因果応報と言う言葉があるがこれはまことにその通りである。
原因があって結果がある。
その双方にはそれなりの筋道がある。
そして結果を作った原因は自分の責任なのだから反省せよということである。
近年の自己責任論に近いものでもある。
我々は須らく、毎日を原因の創成と結果の享受に明け暮らしている。
良きこともあれば悪しきこともある。
ただ常に結果は自分に返ってくることを頭に入れて緊張を持って過ごさないと、足元をすくわれる。
なかなか楽ではないが、生きることとはそういうことである。
蔓草の鋭き棘や春浅し 素閑
ポケットに手をいる画家や春浅し 素閑
水澄めど汲むものも無し浅き春 素閑
曙や浅き春をば始めけり 素閑
古妻と手を取り合って浅き春 素閑
石段に照る日の明かき春浅し 素閑
表にて泣く子の頬や春浅し 素閑
山里の川の木橋や春浅し 素閑
硝子窓開けてはみるや春浅し 素閑
高麗の青磁買わされ春浅し 素閑
すり硝子朝日に光り春浅し 素閑
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