3月20日
6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる。案の定寝ていたが、電話の声は元気で安心した。私は、5時に朝のジョギングに行くことのしていたのを男子二人に言ったら、行きたいということだったので、一緒に朝RUNをすることにしていた。5時に彼らは、走る気満々で私の部屋にやって来た。しかし外は真っ暗だったので、30分遅らせる事にした。30分後に、彼らは、走る気満々で私の部屋にやってきた。下で待っているように告げて、ジョギングシューズをはいて、ロビーに降りるが、彼らの姿見つからない。2分くらい待ったが、来ないので一人で走り始めた。オペラハウスまで走るつもりだったが、6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる約束をしていたので、シドニー軍港まで行って戻った。
6時30分
グッスリ休んでいるQさんを起こして、5階のレストランに向かう。簡単なバイキングであったが、子供達は、朝から食欲旺盛である。何故かお粥が有ったので、暫くお米に会えなのではないかと思いお粥を二杯いただいた。
7時20分
子供達は10分前行動で本当に時間を良く守る。部屋点検をして、忘れ物は、団長さんのカメラだけという。言動には多少の問題もあるが、よく出来た子達である。
8時05分
シドニー空港到着後、荷物を預け、検査を受ける。セキュリティが、厳しく、K中のH君は、怪我で右肩が上がらず、別室で点検をうける。無事全員がチェックインし、空港の中でオーストラリアドルの残りを飲み物やお菓子、お土産をそれぞれ買った。しかし、物価の高い国である。飲料水に関しては日本の3倍から4倍もする。ただの水が480円位である。とにかく高いということは、日本よりオーストラリアの経済力が高い事を意味する。水だけでなく、何から何まで高いんです。
10時15分
クライストチャーチ行きのジャンボジェットが離陸した。ドバイの航空会社の飛行機でemirates航空というアラビア文字がいたるところに書かれている飛行機であった。アテンダントも民族衣装のような出で立ちで、イスラムを感じた。
機内食はビーフが基本で、チョコレートやビスケット、ケーキもついていた。ライスの他にパンまでついていた。さすがにお腹一杯である。しかも時計はさらに2時間進めたので、12時というものの、まだ実際には、ニュージーランド時間では10時である。
15時20分
クライストチャーチに到着。10:15にシドニー空港到着を出発して3時間チョイしかたっていないのに、クライストチャーチでは15じである。しかも南ほど夜更けが遅く夜明けも遅い。子供達にも時差が分かってきたようだ。
両替
空港のチェックアウトも厳しかった。団長が婦人警官に質問責めを受ける。割って入った私も何を話しているのか全く分からない。ユウさんがいなければと思うとぞ~とした。
空港では現地エージェントのダッチさんが迎えてくれた。とても陽気な方で安心した。まずは、両替である。皆、2万円位を換金していた。
その後、ボロボロのカローラにスーツケースを運ぶためのトレーラー牽引され私たちのホースティプログラムが始まった。16時50分過ぎにコミュニティセンターのようなところで、オリエンテーションを受け、カシミア高校の玄関に到着。さすがにみんな緊張している。私は、フォトグラファーのキースさんの家でホームステイすることのなっている。6時お迎えがやって来た。覚悟決め子供達の目には力が宿っていた。私の目はいつもの力はない。
英会話は車の中では難しい。ボディランゲージが全く効かないからである。しかも、私のステイ先はカシミア高校から40分もかかった。いえにつくやいなやビックリしたのは、猫であった。しかも猫の名前が海だと言うのだ。その猫の目が海のようにぶるーだったので海とつけたそうだ。私は大の猫嫌いである。しかもわたしの孫娘と同じ名前海である。
夕食は息子さんと娘さんと4人で食べた。気を遣ってくれてご飯を炊いてくれていた。ニュージーランドでは温かいものを食べる習慣が無いので、冷めたご飯である。インディカ米である。日本では食べられないご飯に感動すら覚える。普段あまり手を付けないサラダをたくさんいただくことができた。10時過ぎまで話し込んでベットに入った。熟睡・・・・(*^◯^*)
6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる。案の定寝ていたが、電話の声は元気で安心した。私は、5時に朝のジョギングに行くことのしていたのを男子二人に言ったら、行きたいということだったので、一緒に朝RUNをすることにしていた。5時に彼らは、走る気満々で私の部屋にやって来た。しかし外は真っ暗だったので、30分遅らせる事にした。30分後に、彼らは、走る気満々で私の部屋にやってきた。下で待っているように告げて、ジョギングシューズをはいて、ロビーに降りるが、彼らの姿見つからない。2分くらい待ったが、来ないので一人で走り始めた。オペラハウスまで走るつもりだったが、6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる約束をしていたので、シドニー軍港まで行って戻った。
6時30分
グッスリ休んでいるQさんを起こして、5階のレストランに向かう。簡単なバイキングであったが、子供達は、朝から食欲旺盛である。何故かお粥が有ったので、暫くお米に会えなのではないかと思いお粥を二杯いただいた。
7時20分
子供達は10分前行動で本当に時間を良く守る。部屋点検をして、忘れ物は、団長さんのカメラだけという。言動には多少の問題もあるが、よく出来た子達である。
8時05分
シドニー空港到着後、荷物を預け、検査を受ける。セキュリティが、厳しく、K中のH君は、怪我で右肩が上がらず、別室で点検をうける。無事全員がチェックインし、空港の中でオーストラリアドルの残りを飲み物やお菓子、お土産をそれぞれ買った。しかし、物価の高い国である。飲料水に関しては日本の3倍から4倍もする。ただの水が480円位である。とにかく高いということは、日本よりオーストラリアの経済力が高い事を意味する。水だけでなく、何から何まで高いんです。
10時15分
クライストチャーチ行きのジャンボジェットが離陸した。ドバイの航空会社の飛行機でemirates航空というアラビア文字がいたるところに書かれている飛行機であった。アテンダントも民族衣装のような出で立ちで、イスラムを感じた。
機内食はビーフが基本で、チョコレートやビスケット、ケーキもついていた。ライスの他にパンまでついていた。さすがにお腹一杯である。しかも時計はさらに2時間進めたので、12時というものの、まだ実際には、ニュージーランド時間では10時である。
15時20分
クライストチャーチに到着。10:15にシドニー空港到着を出発して3時間チョイしかたっていないのに、クライストチャーチでは15じである。しかも南ほど夜更けが遅く夜明けも遅い。子供達にも時差が分かってきたようだ。
両替
空港のチェックアウトも厳しかった。団長が婦人警官に質問責めを受ける。割って入った私も何を話しているのか全く分からない。ユウさんがいなければと思うとぞ~とした。
空港では現地エージェントのダッチさんが迎えてくれた。とても陽気な方で安心した。まずは、両替である。皆、2万円位を換金していた。
その後、ボロボロのカローラにスーツケースを運ぶためのトレーラー牽引され私たちのホースティプログラムが始まった。16時50分過ぎにコミュニティセンターのようなところで、オリエンテーションを受け、カシミア高校の玄関に到着。さすがにみんな緊張している。私は、フォトグラファーのキースさんの家でホームステイすることのなっている。6時お迎えがやって来た。覚悟決め子供達の目には力が宿っていた。私の目はいつもの力はない。
英会話は車の中では難しい。ボディランゲージが全く効かないからである。しかも、私のステイ先はカシミア高校から40分もかかった。いえにつくやいなやビックリしたのは、猫であった。しかも猫の名前が海だと言うのだ。その猫の目が海のようにぶるーだったので海とつけたそうだ。私は大の猫嫌いである。しかもわたしの孫娘と同じ名前海である。
夕食は息子さんと娘さんと4人で食べた。気を遣ってくれてご飯を炊いてくれていた。ニュージーランドでは温かいものを食べる習慣が無いので、冷めたご飯である。インディカ米である。日本では食べられないご飯に感動すら覚える。普段あまり手を付けないサラダをたくさんいただくことができた。10時過ぎまで話し込んでベットに入った。熟睡・・・・(*^◯^*)