寛弘六(1009)年
彰子は、敦成親王に続いて年子の御子を出産。
御子のうぶやしないが、行われていました。
賢子に、左大臣からの賜り物。
中宮が身につけるような立派な反物が入っていました。
惟規が、「やっぱり自分の子は、かわいいんだな。」とポロッと。
為時は初耳だったそうです。
道長はもちろん、賢子も、知らない事実。
いつかまひろが、道長に話すときがくるのでしょうか。
寛弘七(1010)年
道長は、盤石。
仲間たちと宴を開いています。
「俺の目の黒いうちに、敦成様が、帝になられるお姿をみたいものだ。」
これが、道長の本音でしょう。
伊周は、具合が悪いらしいと。
伊周も、道長にとっては、邪魔な存在です。
心の中では、きっとほくそ笑んでいることでしょう。ちょっと悲しいです。
まがりなりにも、二人は、いとこ同士なのですよね。
伊周、臨終。
伊周は、嫡男・道雅に、「左大臣には従うな。」。
翌日、伊周は、36年の生涯を閉じます。
伊周の死を悼む帝。
敦康親王の元服を急がせます。
一条天皇としては、なんとしても、敦康親王に後を継いで欲しいはず。
一条天皇も具合が悪そうなのが、気がかりです。
中宮とまひろが、学んでいます。
そこへやってくる妍子。道長の次女です。
彰子と性格は、全然違うようです。
18歳も年上の居貞親王の后となるようですが、それが、不満のようです。
彰子は、「宿命にあらがわず、その中で、幸せになるが良い。」良いこと言いますね。
妍子は、「私たちは、父上の道具でございます。」
本当のことですけど、ズバリ口にだすのが、妍子という人なのでしょう。
妍子は、東宮の后となります。
幸せそうではありません。
妍子の敦明親王の舞にうっとり。何か起きる前兆でしょうか。
惟規が、従五位の下。
いとは、この日が来ると思って、赤い束帯を準備していました。
いとにとって、惟規が、我が子のように思えるのでしょう。幼いときから、ずと育てていたのですから。
賢子の裳着が、行われます。
「母上と同じ道を生きたくは、ございませぬ。」
まひろと惟規。
「親子って変わらないようで変わるんだな。」
「賢子の母上は、姉上だけなのだから。」「きっとみんなうまくいくよ。」
優しい弟をもちましたね、まひろ。
越後の守に任じられた為時。
越後へ向かう為時と惟規一行。
突然、惟規が馬上で倒れ込み、馬から転げ落ちてしまいます。
な、なんだと思ってしまいました。
あっという間に床につき、辞世の句を書いて、亡くなります。
ナレ死というのも、あるけれど、亡くなる時を描かれるのをみると、涙してしまいます。
紫式部の弟という立場、居心地悪かったでしょうね。
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