源氏物語談義。
帝は、「華やかで、しかも、恐ろしい。」
道長は、「不実の罪は、必ず己に帰ってまいりますので。」
よく言うわと思ってしまいました。
あかねが、「罪のない恋などつまりませんわ。」
赤染衛門まで、「人は、道険しき恋にこそ燃えるものでございます。」
寛弘八(1011)年
中宮は、帝のことを案じます。
帝は、「苦しい想いをしておる民の心に少しでも近づくためだ。」と、薄着の理由を答えます。「民の心を鏡とせねば、人の上には、たてぬ。」
帝が、咳き込みます。体調が良くないようです。
道長は、大江匡衡 から、占いの結果を聞きます。
占いには、崩御の気がでているとか。
道長は、譲位に備えることとします。
次の東宮は誰か。
四納言の会合で、話されますが。
敦康親王をおすのは、行成ただ一人。道長に逆らえる者などいません。
道長は、東宮に会いにいったあと、娘の妍子のところへ。
妍子は、彰子と性格が違うようです。派手好きで、ものを買うのにためらいもありません。「父上のために、我慢して、年寄りの后になったのに。敦明様が良かった。」と。
一条天皇は、敦康親王を東宮にと願いましたが、あの行成に反対されます。外戚が大事ということらしいです。
天皇の意に反してまで、自分の孫を天皇にと思うことは、権力者として、当然かもしれませんが、やはり、悲しいことだと思います。
道長が、次の東宮は、敦成親王にと中宮に伝えると。
「なにゆえに、私にひとこともなく、次の東宮を敦成に、お決めになったのか。」と怒りまくります。
「父上は、どこまで、私を軽んじられるのですか。」
「政を行うは、私であり、中宮様ではございませぬ。」
これは、きついひとことです。
あのおとなしく、言われるままに歩んで来たはずの彰子が、すっかり大人になり、人として、成長しました。
成長した故に、味わう悲しみだったのかもしれません。
彰子が、かわいそうでなりませんでした。
一条天皇は、譲位。
在位期間は、25年。
三条天皇の御代、東宮は、敦成親王。
一条天皇は、辞世の句を詠みます。
「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵ちりを出でぬる ことぞ悲しき」
副題の「君を置きて」は、この辞世の句からとられたものだったのですね。
一条天皇崩御。
賢子、双寿丸に助けられます。
双寿丸役、伊藤健太郎さんが演じています。復帰できたのですね。
双寿丸に、お礼のごちそうをといって、家に連れてきたとき、まひろが、帰ってきます。つづく。
一条天皇崩御。
幸せだったのかなあ。愛する定子を失って、彰子になかなか心を開けず。
やっと心を開いて、二人の子供を授かるものの、敦康親王を次の東宮にできなかったのは、心残りだったことでしょう。
逆に言えば、敦康親王が次の東宮になったことで、道長の座は、盤石です。