁もないのだが、一つの自力の宗教として、また釈迦の上座仏教を大乗仏教の中で最も忠実に継いでいるものとして禅に興味を持っている。
現代は第二次の禅ブームともいわれているが、浮薄に流されず、地道に禅の後代への継承を行っていただきたい。
暮れの園漂ふばかり寒鴉 素閑
啼きてなほ日の落つるを知る寒鴉 素閑
友も去り独りぼっちや寒鴉 素閑
潰れたる工場の街寒鴉 素閑
今日もまた腹すかしけり寒鴉 素閑
寒鴉尾を引き啼ひて泣き通し 素閑
寒鴉掛け売り手形流れけり 素閑
松の葉の揺れる降しや寒鴉 素閑
荒れ寺の坊主の朋よ寒鴉 素閑
寒鴉二本脚にていざるさま 素閑
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