長和三(1014)年
三条天皇と妍子との間に禎子内親王が生まれました。
道長の思い通りにはいきません。
というか、三条天皇のお渡りがあったのですね。そこが意外。
道長は、帝に、国家安寧のため、譲位を迫ります。
まひろは、光る君亡きあとの物語を書いています。
帝は、紙を逆さまにして、読もうとしています。
「左大臣の良きようにいたせ。」と投げやり。
道長は、いつもの面々を集め、帝は目が見えず、耳も聞こえぬことを話します。
「御譲位を願いたてまつる。」
行成以外は、同意。行成の表情が気がかり。
行成は、道長に、「太宰府にまいりたいと存じます。」
もはや、道長に異を唱えても、聞き入れられないと感じたのではないでしょうか。
敦康親王は、妻をめとります。
彰子と敦康親王の笑顔が、良かったです。
道長が心配するような関係ではなかったと思います。
三条天皇は、実資の息子・資平を蔵人頭にしたいと道長に言いますが、反対されます。
怒って立ち上がろうとして転んでしまう帝。
道長は、「ご譲位くださいませ。」「譲位はせぬ。」
三条天皇が気の毒になってきました。
精神的にも追い詰められていますよね。それが、道長の作戦なのかもしれませんが。
東宮である敦成親王が、偏つぎ遊びをしています。
そこへ、道長やってきて、敦成親王に年を聞きます。
「7つ。」
先帝が即位なさった年だという道長。なんか嫌な人になりましたね。
7歳で帝とか、実権を握りたいだけでしょう。
皇太后がまひろに尋ねます。
「政とは、それほど酷にならねばならぬものであろうか。」
まひろは、「人の上にたつものは、限りなく辛くさみしいと思いますが。」
「たったひとりで、何もかも奪いたいと思われないのではないか。」
まひろは、あくまで、道長の味方ですね。
皇太后は、「籐式部は、父上びいきであるのう。」
すっかり、変わられた皇太后。
皇太后が政に携わることができたら、きっとよりよき世の中になったように思います。
実資と道長の会話。
「幼い東宮を即位させ、政を思うがままになされようとしておることは、誰の目にも明らか。」
「思いのままの政をしたことはない。」
「左大臣様の政とは何でございますか。」
「民が幸せな世をつくることだ。」
「 朝廷の仕事は何か起きた時、まっとうな判断ができるように、構えておくことでございます。」「帝のご譲位は、今少しお待ちくださいませ。」
道長の言うことより、実資の方が、正しいことを言っているように思えます。
実資を演じているロバート秋山さん、なかなかどうして、ぴったり役にはまってきています。
倫子が孫を抱いています。
藤原教通の子供です。頼通には、子供がいないようです。
頼通は、妻・隆姫だけを愛しているようで、当時としては、珍しいと思います。
その後、倫子が大胆発言。「私は、殿に愛されていない。」
すべてお見通しというところでしょうか。「たまには、私の方をご覧くださいませ。」
越後守だった為時が、3年ぶりに都へ戻ってきました。
双寿丸が、やってきます。
為時は、双寿丸の出現に驚きます。
為時も長寿だったのですね。孫が、こんなに大きくなって。
隆家は、木の枝が目に刺さって養生しています。
大宰府に宋人の眼科医がいるらしいと聞き、大宰府へ行きたいと申し出ます。
11月臨時の除目で、隆家が、大宰府に行くことになります。
ということで、行成は、都にということになります。
道長としては、行成に、そばにいて欲しかったのでしょう。
望みを叶えてあげないのは、何なのでしょう。
隆家の申し出が、渡りに船みたいでした。
双寿丸、大宰府へ行くと。
賢子が、一緒に行くと言いますが、断られます。
賢子が、まひろに、「母上は、ふられたことある?」「あるわよ。泣きたければ、私の胸で泣きなさい。」
すっかり母娘の関係は、修復しましたね。