自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

ホームステイ終了

2013年03月24日 21時01分58秒 | 

3月23日
今日はホストファミリーと終日フリーの日である。今日も雲一つない晴天である。私のステイしているキースさんには朝食を食べる習慣がなくて、頼めば作っているくれるのだが、シリアルを食べるくらいなら食わない方がマシなので、食っていない。娘のマーシャはカレッジで心理学を学んでいて20歳の可愛らしいこである。しかし、レントゲン技師の長男がいて、年が42歳というので、訳ありに違いない。ダッジさんにキースの家族構成のことを聞いても口を濁しているので、そこは触れないことにした。
私のステイ先は、市街地のハーバーでリトルトン地区といい、山の斜面にキチンと区画された少し前の高級住宅地である。しかし、地震の最もひどかった地域で、未だ補修できない家がたたあり、その爪痕を垣間見ることができた。
キースは、今日のスペシャルとして、散歩を提案してくれた。一足歩き出すと付近全体がキースの宝物なので、それが最高のおもてなしだと考えたのだと思う。私のプロフィールに登山が好きと書いたので、選んだのかもしれない。いずれにせよ約3時間のウオーキングをした。それはとても有意義な時間になった。
帰ってきてから、キースが刺身を作ってくれた。サーモンとハマチのような魚の刺身を作ってくれた。ご飯なし、他のおかずなしの昼食である。我慢できずパンを一枚いただいた。一生忘れられない思い出となった。直ぐに胃薬を飲んで食中毒予防をした事を付け加えておこう

その後、4時30分にキースの家を出て、ダッジさんの家に向かった。車はあるが、ドアホンを押しても反応なし。じつはドアホンは壊れていて更に、彼は、熟睡していたのである。日本人スタッフとニュージーランドスタッフがドッジさんの好意でラグビーの観戦ができる事になっていたのである。地元チームのクルセイダーズの応援をすることとなった。出来たばかりのスタジアムが地震で使えなくなり、仮説スタジアムでの観戦だっただ、物凄いもりあがりであった。大差で、クルセイダーズの勝利であった。Qさんが一番盛り上がっていた。

さて、子供達の様子をお知らせしよう。
まずは、NさんとRさんであるが、午前中は、クリケットの練習を見に行きその後ショッピングし、昼からは、小さな動物園に出かけキウィを見たそうです。
Sさんはゴルフをし、その後、プールで泳ぎ更には、買い物をしたそうである。
R君は、100km以上のスピードでトンネルくぐり抜けでかい港のあるところに行き、海辺をウオーキングしたりしたということでこれは、私がステイしていたリトルトンに行ったのだと思われる。その後、ウオールクライミングをするなどしていたそうだ。
K中Kさんは、トランポリンをしたり、ショッピング中心にエンジョイしたそうです。
他の男子3名は海で泳いだりして楽しんだようです。



3月24日
今日は移動日である。朝5時クライストチャーチ空港集合であった。5時に空港集合ということは4時には最低でも起床しなければならないのだ。団長さんと私の車が最後だった。何故遅くなったかは後ほど触れることとする。子ども達は一度も時間に遅れない行動を最後までしてくれた。
空港でホームステイ先のファミリィとの別れである。

私を見つけると誰とはなしに、昨日のフリータイムの事を教えてくれた。全員が充実感で一杯である。見送りの家族と別れを押し見つつ、私たちは、オークランド行きの国内線に搭乗した。ほぼ6時に出発し、7時には到着した。オークランド空港では国際線搭乗エリアまでバスでの移動となる。国際線のチェックは厳しく団長さんはじめ複数の子供達が詳細チェックを受ける羽目になった。

オークランド空港内での乗り継ぎは多少時間あったので残ったニュージーランドドルを使い切ったり、日本円に換金した。その中で、K中H君がウオンに換金したことである。機転のきいた良い発想である。そして、飛行機はオークランドを飛び立った。直ぐに機内食が運ばれ長い11時間のフライトである。

中断
みんな元気だ。それが何より嬉しい。夜の間に出来事を書き留めて、ブログをアップしたが、回線が細く日本のようにサクサクいかなくてイライラしていた。写真も沢山見せたかったが、重くてうまく小さくできた写真だけしかけアップ出来なかった。IPadでの作業のため、変換がうまく行かず、面倒なのでそのままアップしているところも多々あり、少々恥ずかしいが、保護者の皆さんの反応でアップ続けた。帰ったら、キチンと直したい。
オークランドから仁川までは、とにかく長かった。11時間近くかかる。それに騒ぐこともできない。機内食はおやつがh二回、ご飯が二回でた。団長さんは、カップラーメンをオーダーしていて羨ましかったが、動いていないので、お腹いっぱいである。
映画も飽きて、読書をする。読書をする子供達が数名いたがふと気がつくと寝てしまうの繰り返しであった。

長い長い飛行機の時間が終わり、仁川空港に到着5時を過ぎていた。入国審査をパスし、スーツケースを取りに行く。コンベアーで次々と荷物は回ってきてそれぞれが荷物を受け取るがK中Sさんのスーツケースだけこない。ついにエンドになった。彼女の控えをみると行き先が秋田空港になっている。オークランドのエージェントの確認ミスだ。ユウさんの機転でスーツケースはSさんの手元に届きひとあんしんである。7時40分にホテルに約40分位遅れて到着。夕食に行く気満々である。外はとても寒い。私と団長さんはラーメン屋に入り、ユウさんと子ども達は焼肉屋に入た。そのあとコンビニで明日の朝食の食材を購入し9時20分には各自部屋に入った。
明日は最終日です。子ども達は今日も元気でした。ちなみにこの旅で雨だったのは、出発の秋田だけで後は雨を一粒も見ていません。

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カシミア高校へ

2013年03月23日 16時10分13秒 | 
3>月22日
日はカシミア高校での体験授業である。私は、10時にニュートンさんのいるところに送ってもらい、後で学校に行くことになっていた。ニュートンさんと子供達の昼のピクニック食材を買い、そのあと意味のわからない英会話をしていたら、彼のオフィスと彼の経営するアクティビティ施設を見学させられてしまった。やはり、イエスだけ言っているのは駄目なんだと思い知らされた。10時に30分団長を拾いカシミア高校へ入る。子供達はホームステイ先の子供達と一緒に登校して日本語の授業を行っているはずである。

何度もの棟を経由して教室に入ると子供達がしっかり他の子供の中に入ってコミュニケーションをとっている。特に😂K中のR君はラテン系のノリでぶちかましている。女子も普段は控えめなのに、ガンガンイッテイテ頼もしさを感じる。


その後、記念写真を撮って貰い、車でプライマリースクールにはいる。小学生6年生に日本語を教えるというプログラムである。ここでも、R君は本領発揮していたカエルの歌を全員で輪唱し、ここで体験授業は終わりである。
昨日のガイドさんはの翔子さんと合流しクライストチャーチの中心地が一望できる公園でピクニック形式の昼食をとる。みんなバクバク喰っている。そうとても元気だ。でも私はパンは苦手だ。一番こたえているのはどうやら私のようだ。ゆうさんも団長さんもパンが大好きだ。
昼食をとった後校外のビーズショップでブレスレットを作る。ここで性格がはっきり分かる。K中サッカー部とダンスユニットのふたりは直ぐにビーズを決めて出来上がりはとても速い。
N中のNさんはしっかり計算して上限ギリギリの綺麗なものを作っている。他の二人はとにかく妥協を許さないタイプで時間をかけて作り上げた。また、K中A君はユニークな作品を作った。でもとりわけ団長さんが作ったドクロのブレスレットは最強である。
もうすでに15時をすぎていたがビーチで30分ほど過ごして、子ども達は一旦ホームステイ先に帰った。

18時 パーティー
ホームステイ先の家族全員が集合して大宴会が始まった。バイキング形式で行われ、私は、寿司を食べた。思ったより大掛かりで日本領事の菊地さんという方まで来ていた。盛り上がりすぎて、団長さんのスピーチが割愛されざんねんであった。ホストに一人一人挨拶するが、どんな様子かまでは、聞くことができなかったが、もうすっかりホストファミリーに受け入れられていることが分かってとても嬉しかった。私も徐々にいい感じである。キースはプロの写真家で彼の写真集をサイン入りでいただくことができた。しかもヌードの写真だ。私が彼へのプレゼントはコマだったのでもう少しいいものを持ってくれば良かったと後悔している。
長い一日が終わった。明日は教職員異動発表だ………
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カンタベリー博物館ほか

2013年03月22日 06時51分12秒 | 

3月21日
朝6時にベッドから出る。カーテンを開けると、真っ暗だがハーバーの夜景が美しい。ここは夜明けが遅いのだ。私は、キースさんに朝RUNがしたいと告げていたので、6時30分過ぎにに真っ暗闇の朝に外に出た。とても寒い朝である。星が美しい。30分ほどハーバー付近を走っていると、しらじらと夜が明けてきた。今日はピーかんである。
子供達はどんな夜を過ごしてきたんだろう。朝ごはんをキースが作ってくれて、7時50分には娘さんと家を出た。朝になっていると英語が分かっているはずだが、そんなことがあるわけない。40分の乗車は苦痛だった。カシミア高校玄関で降ろしてもらう。キースさんに親子と別れる。可愛らしいエンジのブレザーの生徒が楽しそうにとうこうしている。黒い学ランとネイビーのセーラー服とは格段の差がある。
玄関先に団長さんの姿が見えた。K中Sさんの姿も見える。みんな元気だ。誰もが、堰を切ったように、ホームステイ先のことを話してくれる。誰一人ホームシックかかっている様子はない。
クライストチャーチでの日本人ガイドさんは、ショウコさんという方がしてくれた。大阪出身の方でラテン系の明るさをもっている。
8時50分
2台のレンタカーで移動開始である。最初はカンタベリー博物館に向かう。本当に良い天気である。道中、男子のホームステイの話をずーと聞かされる。特にK中サッカー部の二人は喋り続けている。K君の家は大きな牧場があるようで、、ニワトリの卵を取ったり、牧場の話に夢中だ。R君は相当お金持ちのお家らしいということであった。当初、リーダーのA君とH君は、同じホームステイだったのが、急きょ別々になっていた。つまり、二人とも単独でのホームステイに現地でなってしまったのである。でもそれは逆に良い方向に向いていたみたいで、二人とも結構楽しく過ごしてきたみたいである。特にA君は、英会話にどんどんチャレンジしている。明らかにボディランゲージの1年生とは違いがある。
一番喋れているのはN中リーダーのN子さんのようだ。非常に落ち着いている。K中女子3人のモチベーションはとても高い。


今日の最初はカンタベリー博物館での見学である。2年前の地震の為まだ一部しか公開されていない。学芸員さんが南極関係のことを中心に約1時間にわたり説明してくださった。女子はメモをとったり、写真に収めたり、しっかりお話を聞き、記録をとっている。男子は・・・・・・

売店でお土産を購入。オーストラリアに比べると安い。ほぼ日本と同じ物価水準である。キーホルダー10個まとまりで15ドルは安いような気がして私まで買ってしまった。

10時過ぎに地震博物館に向かう。1ヶ月前に公開したてのミュージアムである。ここら辺が地震の直撃地ということで復興はまだまだである。3・11の地震と比べると・・・・・・という思いが湧き出る。福島や宮城、岩手ではあの様なミュージアムはできないなと思いながら、説明を聞いた。ここでは、復興後の教会をこんな風にしようみたいなブロック積みコーナーがあり、8人全員がロゴブロックにはまっていた。

災害のレベルが日本より小さいため、子供達にとっては、どうだったのかな?しかし、し日本人が30名近くなくなったビルの空き地には現在でも多くの花がたむけられているの見て、それまで騒いでいた子供達の声がなくなった。また、クライストチャーチのシンボルであった大聖堂は完全に崩壊されたままで復興が遅れており、日本の動きよりそうとう遅いのではないかと思った。
11時30分過ぎにトラブルが発生した。何とレンタカーのエンジンがかからないのである。レンタカーはトヨタエステマの古いタイプである。ドッジさんはお手上げ状態だったので私がチャレンジしてみるが、どうかんがえてもバッテリーあがりの症状である。
女子の車は異常なかったので、先に南極博物館に出かける。男子グループは、レンタカー会社の修理が終わるまで暑い中待ちぼうけだ。女子の車は異常なかったので、先に南極博物館に出かける。男子グループは、レンタカー会社の修理が終わるまで暑い中待ちぼうけだ。女子は12時過ぎには南極ミュージアムでにつき昼食を食べる。

バカデカイオムレツやキッシュを食べる。私は大分ご飯がきつくなって来た。K中K君は、ランチをたくさん持たされていて、そちらをたべた。それはそれでとても美味しそうであった。一年男子グループは30分遅れで到着し昼食にありつけた。昼食後、雪上車乗車体験があった。急勾配を上がったり、降りたり池の中を走ったり、ディズニーランドのアトラクションみたいだ。子供達の歓声がクライストチャーチに響き渡った。
続いてミュージアムに入場する。白瀬記念館にスコット隊やアムンゼン隊をあわせた大規模な施設で、ブリザードを実際体験できる部屋もあり氷の滑り台で大声で滑り続ける彼らを見て他の人はどんな風に思っていたのだろう。一通り説明を受け、ここでも、お土産タイムをつくる。

中断
今日は教員の異動発表ですね。この4月から象潟中に転勤になります。驚きですね。象潟中の保護者の皆さん宜しくお願いします。 さて、男子に写真もアップしたいのですが、ルーターのスピードが遅すぎて大変なのです。沢山写真は撮ってますので安心を
今日は全くホームステイ任せの日です。現地時間10:44

その後、ユウさんのホームステイ先のストーンさんの自宅でバーベキューをする。子供達のホームステイ先の子供達をニュートンさんが全員連れてきて貰い、総勢20人以上のバーベキューパーティーが始まった。子供達は本当に楽しそうで、男女混合で鬼ごっこをしたり、ボールで遊んだりしてときをすごした。
キースもきてくれてワインを飲んでいる。私と、k中のR君ペアを乗せ、先ずはR君のホスト先に向かう。私おしては甚だ不安であったが、本人が酔っていにと判断すれば、運転できるということなのだそうだ。無事に今日が終わってゆっくりした。

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ホームステイ初日

2013年03月21日 22時11分49秒 | 
3月20日
6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる。案の定寝ていたが、電話の声は元気で安心した。私は、5時に朝のジョギングに行くことのしていたのを男子二人に言ったら、行きたいということだったので、一緒に朝RUNをすることにしていた。5時に彼らは、走る気満々で私の部屋にやって来た。しかし外は真っ暗だったので、30分遅らせる事にした。30分後に、彼らは、走る気満々で私の部屋にやってきた。下で待っているように告げて、ジョギングシューズをはいて、ロビーに降りるが、彼らの姿見つからない。2分くらい待ったが、来ないので一人で走り始めた。オペラハウスまで走るつもりだったが、6時に女子の部屋にモーニングコールをいれる約束をしていたので、シドニー軍港まで行って戻った。
6時30分
グッスリ休んでいるQさんを起こして、5階のレストランに向かう。簡単なバイキングであったが、子供達は、朝から食欲旺盛である。何故かお粥が有ったので、暫くお米に会えなのではないかと思いお粥を二杯いただいた。
7時20分
子供達は10分前行動で本当に時間を良く守る。部屋点検をして、忘れ物は、団長さんのカメラだけという。言動には多少の問題もあるが、よく出来た子達である。

8時05分
シドニー空港到着後、荷物を預け、検査を受ける。セキュリティが、厳しく、K中のH君は、怪我で右肩が上がらず、別室で点検をうける。無事全員がチェックインし、空港の中でオーストラリアドルの残りを飲み物やお菓子、お土産をそれぞれ買った。しかし、物価の高い国である。飲料水に関しては日本の3倍から4倍もする。ただの水が480円位である。とにかく高いということは、日本よりオーストラリアの経済力が高い事を意味する。水だけでなく、何から何まで高いんです。
10時15分
クライストチャーチ行きのジャンボジェットが離陸した。ドバイの航空会社の飛行機でemirates航空というアラビア文字がいたるところに書かれている飛行機であった。アテンダントも民族衣装のような出で立ちで、イスラムを感じた。
機内食はビーフが基本で、チョコレートやビスケット、ケーキもついていた。ライスの他にパンまでついていた。さすがにお腹一杯である。しかも時計はさらに2時間進めたので、12時というものの、まだ実際には、ニュージーランド時間では10時である。
15時20分
クライストチャーチに到着。10:15にシドニー空港到着を出発して3時間チョイしかたっていないのに、クライストチャーチでは15じである。しかも南ほど夜更けが遅く夜明けも遅い。子供達にも時差が分かってきたようだ。
両替
空港のチェックアウトも厳しかった。団長が婦人警官に質問責めを受ける。割って入った私も何を話しているのか全く分からない。ユウさんがいなければと思うとぞ~とした。
空港では現地エージェントのダッチさんが迎えてくれた。とても陽気な方で安心した。まずは、両替である。皆、2万円位を換金していた。
その後、ボロボロのカローラにスーツケースを運ぶためのトレーラー牽引され私たちのホースティプログラムが始まった。16時50分過ぎにコミュニティセンターのようなところで、オリエンテーションを受け、カシミア高校の玄関に到着。さすがにみんな緊張している。私は、フォトグラファーのキースさんの家でホームステイすることのなっている。6時お迎えがやって来た。覚悟決め子供達の目には力が宿っていた。私の目はいつもの力はない。
英会話は車の中では難しい。ボディランゲージが全く効かないからである。しかも、私のステイ先はカシミア高校から40分もかかった。いえにつくやいなやビックリしたのは、猫であった。しかも猫の名前が海だと言うのだ。その猫の目が海のようにぶるーだったので海とつけたそうだ。私は大の猫嫌いである。しかもわたしの孫娘と同じ名前海である。
夕食は息子さんと娘さんと4人で食べた。気を遣ってくれてご飯を炊いてくれていた。ニュージーランドでは温かいものを食べる習慣が無いので、冷めたご飯である。インディカ米である。日本では食べられないご飯に感動すら覚える。普段あまり手を付けないサラダをたくさんいただくことができた。10時過ぎまで話し込んでベットに入った。熟睡・・・・(*^◯^*)
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シドニーの一日

2013年03月21日 17時38分44秒 | 
7時5分ジャストミートでシドニー空港到着
予定時間の寸分の狂いなしで着陸する。もう既に疲れている。そこから入国手続きが面倒であった。時計は2時間すすめている。日本ではまだ5時30分である。何とかm入国を済ませ、オーストラリア大陸に上陸。雨予報であったが、何とか晴れている。私の晴れ男のおかげだ。いよいよ1日目の使節団の始動である。バスにのりこむやいなや優さんの首が右に45度以上傾いている。ガイドさんの説明がこもりうたのごとくである。

予定時間の寸分の狂いなしで着陸する。もう既に疲れている。そこから入国手続きが面倒であった。時計は2時間すすめている。日本ではまだ5時30分である。何とかm入国を済ませ、オーストラリア大陸に上陸。雨予報であったが、何とか晴れている。私の晴れ男のおかげだ。いよいよ1日目の使節団の始動である。バスにのりこむやいなや優さんの首が右に45度以上傾いている。ガイドさんの説明がこもりうたのごとくである。
車はボンダイビーチに向う。気温は20度くらいだどうか。ウイークデーだというのに沢山お人が朝からサーフィンや海水浴を楽しんでいる。ボンダイビーチは真っ白ででしかも磯臭くない 。まずk中女子kとrが靴下を脱ぐ。やる気まんまんだ。仕方なく、n中Nとk中が靴下を脱ぐ。飛行時間の鬱憤を晴らすがごとく、ボンダビーチイでのかれら発奮ぶりは見ていても、ウンーであった。k中の頑張りにもウンーであった。パンツまでびしょ濡れの根性に一枚座布団ですか?まだ初日だのに。


次に時間潰しにシドニー湾が一望できるサウスヘッドのゲエッツ公園に行った。とにかく眠いのに、団員は頑張っている。しかし、海もシドニー湾もとにかく綺麗すぎる。子供達はめいめいカメラマンの如く写真を撮りまくっている。その後、私は彼等のカメラを手渡され、専属カメラマンと科すのである。雨の予報は見事に外れ、ピーカンになっている。この時の気温は25度を超えていたと思います。随行のユウさんはすでに強い日差しを受け一杯ひっかけたような顔になっています😛


10時10分にウララ市の職員と合うことになっていて、白瀬南極隊の銘版のある公園へ到着。市の広報の方が楽しい口調で、約20分位白瀬の偉業について説明があった。子供達にとっては、既に知っていることばかりなのだが、真剣に聞いていた。そしてなにより極彩色のインコやオウムが飛んでくるのに感動したのである。
Fling Antに注意という看板があり、そのアリはどんなアリですかとK君がきいたところパークの管理者がコレだよとアリを手に取ったら何と其の蟻に刺されてしまい指がみるみるうちに腫れ上がり彼は直ぐにぬり薬で応急処置を施し、鎮痛剤を飲んでいました。木から飛び降りて首を刺される事が多々あるらしく、少々怖い思いをしました。ウララ市からお土産をいただきパークを後にしました。

11時30分過ぎに市の中心部に入りました。両替を行い、フードコートでそれぞれが昼食をとるという計画です。両替は日本時の経営する日本ショップみたいなところで行ったので、トラブルなく済ませることに成功。円安になっていて、1ドル約100円位です。お金をオーストラリアではあまり使う必要はないので、3000円両替していたようです。その店でいくらかお土産も買って、フードコートに出かけました。行ってみてビックリです。何から何まで高いんです。コーラが400円とかハンバーガーが、セットで1000円近くするなど物価が高いんです。K中のhくんは、400円もするアイスを食べて他食べないで終わってしまいました。

13時15分
フードコートを後にして、オーストラリア博物館に行きました。そこでは訪問者というステッカーを貼り、一般の方は入れない収納庫に案内され学芸員の方の説明を伺いました。白瀬が贈った刀の実物を見させていただいたり、写真資料中心に白瀬の偉業について話されましたが、団長のQさんの方が詳しいみたいでした。子供達は交流使節団の意味が分かったようです。約1時間の滞在でしたが、団員の疲れはピークです。
15時
南極観測船しらせへの表敬訪問です。数日前南極からシドニー軍港に停泊中という事で、交流団の乗船がかなったのです。外務省を通して、交流協会のお力添えでできたことでした。軍港のためセキュリティが、厳しく最初トラブルがありましたが、10数分後には入場することができました。しらせの広報担当の方がDVD視聴後、本当に隅から隅まで案内していただき皆感動していました。今日のメインイベントはこのことでした。
17時05分
今日の予定の最後はオペラハウスでの記念写真の撮影でした。クイーンエリザベス号が丁度停泊中でこの大きさに皆驚き、ここでも私は皆のカメラマンと化していました。
17時30分
ホテルにチェックインしました。子供達達はペアになって部屋に入りました。1時間後夕食をスーパーで買い物するため、ロビーに集合を伝えましたが子供達は、時間に遅れることなく集合し、まず出国カードを書いたあと、スーパーに出かけました。サンドイッチを中心に食材を買い、部屋に戻りました。21時に部屋に電話を入れるが全員良い子にしているみたいでした朝は6時起床である。
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秋田出国 辛いエコノミークラス

2013年03月20日 22時04分26秒 | 
秋田空港に到着後、荷物を預け、チェックインする。何事もなく全員が出国手続を済ませる。2時30分いよいよ大韓航空機が秋田を飛び立つ。ほぼ満席である。
3時すぎに機内食が出ました。あれは何という料理なんだろう。子供達には少し辛かったようだ。ハングルのオンパレードで少しばかり食傷ぎみである。


5時18分インチョン空港に到着。とにかくでかい空港である。乗り継ぎターミナルまでは、電車で行かなければなりません。その電車がとてもかっこいいんです。

仁川空港での乗り継ぎも二度にわたるセキュリティチェックで結構ギリで乗り継ぎました。いよいよシドニーへ出発です。7時10分過ぎに飛び立ちましたが、天候はあまり良くないらしく、結構揺れました。8時過ぎに機内食が出ました。ビビンバや牛肉定食など数種類ありましたが、私はビビンバを選びました。とても美味しかったです。


ほとんどの子供達がビビンバを選びましたが、団長だけはビーフを選びました。以外にビーフの方が美味しく見えました。旅慣れているQさんの勝ち。これから長い長い夜です。映画を見ながら、眠ろうと頑張りますが、中々寝付けません。映画を3本見た頃には2時を過ぎていました。ほとんどの子が熟睡できていませんでしたが、K中の女子は寝ていたみたいです。


3月19日
日本時間の5時過ぎにおしぼりが渡され朝食が配られました。子供達は眠そうです。時差が2時間あるので日本時間では朝の5時起床ということになります。お粥とハムエッグの2種類の朝食でしたが、迷わずお粥の方を選びました。私以外は殆ど子が洋食を選んでいたようです。全然動かないで食べては寝るのくり返しで、ズボンのベルトがキツくなってきました。
感想 夜のフライトは結構キツイ!!
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ニュージーランド訪問団出発

2013年03月18日 11時13分19秒 | 

予定より早く出発しました。
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ニュージーランドへの軌跡

2013年03月13日 11時19分44秒 | 
にかほ市 NZ クライストチャーチ市訪問が間近となりました。
今日は、第四回目のオリエンテーションです。
ちなみに白瀬ニュージーランド協会長の佐々木Q氏のバイナリティは凄いです。
私はこれからしばらくの間、ニュージーランド旅行の様子をこのブログでお知らせします。
旅行日程は
3月18日秋田空港14:35発インチョン行に搭乗し19:10発シドニー行きの大韓航空機にて出発です。
インチョン空港はソウルの空の玄関口・仁川(インチョン)国際空港です。イギリスの建築家テリー・ファレルが大型船舶の帆をイメージして設計した流美なデザインが特徴で、最先端の施設と機能、充実の文化空間を誇り、2001年3月29日のオープン以降、幾度となく世界ベスト空港に選ばれている空港です。
楽しみです。

さて、
今日は出発前の最後の研修会です。ALTのリアム先生の英会話教室はとても楽しいです。
1時間にわたり英会話を楽しみました。

【ニュージーランド お土産】キウイミニチョコ6箱セット(ニュージーランド おみやげ)
クリエーター情報なし
JTB 世界のおみやげ屋さん
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