はじめに
今、私は日本を離れようとしている。海外へ旅立つなど、以前の私には考えも及ばない事で、今こうして飛行機にシートに座っている事すら不思議なくらいだ。 この旅は、本当は社長が退職ということでみんなでスキーにでも行って慰労しようではないか、という事務長と主任の誘いで企画されたものである。当初、10名くらいでカナダにでも行こうという事でしたので、一度は海外でスキーをしたかった私は、その企画に名前を連ねてしまったのが、昨年の夏の事だった。しかし、時期が近づいてくるにしたがい、話がどんどん変わっていった。金銭的にもヨーロッパでもスキーができるからそっちに行こうという事になっていた。しかも10名も連ねていたほとんどの人が、結局行けないという事になってしまい、社長を入れてたったの4名になっていたのである。その4名が今、この飛行機の中にいるのである。しかも、スキーのスの字もなく、ただの観光でイタリアに行くのである。スキーの文字が企画から消えた段階で、私も消えたかった気持ちが多少なりともあったのだが、キャンセルの時期を逸してしまったというか、もうすでに抜けれない状態に陥ってしまっていたというか、熊谷組の構成員に完全になっていたのである。
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イタリアに関しては、殆ど知識などない状態だったので、一応数冊のガイドブック読んだりもしたのだが、それほど自ら進んで企画に参加したものではなかったので、気合いもそれほどはいっていない。しかも以後にも述べるが、出発の状態が、自然(天候)の状態、山ちゃんの健康状態があまり思わしくなかったので、「もしかするいけないのではないか」ななどと思いながらの出発であった。しかし、今こうして飛行機の中にいる自分は、とても不思議な空間にいるのだということを実感している。
出発
今日は1月4日、松門もとれて本当に新年の始まりである。いち早く会社に出かけて有さんと山ちゃんを待っていた。外はものすごい吹雪である。今朝の気温は氷点下5度で町中が凍り付いている。そして、一寸前が見えないくらいの猛吹雪である。社長は新年会を某所で行う予定になっている。
山ちゃんがにやっていたのは10時を過ぎていた。何と風邪をひいている。ただでさえ顔色のよくない山ちゃんの顔は青いというより土色になっている。熱もあるのだ。すぐ第1病院へ薬をもらいに行くという。「もし行けなかったらごめんね」などと私のよくいう台詞を残して、第1病院に向かった。
今朝、妻子が大館の実家に戻った。そろそろ着いていろ頃だと思って電話を入れると電車が2時間以上遅れていてまだ着いていないという。私たちは今晩の「白鳥」で秋田までいって上野行きの寝台列車で東京に向かう事になっていた。とりあえず、本荘駅に行き情報をもらうことにする。駅にはいつもより人が多く、何となく喧噪としている。やはり、電車は遅れている。30以上の遅れはありそうだとのこと。学校に電話をして有一先生に指示をあおぐことにした。その結果、この状態で電車は無理と判断して、誰かの車で行った方が良いということになった。誰に送ってもらうかという事になり、最初は福士君に白羽の矢をたてたのであったが、篤さんがトラサルディーのセーターで僕が送ってあげるということで彼に送ってもらうことになった。
社長は新年会に参加しており、なかなか連絡が取れなかったが、奥さんに連絡してもらうことにして、自分も準備を始めた。
午後6時10分前に西目のキャメルマートで拾ってもらうことにしていた。いよいよ出発である。社長がすでにワゴン車に乗っていたが、そのいでたちに唖然とした。どう見ても海外旅行に行く姿ではないのである。その姿はまさしく、「山菜取り」という感じである。10年は履いていると思われるアシックスのシューズで足下は固めてはいる物の、今の気温は氷点下5度以下で、一寸先が見えないほどの吹雪の中では寒々としている。そういう自分も、初売りで買った福袋の服を一式まとっており、ヒッピーみたいな格好であったので、あまり格好については話さないことにした。
6時前には山ちゃんをM&Mで予定通り乗り込んだ。奥さんが送ってくれる。そういえば熱を押しての出発になった。7時18分に秋田駅に着いた。のろのろ運転であったが、以外と早くついた。そこで、再会を誓いながら篤先生と別れた。その時すでに、3人とも「トラサルディー」というメーカー名を忘れていた。
秋田駅で3人は夕飯を食べた。猛烈に寒かったので湯豆腐で一杯という形にした。実は電車は弘前発であったので38分遅れていた。ゆっくり出発の喜びとこの天候のすさまじさを話し合いながら、電車を待った。乗車する際、ビールとお酒をしこたま積み込んだ。電車は出発したものの四つ小屋の駅に20分以上止まっている。山ちゃんはビールを飲みながら読書にはいっている。50分以上の遅れで湯沢駅に到着した。電車は出発したが、有さんはなかなか現れない。とても心配したが、約5分後に姿を現した。4人でもう一度乾杯し、11時過ぎには3段ベッドの中段に入った。少々飲み過ぎてしまった感覚を残して浅い眠りには入った。
続く
今、私は日本を離れようとしている。海外へ旅立つなど、以前の私には考えも及ばない事で、今こうして飛行機にシートに座っている事すら不思議なくらいだ。 この旅は、本当は社長が退職ということでみんなでスキーにでも行って慰労しようではないか、という事務長と主任の誘いで企画されたものである。当初、10名くらいでカナダにでも行こうという事でしたので、一度は海外でスキーをしたかった私は、その企画に名前を連ねてしまったのが、昨年の夏の事だった。しかし、時期が近づいてくるにしたがい、話がどんどん変わっていった。金銭的にもヨーロッパでもスキーができるからそっちに行こうという事になっていた。しかも10名も連ねていたほとんどの人が、結局行けないという事になってしまい、社長を入れてたったの4名になっていたのである。その4名が今、この飛行機の中にいるのである。しかも、スキーのスの字もなく、ただの観光でイタリアに行くのである。スキーの文字が企画から消えた段階で、私も消えたかった気持ちが多少なりともあったのだが、キャンセルの時期を逸してしまったというか、もうすでに抜けれない状態に陥ってしまっていたというか、熊谷組の構成員に完全になっていたのである。
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イタリアに関しては、殆ど知識などない状態だったので、一応数冊のガイドブック読んだりもしたのだが、それほど自ら進んで企画に参加したものではなかったので、気合いもそれほどはいっていない。しかも以後にも述べるが、出発の状態が、自然(天候)の状態、山ちゃんの健康状態があまり思わしくなかったので、「もしかするいけないのではないか」ななどと思いながらの出発であった。しかし、今こうして飛行機の中にいる自分は、とても不思議な空間にいるのだということを実感している。
出発
今日は1月4日、松門もとれて本当に新年の始まりである。いち早く会社に出かけて有さんと山ちゃんを待っていた。外はものすごい吹雪である。今朝の気温は氷点下5度で町中が凍り付いている。そして、一寸前が見えないくらいの猛吹雪である。社長は新年会を某所で行う予定になっている。
山ちゃんがにやっていたのは10時を過ぎていた。何と風邪をひいている。ただでさえ顔色のよくない山ちゃんの顔は青いというより土色になっている。熱もあるのだ。すぐ第1病院へ薬をもらいに行くという。「もし行けなかったらごめんね」などと私のよくいう台詞を残して、第1病院に向かった。
今朝、妻子が大館の実家に戻った。そろそろ着いていろ頃だと思って電話を入れると電車が2時間以上遅れていてまだ着いていないという。私たちは今晩の「白鳥」で秋田までいって上野行きの寝台列車で東京に向かう事になっていた。とりあえず、本荘駅に行き情報をもらうことにする。駅にはいつもより人が多く、何となく喧噪としている。やはり、電車は遅れている。30以上の遅れはありそうだとのこと。学校に電話をして有一先生に指示をあおぐことにした。その結果、この状態で電車は無理と判断して、誰かの車で行った方が良いということになった。誰に送ってもらうかという事になり、最初は福士君に白羽の矢をたてたのであったが、篤さんがトラサルディーのセーターで僕が送ってあげるということで彼に送ってもらうことになった。
社長は新年会に参加しており、なかなか連絡が取れなかったが、奥さんに連絡してもらうことにして、自分も準備を始めた。
午後6時10分前に西目のキャメルマートで拾ってもらうことにしていた。いよいよ出発である。社長がすでにワゴン車に乗っていたが、そのいでたちに唖然とした。どう見ても海外旅行に行く姿ではないのである。その姿はまさしく、「山菜取り」という感じである。10年は履いていると思われるアシックスのシューズで足下は固めてはいる物の、今の気温は氷点下5度以下で、一寸先が見えないほどの吹雪の中では寒々としている。そういう自分も、初売りで買った福袋の服を一式まとっており、ヒッピーみたいな格好であったので、あまり格好については話さないことにした。
6時前には山ちゃんをM&Mで予定通り乗り込んだ。奥さんが送ってくれる。そういえば熱を押しての出発になった。7時18分に秋田駅に着いた。のろのろ運転であったが、以外と早くついた。そこで、再会を誓いながら篤先生と別れた。その時すでに、3人とも「トラサルディー」というメーカー名を忘れていた。
秋田駅で3人は夕飯を食べた。猛烈に寒かったので湯豆腐で一杯という形にした。実は電車は弘前発であったので38分遅れていた。ゆっくり出発の喜びとこの天候のすさまじさを話し合いながら、電車を待った。乗車する際、ビールとお酒をしこたま積み込んだ。電車は出発したものの四つ小屋の駅に20分以上止まっている。山ちゃんはビールを飲みながら読書にはいっている。50分以上の遅れで湯沢駅に到着した。電車は出発したが、有さんはなかなか現れない。とても心配したが、約5分後に姿を現した。4人でもう一度乾杯し、11時過ぎには3段ベッドの中段に入った。少々飲み過ぎてしまった感覚を残して浅い眠りには入った。
続く
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