セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記 その2

2017年08月10日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、イタリアサッカー観戦記。

 「サン・シーロはプロの建築関係者が見てもすばらしい」。

 との話を聞いて、一路ミラノにむかった私。

 ミラノは日本ではミラノ・コレクションなどで有名なわりには、滞在するにはさほど魅力はない街である。

 観光地は駅前にあるドゥオーモくらいだし、有名な『最後の晩餐』も修復具合がイマイチで、はっきりいってヘボい。メシも、これはミラノにかぎらず北イタリアの大都市はたいていそうだが、マズイ。

 あとは買い物くらいで、グッチやプラダの店では日本人観光客が黒山の人だかりになっているが、ブランドものに興味のないプロレタリアートには無縁の場だ。

 することがなくて、なぜか町の床屋で散髪などしながら時間をつぶして、さて陽も落ちたところでいよいよサッカーを見に出かける。

 インテルの本拠地であるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァはバスで行くこととなる。

 予想通りというか、サッカー目当ての日本人旅行者もけっこういて、同じバスに乗り合わせてあれこれ話したりもした。

 その中には某有名サッカー誌の元編集者で、今はフリーのライターとして活動しているという方もおられて、他の面々が、

 「え? ○○誌で働いてたんですか? ボク読んでますよ!」

 などと感激して、あれこれと裏話的なことを聞きたがっているのをよそに、そのライター氏は延々と同乗していた日本人女性をナンパしていた。おいおい、男も相手したれよ。

 そんなつっこみを入れているうちに、バスはサン・シーロに到着。土曜のナイトゲームというせいか、客席は満員であった。

 多いだけではない。熱気もすごかった。まだ試合がはじまってもいないのに、各所で「オーオー」という声援。

 隠し持ってきたのだろう、発煙筒を炊く者、酔っぱらっているのか、すでに小競り合いをはじめている若者もいる。

 うーん、これこそがサッカーの会場やよなあ。私はその盛り上がりに、はじめて

 「本場のサッカーや!」

 という高揚感を覚えた。

 これまでもベルギー、フランスでサッカーを見たが、それらの国のスタジアムはもっとおとなしかった。

 客層にブルーカラーのおじさんが多くて、気取ってないのはミラノと同じだけど、観客も声は出すけど粗暴ではないし、ましてや身の危険のようなものなど感じることもなかった。

 ところが、このサン・シーロではずいぶんと雰囲気が違う。なんというのか、誤解をおそれずに言えば、こっちのほうが数段いかがわしい。

 渦巻く熱気に、うっかりしていると事故に巻きこまれたりするんじゃないかとか、明らかに

 「サッカーだけが人生のダメおじさん」

 みたいな人がイッた目で声を張り上げていたりといった、全体的な「イケてない感」や、VIP席にはマフィアが座っていても違和感がないような、そういったアヤシサが爆発しているのだ。

そう、これこそがイタリアのサッカーである。彼の国と、そしてサッカーという競技自体が持つ光と、ドロドロとした生活臭あふれる陰の部分。

 それらが渾然一体となって、闇鍋のようになっている。なるほど、この空気感は確かに体験する価値はあるかも知れない。

 やはりサッカーは庶民の、それも人生イケてない人のスポーツ。日本ではときおり「野球vsサッカー」みたいな対立構造を作ろうとする人もいるけど、私からすれば、ヨーロッパサッカーの雰囲気で一番近いのは、

 「コテコテの昭和のプロ野球ファン」

 だと思うけどなあ。平和台とか藤井寺とか、あのへんだよ。同じ人種だ。

 そんな、大歓声と発煙筒の煙と、なぜかオレンジなど果物が飛び交う、とにかくカオスで魅力的なサン・シーロ・スタジアム。

 では、肝心の建造物としてのスタジアムはどうなのかと問うならば、これが見てビックリ。

 なんとまあ、予想以上に、これがすばらしいシロモノだったのである。

 私もこれまで野球やサッカーなどをいくつか生観戦したが、その感想はといえばたいていが、

 「こら、テレビで見た方がええやろうなあ」

 プレーが比較的近くで見られるテニスなどと違って、野球やサッカーは競技場の規模がでかい。

 必然、どうしても選手は遠く、それが誰で、どういうプレーをしているのかわかりにくい。

 それとくらべたら、テレビはアップで見せてくれるし大事なところはリピートしてくれるし、解説はうるさいことが多いけど、ボールを持っている選手の名前も教えてくれる。

 もちろん、生観戦は「雰囲気代」コミだから同列にはくくれないけど、単純に試合を見るだけなら、テレビの方が見やすいのはたしかである。録画もできるし。

 ところがどっこい、私はその概念をこのサン・シーロでくつがえされることとなったのだから、やはりなんでも経験してみないとわからないものなのだ。


 (続く→こちら





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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記

2017年08月09日 | スポーツ
 サン・シーロ・スタジアムは、一見の価値ある建造物である。

 かつて欧州で、いくつかサッカーを観戦したことがあり、前回まではベルギーリーグ(→こちら)とフランスリーグ(→こちら)を制覇したことまでを語ってきたが、それが意外と楽しかったので、イタリアでも参戦してみることにした。

 なんといっても、私が欧州をまわった時期というのが、ちょうど中田英寿選手がイタリア進出を果たしたころ。

 そんな彼の活躍を見に、多くの日本人旅行者がペルージャやローマに飛んだのだ。そんなご時世の中、私も旅行中によったイタリアの地で、ヒデの活躍を、どーんと、特に見てはこなかったのである。

 などと告白すると、おいおい見てないんかいとつっこまれそうだが、まあ私は特に中田ファンというわけではないし、ヒデの試合は金持ち日本人からだましたりボッたくったりする悪のイタリア人が群がっていて、少々うっとうしいのである。

 そこで思い出したのが、以前ドイツを旅行中に会った、ある旅行者だった。

 彼は建築関係の仕事をしていたのだが、その内容に幅を広げるため、思い切って退職し、世界のいろんな建物を見て回る旅に出たのだという。

 その途上、イタリアではドゥオーモのような歴史的建造物から、ローマ時代の遺跡や下水道まで様々なものを見たが、

 「一番すごいと思ったのが、サン・シーロ・スタジアムなんですよ」

 素人の私にはわからないが、あれはプロから見ても、すばらしい出来なのだという。

 なので青年は、サッカーにはなんの興味もないのに、スタジアムだけを見に、わざわざチケットを取って試合に行ってきたとか。

 ふーむ、おもしろい視点だ。私もサッカーを見るにあたっては、選手のことを調べたり、現地の新聞で順位表をチェックしたりはしたが、

 「スタジアムが立派かどうか」

 には無頓着であった。

 たしかに、生観戦の魅力は、その競技場の存在も大きい。

 スポーツ観戦の話をすると、テレビ派と生派で議論することはあり、私個人は解説もついて家でダラダラできるテレビ派だけど、もちろん直に見るのも好きで、その場合は「どこでやるか」によって充実度も左右される。

 野球なら甲子園球場は、なんのかのいって歴史があって、施設が古いのも味になっている。

 単純にでかいし、屋根がない解放感と天然芝の美しさもあって、

 「やっぱ、野球はアウトドアやなあ」 

 しみじみそう思わされる。その逆に、申し訳ないけど大阪ドームは、福本豊さんが、

 「野球盤やな」

 とおっしゃった通り、いかにも安っぽくて物足りなかった。

 サッカーだと、施設はよくても陸上のトラックがあったりすると、ちょっと邪魔だなとか、海外でテニスを見たときは、フレンチ・オープンの開催されるローラン・ギャロスが、微妙に会場内など狭苦しいとかでイマイチだったり、やはり競技場の充実ぶりは試合の内容と同じくらいか、下手するとそれ以上に大事なものだ。

 そんな経験もあって興味を示すと、青年も熱心に「ぜひ、一度見てみてください」とすすめるのであった。

 これで心が決まった。よし、行先はミラノだ。

 お目当てはロナウドでもダービッツでもない。スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(これが正式名称で、サン・シーロはその愛称)。

 ローマやペルージャでは中田英寿目当てにミーハー旅行者が集う中、そこをあえてはずして日本人選手のいない(当時)ミラノというのがシブい。

 しかも、これまた、あえてサッカーが二の次で、

 「試合のことはおぼえてないなあ。ボクの目当てはスタジアムの建築様式で、すっかりそっちに目をうばわれていたからね」

 などと語ってみた日には、いかにも玄人の旅行者のようで、周囲から一目置かれるに違いない。

 日程を見ると、ちょうど週末にインテルが試合を行うことになっていた。これを見ることにしようと、私はミラノ行きの列車に飛び乗ったのである。



 (続く→こちら



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1999年サッカー フランスリーグ優勝決定戦 パリ・サンジェルマンvsボルドー その4

2017年08月06日 | スポーツ
 愛と勇気のフランスリーグ観戦記第4弾。

 前回(→こちら)、勝つしかない状況で、試合終了間際の決勝ゴールという、これ以上ない劇的な勝利で優勝を決めたボルドー。
 
 この試合、特に後半あたりは、パリのファンたちもみなボルドーを応援するという変なことになっていて、試合終了後もイタリアやイングランドのように、負けた方が腹いせに暴れるどころか、むしろ祝福ムード。

 「本場」のサッカーファンでも、全員が全員バイオレントではないのだなあと勉強になったが、ここでハタと、ただひとりだけそうでない人がいたことを思い出した。

 そう、パリ・サンジェルマン一筋の、その名もジェルマンおじさん(勝手に命名)だ。

 年季の入ったパリSGのユニフォームを颯爽と着こなし、タオルも首に巻いて完全装備。サッカーに感心のなさそうな孫を連れての観戦は、実に子供にとっては迷惑……もとい家族以上のサッカー愛を感じる。

 おそらく、雨の日も風の日も、失恋のときも仕事がうまくいかなかったときも、借りたエロDVDがイマイチでガッカリな日も、常にチームが心の支えだったに違いない。

 彼だけは雰囲気に流されることなく、かたくなに地元を後押ししていた。パリの好プレーに拍手し、敵にはブーイングを送りつけた。

 そんなパリ・サンジェルマン魂の権化のようなオジサンが、こんなゆるいスタンドの雰囲気に耐えられるわけがない。

 ふざけるなボルドー野郎! オレはこんな試合は認めない! 聖なるパリで、てめえらの胴上げなど願い下げだ。表へ出ろ! 拳で決着をつけてやる!

 もしかしたら血を見るかもと、やや身を堅くしながら様子をうかがってみたところ、おじさんは両手を高々とあげながら、

 「ブラボー! ボルドー、ブラボー!」。

 めっちゃよろこんどるがな、おっちゃん。

 おいおい、おじさんはこの「ボルドー優勝が見たい」オーラ一色の中、唯一地元民としての自覚をおこたらなかった男ではないのか。

 「空気読めよ」の視線も省みず、ただ実直に愛するパリ・サンジェルマンを応援したのではないか。

 それが、堂々の「やったぜボルドー!」宣言。おっちゃん、ゆるゆるやな。

 それどころかおじさんは、近くにいるボルドーファンを探しては、かたっぱしからハグするのである。

 抱きしめて「おめでとう!」、肩を抱き、手をたたき、最後は何度も握手する。

 ついにはユニフォームの交換もして、それでも足りないのかマフラーまで(パリSGのだってば)プレゼントしていた。むちゃくちゃ祝福してます。うれしそうやなあ。

 すっかり地元の敗北など忘れたかのようなジェルマンおじさんは、その後もメトロの駅まで歩く途中もボルドー人を見つけてはハグしまくり、お祝いの言葉を投げかける。

 果ては地下鉄の中で、サッカーに関係のない仕事帰りのサラリーマンやOLを捕まえて、

 「今日はね、ボルドーが優勝したんだよ」

 などと逐一報告。知らんがな。

 あまつさえ、ボルドーのタオルを巻いた若いファンを無理矢理連れてきて、OLさんに、

 「キミは恋人はいるかね。ほら、いい若者だろう。よかったら婿にどうだ」

 などと、無茶ぶりをしだす始末。どんだけ浮かれてるのか。

 これには、クールなお孫さんも、「困ったもんだね」と肩をすくめている。ボルドー応援団、仕事で疲れてぐったりしているお姉さん、そしてそれをながめていた私、その全員が、それぞれ目を見合わせて苦笑い。

 そんな視線にも気づかず、おじさんはますます、「もう二人、つきあっちゃいなよ」と、余計なお世話をやきまくる。いやいや、だからそのふたり、ただの他人ですから。

 あはは、でもまあ、今日はお祭りやからしゃあないですわな。そのことは皆わかっているらしく、だれもおじさんに対して「ええかげんにしなさい」と、つっこみを入れることもなかった。

 そんなゆるゆるな空気もふくめて、楽しく、いい試合でした。また行きたいなあ。



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1999年サッカー フランスリーグ優勝決定戦 パリ・サンジェルマンvsボルドー その3

2017年08月05日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、フランスリーグ観戦記。

 地元パリ・サンジェルマン相手に、勝てば優勝のボルドーが2-1でリード。

 栄冠まであと一歩と、ボルドー応援団の士気も高まるが、そこにスタジアムをゆるがす悲鳴がとどろいた。勝ち越し点が入ったところで「終わったな」と、のんびりオヤツでも食べていた私は現実に引き戻される。

 なにがおこったのかと視線を落とすと、負けられないというプロの習性か、はたまた男の意地なのか、残り時間10分というところで地元パリSGが、必死の大攻勢をかけはじめたのだ。

 通常ならばここで、

 「目の前で優勝なんてさせてたまるか!」

 「行け! パリ! ホームの意地を見せろ!」

 なんて、最後のドラマを期待してハッパでもかけるところだが、先も言ったように会場の雰囲気はすでに

 「ボルドー優勝おめでとう」

 これで、できあがっている。ライバルであるはずのパリ人も、すでにそういう湯加減なのだ。

 そこに意地のアタックとは、どういう了見か。会場は敵味方が一体となって、

 「こら、パリSG! いらんことすな!

 「このままボルドー優勝でええねん!

 「空気読め、このぼけなす!」

 なぜか、ホームチームにありったけの罵声を送る、パルク・デ・プランスの観客たち。

 サッカーと言えば基本的には「地元愛」が強調されることが多く、『ナンバー』とかのスカした記事を読むと、外国人はみながみな、

 「熱狂的に地元を愛する玄人のファン」

 みたいな描き方をされているけど、展開によってはこういうこともあるのである。あはは、こらおかしい。

 古くはマーフィーの法則を持ち出すまでもなく、「嫌な予感はかならず当たる」は洋の東西を問わないようだ。会場一体と化した「空気読めよ」オーラにも関わらず、試合終了7分前にパリ・サンジェルマンが同点ゴールを決めることとなった。

 2-2。終わったはずの試合は、これでまたも振り出しに。またタイミングの良いことに、ここで電光掲示板に2位につける「マルセイユ勝利」の報が流れた。

 得失点差に劣るボルドーは、これで優勝には勝つしかなくなった。

 おお、さっきまでの温泉気分はどこへやら。形勢は大逆転。一気にボルドーは崖っぷちに追いこまれたのである。

 天国にいたはずなのに、まさかの見事な死に馬キック。なんという嫌がらせ。さてはこれが、パリのエスプリというやつか。

 残りは5分少々。こうなったらアアもコウもない。ボルドーに残された道は、ロスタイムをふくめてあと10分ほどの間に、もう1点取るしかない。でないと、優勝カップはマルセイユに転がりこむのだ。

 ここからの10数分は本当に盛り上がった。攻めまくるボルドー攻撃陣、プライドをかけて必死で守るパリSG。会場の「ボルドー!」のコール。電光掲示板に映る、

 「ボルドーのシュート全部はずれろ!」

 手を合わせて呪いの念を送るマルセイユ人。

 まさにサッカーの、いやスポーツそのものの醍醐味が詰まったようなすばらしい高揚感。いやー、こらすごいですわ。

 結末の方も完璧だった。試合終了直前、ボルドーの決死のバンザイアタックが功をそうし、再び勝ち越しゴールをあげることに成功。スコアは3-2!

 その瞬間にホイッスルの音が鳴り響いた。なんというドラマチックなフィナーレか。まるで映画のようである。

 会場は歓喜に包まれた。ボルドーファンが集まっていた一角は当然として、そこの席が取れず、パリ側に点在していたボルドー人も狂喜乱舞している。

 それを、笑顔で祝福するパリ人たち。目の前で優勝されても、どつきあったりはしないのですね。

 熱闘を見せてくれた選手たちには、あたたかい拍手が。そこかしこで観客同士も握手し、抱き合い、お祝いの言葉をかけている。

 なんともいえない、充実した一体感がそこにあった。双方の健闘をたたえ合う、すばらしい光景だ。感動的ではないか。

 ベルギーに続いて期待以上に楽しませてくれたフランスサッカーだが、ここでひとつ気になることを思い出した。

 一見さわやかに見える、このなれ合いのような生ぬるい空気をゆるせないであろう、あの人。

 そう、私のすぐ近くに陣取っていた、おそらく今ごろ怒り心頭に発しているだろう、あのジェルマンおじさんのことである。


 (続く→こちら




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1999年サッカー フランスリーグ優勝決定戦 パリ・サンジェルマンvsボルドー その2

2017年08月04日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、フランスリーグ観戦記。

 テニスのフレンチ・オープン観戦に訪れたパリで、ついでにサッカーも見ようとチケットを取ったら、このシーズン最終戦のパリ・サンジェルマン対ボルドー戦が、思わぬ大一番でおどろくこととなる。

 勝てばボルドーの優勝が決定。負けると2位につけているマルセイユの結果次第と、まさにすべてをかけた決戦なのだ。

 舞台はパリのパルク・デ・プランスだが、雰囲気は数ではおとるはずのボルドーが圧倒している。

 試合は前半、ボルドーのペースで進んだ。それはそうだろう。なんといってもトップを走るチーム。そもそも地力がある。

 加えて、勝てば天国負ければ地獄の天秤の上にいるのだ。消化試合にすぎないパリSGとはモチベーションが根本から違うのだ。

 それは、観客席にも投影されているようだった。声を枯らして「ボルドー! ボルドー!」とさけぶ敵に対して、パリ側のスタンドはいかにもおとなしい。

 それは勝っても負けても立場が変わらない気楽さか、そもそもパリSGのファンはクールな人が多いのか。おそらくその両方なのだろうが、さほどの熱量が感じられないようで、みな静かに試合を見ている。

 それどころかボルドー側がミスをすると、残念そうに「あーあー」とため息をついたりする。どうもパリ側は

 「地元で優勝を決められるなんて屈辱」

 みたいな因縁はあまり重視しないようで、むしろ
 
 「敵やけど、優勝シーンを生で見られるんやったら、それはそれで楽しそうかもね」

 そんな気持ちの方が、強いようなのだ。

 このあたりも、ずいぶんとドライというか、まあゴール裏に席を取るような熱狂的な人以外は案外こんなもんかもしれない。都会人はクールだ。

 実際、試合の方も、勢いに勝るボルドーが先制点を奪う。はじけるボルドー側の客席。一方のパリ側は、「まあ、そんなもんやな」と、特にふがいないチームに憤激することもなく、うなずいている。

 そんな紳士的なムードの中、一人気を吐くパリジャンがいた。それは私の右斜め後ろに位置するおじさんであった。

 年齢的には50を超えて、ほとんどおじいさんのようだったが、パリSGのユニフォーム姿で、首にはチームのタオル。どちらも年季の入ったもので、おそらくは「年齢=ファン歴」という筋金入りなのだろう。

 この人だけは、周りのまったり感に影響されることなく、ひたすらに地元愛をつらぬいていた。

 パリの選手がいいプレーをすると拍手喝采し、ボルドーががんばると口笛を吹く。チャンスには雄叫び、ピンチには頭をかかえる。いかにも典型的なサッカー大好き地元おじさんだ。

 またこのジェルマンおじさん(勝手に命名)というのが、8歳くらいの孫を連れているんだけど、彼もまたユニフォームにタオルという完全武装にも関わらず、まったくサッカーには興味がないよう。

 地元のチームに一喜一憂するおじいちゃんをよそに、彼は心底クールというか、

 「どっちでもいいよ。でも、一緒に見てやると、じいちゃんよろこぶからな。これも年寄り孝行か」

 みたいな雰囲気を紛々とかもしだしており、なんとなくおじさんの家族の内情が察せられるというか、そのコントラストに思わず笑ってしまうのであった。

 そんなジェルマンおじさんの想いが通じたのか、それまで押されていたパリの選手たちが躍動し出す。

 やはり気楽な観客とは違って、選手からしたらライバルに意地の一発くらいはお見舞いしたくなるのだろう。勢いを得たパリは前半のうちに同点に追いついた。なめたらいかんぜよ、といったところか。

 1-1のまま、試合は後半戦には入る。同点のままだと、ボルドーは危ない。

 ここはぜひとも勝ち越し点がほしいと、さらに攻勢に出たのが当たって、後半10分くらいに再びパリを突き放す。2-1と、ボルドーがふたたびリード。

 今度こそ決定的か。残り時間が刻々と減っていく中、会場全体には、

 「ボルドー優勝おめでとう」

 な空気が流れている。もはやホームの勝利とか、どうでもいい雰囲気だ。どうやら、試合は決まったようだ。

 なかなか熱い試合やったなあ。こんなビッグゲームが見られるなんてラッキーやったなあ。

 などとすっかり終戦ムードで、帰って晩飯どうしようかなどと呑気に検討していたところだったが、どっこいお終いどころか、本当のドラマの幕開きというのが実のところここからというのだから、勝負というのはわからないものだった。


 (続く→こちら



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1999年サッカー フランスリーグ優勝決定戦 パリ・サンジェルマンvsボルドー

2017年08月03日 | スポーツ
 フランスリーグを観戦したことがある。

 前回(→こちら)は私が、プレミアリーグやセリエAではなく、なぜか1999年度ベルギーリーグの試合を見に行ったことがあるという話をしたが、その他にも私が欧州でサッカーを楽しんだのがフランスであった。

 なにげなく見たベルギーはクラブ・ブルージュの試合だったが、これがたまたま当地の英雄的プレーヤーであるフランキー・ヴァン・デル・エルスト選手の引退試合。

 その盛り上がりに当てられた私は、もういっちょヨーロッパのサッカーを見てみるかとテンションがあがり、ブルージュの次に滞在したパリでも、試合を見に行くことにしたのである。

 パリ観光の合間に、さっそく新聞を購入してリーグ・アンの日程をチェックする。

 フランス語は読めないが、日程表くらいは理解できるもので、ラッキーなことに私の滞在中に地元パリ・サンジェルマンがホームゲームを行うことになっていた。

 おお、ラッキー。ベルギーでといい、今回の旅はツキがあるなあと、対戦相手を調べてみると、これがボルドーであった。

 ふーん、まあワインでは有名だけど、サッカーはどうなんやろ。フランスリーグなんて、日本で見る機会ないもんなあ、このチームは今どの位置にいてるんかいな、と順位表に目を通してみて驚いた。

 パリの方は6位か7位くらいの平凡な成績であったが、あにはからんや、なんとアウェーのボルドーの方が順位1位であり、バリバリに優勝争いをしていたのである。

 しかも、2位マルセイユとは勝点差が、1か2くらいの超デッドヒート。

 シーズンも押し迫り、まさにボルドーは勝てば優勝決定という決戦だったのである。

 おお、こりゃすげえやん。ここにきてまた、えらい大一番が待ち受けていたものだ。いわゆる、女房を質に入れても見に行かねばならぬという一戦ではないか。まだ(今でも)独身だけど。

 期待も高まる中、5月末日、メトロに乗って、『キャプテン翼』で有名な、パリのパルク・デ・プランスにおもむくこととなる。

 スタジアムは地下鉄駅の近くにあったが、さすがここで優勝チームが決まると言うことで、試合開始前から結構盛り上がりを見せている。

 ボルドーはともかく、パリSGはほとんど消化試合なのに、なかなかの熱気だと思っていたが、どうも見た感じ、観客の数自体もボルドーの方が、かなり多い印象。

 さらには、パリ人たちが、ボルドー人に興味を失った最終戦のチケットを売りさばいている姿などもちらほらと見られ、なるほど、どうも両チームの間にはかなり温度差があるようだった。

 中にはいると、スタジアムはさすが満員であった。

 私はパリ側にすわっていたのだが、優勝のかかったボルドーにくらべると、ずいぶんとおとなしい。

 客層も、これはどこのリーグでも同じようだが、サッカーが「リア充な若者」の領域である日本と違い、どちらかといえばおじさんの多いのが特徴。

 バシッとスーツで決めたエリートよりも、どちらかといえば「地元の商店街のおっちゃん」みたいな雰囲気。最近日本では、

 「野球はオッサンが観るもの」

 と笑うヤングたちもいるそうだけど、「本場」ヨーロッパではサッカーこそまさに「オッサンが観る」スポーツであるところが皮肉だ。日本でサッカーが普及できたのは、

 「これを見ていれば、とりあえず多数派からこぼれ落ちることはない」

 という安心感をあたえるようになったことだと思うけど、これってたぶん、けっこう独特な感覚でおもしろいよなあと感じる。

 そんなことを考えているうちに、キックオフの笛が鳴った。

 ベルギーではヒーローの引退試合という雰囲気は熱かったものの、試合自体は平凡だったが、今回の観戦に関しては内容も期待できるところはあった。

 なんといっても、ボルドーには優勝がかかっている。

 もう一度整理すると、シーズン最終盤でボルドーは1位。勝てば自力で、すんなり決まる。

 ただ、2位にはマルセイユが僅差で続いている。しかも、得失点差はマルセイユの方が上回っている。

 つまるところ、ボルドーは勝てば文句なしに優勝。もし引き分けても、マルセイユも引き分け以下なら大丈夫。最悪負けでも、マルセイユが負ければセーフ。

 ただしマルセイユに勝たれると、負ければもちろんのこと、今度はドローだと得失点差の関係で逆転される。細かい状況までは忘れたが、だいたいこんな感じだった。

 ボルドーからすれば「自力」の権利こそ持っているとはいえ、勝たなければ、大まくりを食らう可能性は充分だ。

 まさにシビれるような大一番なのである。これが盛り上がらないはずが、ないではないか。


 (続く→こちら






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1999年 なぜかサッカーのベルギーリーグ観戦記 クラブ・ブルージュ編 その3

2017年07月30日 | スポーツ
 疾風怒濤のベルギーリーグ観戦記第3弾(前回は→こちら)。

 ブルージュというベルギー屈指の観光地で、ここを本拠地とするクラブ・ブルージュのスタジアムに足を運んだ私。
 
 イングランドやイタリアとちがい、ずいぶんとまったりした雰囲気で、これならのんびり観戦できそうだと思っていたところ、選手入場と同時に大歓声が起こって、イスから転げ落ちた。

 突然の大盛り上がりに困惑する私。おいおい、なにが起こったんやと周囲を見渡すと、観客たちは総立ちになってコールを送るではないか。

 「ウー! アー! バンデレー! ウー! アー! バンデレー!」

 鼓膜を突き破るかのような「バンデレー!」コールがスタジアムに鳴り響いている。

 周囲をもう一度見渡すと、さっきまでお互いもたれあって、愛を語っていたはずの恋人たちや、子供にアイスを買ってあげていたやさしそうなお父さんたちが、みな狂気のように声を合わせている。

 それまでのピクニックムードが一変。

 「ウー! アー! バンデレー! ウー! アー! バンデレー!」

 すごい音量である。まるで、俳句の会からロックフェスの会場に、瞬間移動させられたかのようなギャップ。オバマ元大統領も裸足で逃げ出す「チェンジ」っぷりだ。

 コールの意味もよくわからない。ウー! アー! というのが、かけ声というか、いわゆる「ゴー!」みたいなものであることは、なんとなくつかめるが、「バンデレー」ってなんなのか、だれなのか、こちらにはサッパリだ。

 わかがわからないので、とりあえず静観していると、前列の席に座っていた大学生くらいの男子が、こちらを振り向いてこう声をかけてきた。

 「エクスキューズミー」

 おや? 見知らぬ外国人に、なんの用なのか。

 これはもしかすると、ついにフーリガンのお出ましか。てめえ、よそものがなにやってんだ、キックアス、ユーファッキン、ゴーアヘッド、ミーはユーをコロス的バイオレントな展開になってしまうのでは、とややおののいたが、そのベルギー青年は、

 「ウェア、ユー、フロム?」。

 どこから来たのか。ややつたない感じの英語で、そうたずねてきたのだ。

 実を言うと、さいぜんから自分が周囲から、少しばかり注目を集めていたことには自覚的だった。

 さもあろう。イタリアやスペインのリーグならともかく(いや、当時ならそれでも)、小国の、それもやや地方のチームのクラブサッカーを東洋人が観戦しているのだ。目立つのも無理はない。

 現に、スタジアム入りしたときから、ブルージュ人はシャイなのか、あからさまではなかったにしろ、好奇心の入り混じった、

 「あの東洋人はだれやボン? こんなところに、なにしに来よったビヤン?」

 そう言いたげな視線を感じていたのだ。

 そこにはフーリガン的「外国人は出ていけ」な空気は皆無であったので、多少恥ずかしいが気にはならなかったが、こうストレートに訊かれると、応えざるを得ない。

 「日本人である」と回答すると、質問者であるブルージュ兄さんは「オー」と、口をすぼめて驚いていた、やはり日本人が珍しいようだ。

 おそらく、彼が周囲の人たちの好奇心を代表して名乗り出たのだろう。そこで、今度はこちらからたずねてみることにした。さっきから聞こえる、この歓声はなにを表しているのか。
 
 するとベルギー兄さんが答えることには、

 「あー、これね。今日は、ベルギーの英雄であるフランキー・ヴァン・デル・エルストの引退試合なんですよ」。

 フランキー・ヴァン・デル・エルスト?

 だれだろう? うーん、勉強不足でゴメン、ちょっとわからないや。

 こちらが首をひねっていると、ベルギー青年は気を悪くした様子もなく、あれこれと説明してくれた。

 フランキー・ヴァン・デル・エルスト。ベルギーはリール出身のサッカー選手。ディフェンダーとして活躍し、ベルギー代表のキャプテンも勤めたこともある名プレーヤーだ。

 リーグ優勝を何度も経験し、ワールドカップも1986年メキシコ大会から1998年フランス大会まで、毎回のように出場している、まさに英雄であり、クラブでも代表でも精神的支柱ともいえる存在なのだ。

 ほええ、すごい選手だ。そら、知らなかったこっちの恥です。

 なるほど、そりゃこのコンパクトでかわいいスタジアムでも、大歓声が巻き起こるはずや。

 日本でいえば、元ガンバの宮本選手か、ドイツでプレーする長谷部選手の引退試合のようなものか。そら熱狂しないはずがない。で、ヴァン・デル・エルストが勢い余って「バンデレー」に聞こえるわけか。

 うーむ、思わぬところで、歴史的瞬間に立ち会ってしまった。試合の方はわりと平凡な内容だったけど、今日の主役はサッカーではなく、ひとりの英雄の最後の勇姿だから、そこはまあいいのだろう。

 もう、ともかく試合の間中「フランキー!」「バンデレー!」コールが鳴りやまず、フランキー・ヴァン・デル・エルストという選手のベルギーでの存在の大きさを、これでもかと体感させられたのだった。

 あの、おとなしそうなブルージュの人がこの狂乱。ヒーローというのは、人を虜にし、狂わせる麻薬のようなものであるのだなあ。

 そうしみじみしていると、やがて試合の方は無事終了した。終わった瞬間、ブルージュファンの皆さんが、興奮のあまりスタジアムのフェンスを上って、フィールド上になだれこんでいった。

 もうゲームは終わったのに、この盛り上がり。芝生の上で、歓声を上げながらフランキー・ヴァン・デル・エルストをかつぎあげるファンの皆さんを見ていると、なんだか私もあやかりたくなって、関係ないのに一緒にフェンスをよじのぼって、中に入ってみた。

 警備員もいたので、怒られるかなという危惧もあったが、特におとがめもなく放っておかれた。そこは祭の無礼講か。

 こうして私は、勢いとはいえベルギーリーグのスタジアムに、ポツンと立つことになるのである。

 そうかあ、これがプロもプレーしてるフィールドかあ。すごいなあ。ベルギーの選手は、こんな景色でサッカーをしてるんやあ。

 そんなところに、私なんかが入っていいのかしらん。でも、すっごい得した気分。

 さすがにヴァン・デル・エルスト選手のところに行くのは部外者として気がさすので、遠巻きにそっと見ていただけだが、やがてフェンスを越えられると危ないと見たのか、それともブルージュ人は無茶をしないと判断されたのか、なんとスタジアムと観客席を仕切っているゲートが解放されたのである。

 これには大喜びでファンたちが、フィールドになだれこんできた。

 こうなると、もうなんでもありである。人であふれかえった芝の上で、大歓声の中、私はなぜかここで寝ころんでみたくなった。

 そんなことしていいのかはわからないが、まあ怒られたらやめりゃあいいやと、その場でゴロリと横になった。

 短く刈られた芝が、少しチクチクする。5月のヨーロッパの空は抜けるように青い。鳴りやまない歓声。ここではないどこか遠い場所から聞こえてくるかのような、非現実的な感覚だった。

 いつまでそうしていたのだろうか。5分程度かもしれないし、ずいぶんと長く寝そべっていたような気もする。結局、だれにもとがめられるようなこともなかった。

 もうずいぶん前のことなので、スコアや試合内容のことはほとんどおぼえていない。

 ただ今でもうっすらと記憶にあるのは、背中に感じるやわらかい芝の感覚と、乾いた青空、そして彼らのヒーローへの感謝を表しているのだろう、遠くから流れてくる、

 「ウー! アー! バンデレー!」

 という、ブルージュ人たちの大合唱なのであった。


 (フランスリーグ編に続く→こちら

 

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1999年 なぜかサッカーのベルギーリーグ観戦記 クラブ・ブルージュ編 その2

2017年07月29日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、ベルギー・リーグ観戦記。

 ひょんな思いつきから、ベルギーでサッカーを見ることとなった欧州旅行中の私。

 セリエAで活躍していた中田英寿選手を見に、日本人がイタリアに集結していた時期であり、みながローマだユベントスだインテルだとさわいでいるのをよそに、ベルギーリーグの試合を見るなど、いかに思いつきの行動とはいえ、なかなかに因果である。

 さすがは私、サッカーという巨大メジャーの世界においても、どこまでいっても怒濤のマイナー野郎である。ベルギー人には悪いが、なぜそんなところにいくのか。イタリアかスペイン行けよと、あのころの自分につっこみたいところだ。

 まあ、このあたりの道のはずし方は、「いっそ、逆においしい」という魔法の言葉乗り切るとして、観戦するとなると、まずチェックするのは、どんなチームの試合かということである。

 スマホなどない時代、さっそく駅で新聞を購入し、スポーツ欄をチェックする。

 当然ながら書いてあることははサッパリなのであるが(ベルギーの公用語はフラマン語とワロン語。それぞれオランダ語とフランス語とほぼ同じ)、順位表や日程くらいはなんとなくわかる。

 判明したのは、ここブルージュでは「クラブ・ブルージュ(ブルッヘ)」というチームがあること。

 クラブ・ブルージュ。ちゃらんぽらん富好さんの漫談ではないが、「知らんなあ」である。

 私のブルージュの知識は、ローデンバックの『死都ブリュージュ』くらいであって、どんなはかなげなところだろうとイメージしていたら、むちゃくちゃに雰囲気の明るい、ディズニーランドみたいなところで驚いたくらい。

 死の街どころか、新婚旅行とかに超オススメのステキなところだったが、当たり前だけど、そんなところにもサッカーチームはあるのだ。

 拍子のいいことに、明日の土曜日にホームで試合があるというので、バスに乗ってクラブ・ブルージュの本拠地であるヤン・ブレイデル・スタディオンに向かうこととなる。試合はデーゲームで、夜の時間つぶしのはずというアテははずれたが、まあそこはもうよかろう。

 来てみると、スタジアムは、ずいぶんとこじんまりしていた。

 スポーツ観戦はもっぱらテレビが専門だが、甲子園球場や長居競技場などには行ったことはあり、その規模くらいは比較できる。

 ふつう、スタジアムというのは通路を抜けてスタンドに出た瞬間、その広さと熱気から思わず、

 「おー」

 と歓声がもれるものだが、このスタジアムはそういった圧のようなものはない。

 コンパクトにまとまったそれは、サッカーの本拠地というよりはむしろ近所の公園の運動場のようであり、イメージ的には長居や国立というよりは、夏の高校野球の予選をやっている舞洲球場みたいなのであった。

 うーん、さすがはヨーロッパとはいえ、ややマニアックなベルギーサッカーだ。思ってたのと、ちと違う。

 こちらは本場のサッカーといえばフーリガンがスタジアムを破壊したり火をつけたり、あげくには観客同士がなぐりあって死人が出てみたいな、そういうものだと身構えていたのだ。

 もしそんなことになったら、私も男だ。暴力など容認できないぞとばかりに、そこは腕まくりをしてどーんと、ダッシュで逃げるけど、どうも、そもそもそういう空気ではないようだ。

 客層はみな健全なブルージュ市民ばかりで、親子連れとか、孫をつれたおじいちゃんとか、若いカップルとか、そういった面々。

 そこをどう見ても、全身タトゥーとか顔中ピアスとかヘイファッキン、ゲラウトヒヤーみたいなフーリガンはいなのであった。

 さらにいえば、ファンの層も若干地味目である。

 日本だとサッカーといえば、

 「リア充の見るメジャースポーツ」

 というイメージだが、実際のところ、欧州や南米でサッカーといえば、むしろ社会的地位や経済面に恵まれない層の娯楽だ。ここベルギーでも、日本代表の試合で熱狂するような、

 「イケてる若者が大騒ぎ」

 といった空気は感じられない。

 メインの客層であるベルギーおじさんたちは、みな一様にモノトーンのシャツに、グレーっぽい上着を着ている。オシャレとは対極の静けさである。

 のちにセリエAを見たときも思ったけど、ヨーロッパのサッカーファンの空気感は、日本でいえば一昔前の将棋道場とかプロ野球の外野席とか、完全に「オッチャンの社交場」。ホワイトカラーよりはブルーカラー。

 つまるところ、生活感が強いわけだが、そんなローカル感バリバリなブルージュのスタジアムも、活気という点ではやや物足りないところもあるけど、まったりと自然体で地元を応援するというゆるい空気は、落ち着いていて、それはそれで観光の醍醐味ともいえる。

 スポーツ観戦いうたら、うるさいかと思ってたけど、のんびりしてるなあ。天気もいいし、こらサッカーよりも昼寝の方が気持ちええんとちゃうやろか。

 などとのんきなことを言っていたのであるが、あにはからんや、そんなゆるいムードなど、この日の試合には向かなかった。寝るなど、とんでもない話だったのだ。

 そのことは、試合開始のホイッスルが鳴ると同時に、いやでも気づかされることになる。ピーという音が響いた瞬間、スタジアムは耳が抜けるかといった、嵐のような怒号と歓声に包まれたからである。


 (続く→こちら



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1999年 なぜかサッカーのベルギーリーグ観戦記 クラブ・ブルージュ編

2017年07月28日 | スポーツ
 サッカーのベルギー・リーグを観戦したことがある。

 というと周囲のサッカーファンは、

 「いいなあ、川島選手や鈴木選手を見に行ったんですか。わたしも日本人選手を応援に、ヨーロッパに行きたいです」。

 などと熱く語ったりするが、残念なことに私はベルギーで川島選手も鈴木選手も見ていない。

 いや、観ようにもまだ2人はそのころ、ベルギーに行っていないどころか、川島選手などプロ入り前の高校生くらいだったはず。これでは見に行こうにも行けないというものだ。

 では、そんな日本人選手もいないころ、なぜにてわざわざベルギーくんだりでサッカーを見たのかと問うならば、これが単なる思いつきであった。

 今から約15年近く前になるのか、私はテニスのフレンチ・オープンを観戦するため、フランスへ飛んだ。

 そのころは私もヒマだったので、せっかく飛行機に乗って欧州に遠征するのだから、パリだけでなく他のところもいろいろ見て回りたいと、ドイツやベルギーなども観光したのである。

 で、そこでのナイトライフが問題であった。

 旅行というのは楽しいものだが、夕飯を食ってからの時間のつぶし方が案外もてあます。

 昼は観光地をめぐっていそがしいけど、夜になると安宿に帰ってすることがない。外は暗いし、街によっては下手に出歩くと危険だったりもする。

 まあ、これがパリやロンドンのような大都会なら、夜景を見に行ったり、ミュージカルを観劇したり、ライブハウスで盛り上がるなどなんなりすることもある。

 が、私がそのとき滞在していたブルージュ(現地の発音ではブルッヘ)という街は、日本でいう倉敷とか金沢みたいな歴史テーマパーク的場所であり、昼間は運河めぐりなどして充実した時を過ごせるが、夜になるとパタリと店じまいしてしまう。

 関西だと大阪や京都ではなく、奈良の大和高田みたいなところというか。飲み屋やディスコのような夜遊びスポットがない、健全無害な観光地なのだ。

 これでは、夜に出歩こうにもどうしようもない。かといって、安宿のボロい壁を見て悄然と過ごすには私もまだ若く血気盛んであった。

 そこでひねりだしたのが、

 「そうだ、サッカーを見に行こう」

 当時、中田英寿選手がイタリアでがんばっていたころであり、日本人の間で、

 「セリエAでプレーする中田を見にイタリアへ行く」

 というスタイルの旅行が、かなり流行っていたのだ。それにあやかったわけである。

 ただ問題なのは、ここがイタリアではなくベルギーであるところ。

 まあ、別にヒデのファンというわけではないから、そこにはこだわらないけれど、日本人選手うんぬん以前に、そもそもベルギーリーグって、どんなんかいな?

 ブルージュにチームはあるのか? あっても日程は? スタジアムの場所は? チケットはどこで買うの? もしなにかのトラブルで終電に乗れなかったら、どうやって帰ればいいのか。

 今のように、海外でのネット事情が充実してなかったころだ。スマホもなければ、グーグルマップも、翻訳アプリもない。ネットカフェに行っても、日本語対応のパソコンがなかったりする。

 まったくの五里霧中である。どこから手をつけていいか、サッパリわからない。思えば、昔は不便だったというか、今がすごすぎるというべきか。なんにしても、技術の進化万歳。

 こうなると頼れるのは、度胸と自らの足しかない。私は市内にあるツーリストインフォメーションに走ると、

 「ブルージュでサッカーを見たいから、日程と試合会場を教えたまえ」。

 これには、受付のお姉さんがキョトンとしていたのをおぼえている。

 最初は私の言語力の問題かと思ったが、どうもそうではなく、

 「サッカー? 日本人が、この観光都市ブルージュで、なんでそんなもんを?」

 という疑問なのであった。

 嗚呼、そうなのだ。今はともかく、当時はまだ日本といえばサッカーのイメージなどあまりないころ。

 中田ヒデのプチバブルのせいで、悪い現地人がダフ屋でボッたくろうと手ぐすね引いていたイタリアとちがって、ここベルギーでは後にワールドカップで手合わせすることなど知るよしもなく、

 「日本人がサッカー? 聞いたことないわあ」

 くらいのあつかいだったのだ。それで、おねえさんのキョトンなのだ。

 日本人がサッカーって? しかも、このベルギーで?

 今はそんなことないと思うけど、当時はその程度の認識だった。もしかしたら、ブルージュでサッカーを観に行こうとした日本人は、私が初めてであるかもしれなかった。

 そんな時代であったので、案内所のお姉さんが困惑するのも、当然といえば当然なのだ。それでも仕事なので、一所懸命探してくれたところによると、幸運なことに、週末、地元チームの試合があるというではないか。

 おお、こらラッキー。おとずれていたのが5月だったので、ヨーロッパのリーグはそろそろ店じまいのはずだが、まさにそのシーズン最後の試合が、ここブルージュで行われるというのだ。

 こういうのを縁というのだろう。こうして私は、日本人旅行者がヒデを求めてイタリアに集結する中、だれも知らんサッカーリーグの試合を見るため、ブルージュ随一の競技場であるヤン・ブレイデル・スタディオンにむかったのである。


(続く→こちら



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運動不足のインドア派にオススメ 部屋でもできる「玉吉体操」&「四股を踏む」

2017年05月18日 | スポーツ

 自宅でできる、手軽で簡単な運動法はないものか。

 というのは、運動不足ダイエットに悩む人たちに、共通した思いではなかろうか。

 ジムに行くのはめんどくさいし、ジョギングウォーキングの日や真夏だと出られない。

 ルームランナーなど器具は高い場所も取る。ストレッチではちょっともの足りない。

 かくいう私も、なにか部屋で出来る運動はないかとあれこれ模索したもので、


 1.エア縄跳び(下の階の人に迷惑)

 2.ヒンズースクワット(ヒザが痛くなる)

 3.踏み台昇降(単調なのでやっていて飽きる)


 など試行錯誤したものだが、その末に「おお、これは!」とたどりついたものがあり、それがその名も「玉吉体操」。

 これは、『しあわせのかたち』や『防衛漫玉日記』を描かれた漫画家の桜玉吉さんが考案した運動法。

 漫画の中で紹介されていて、自分もなんとなくやってみたら、これがなかなかのスグレモノだったのだ。

 やり方は、ものすごく簡単。

 部屋でテキトー踊る。これだけ。

 玉吉さんは最初、NHKでやっていた気孔体操をまねて舞っていたそうだが、そのうちどんどん振り付けがアバウトになって、今では独自の進化を遂げたのだという。

 中でも音楽を取り入れたのが大正解で、仕事で煮詰まったときなど、お気に入りのCDをかけて気分転換に踊っていたら、1時間でも2時間でも経って、たいそう運動になる。

 おかげで体調もすこぶる良好になり、それだけで7キロの減量に成功したという。

 玉吉さんが自賛するところでは


 「お手軽で経済的ですばらしい儀式」。


 これがですねえ、最初はバカにしていたんですが、やってみると意外なほどハマるんです。

 玉吉体操のいいところは、とにかくわずらわしいルールがない。

 音楽をかけて、あとは好きに体を動かすだけ。

 ステップを踏むもよし、飛び跳ねるもよし、体をプルプル振るもよし、とにかく本能のままにレッツ・ダンシング!

 振り付けを覚えたり、「○○運動を毎日5セット」とか制約もないし、かかるお金はゼロだし、の日でもできる。

 気分が乗らないときには、10分程度でやめても、けっこうスッキリするもの。
 
 服装も自由だし、なんだったらでもいい。

 玉吉さんは「パンツ一丁万歩計」という姿でやっているそうだが、たしかに解放感はありそうだ。カーテン閉めるのを忘れると大変だが。

 アレンジも自由。

 気分を変えるために、太極拳風にやってみたり、ヨガを取り入れたり、フリが思いつかなければラジオ体操でもよし。

 ソニックビートでも盆踊りでも、とにかく、ロケロケロッケンと踊るだけなのだから、なんと楽ちんなのか。

 運動オンチでもかまわない。だって、適当に踊るだけだもーん。

 だれに見られるわけじゃなし、遠慮することなくへっぽこな舞を舞いましょう。

 とにかく「ルールなし」。このハードルの低さが魅力です。

 こんな、コストパフォーマンスは最強な玉吉体操だが、唯一の欠点は、玉吉さん自身が言うように、


 「人にすすめると、必ず失笑を買う」


 アハハハハ! その通り。この玉吉体操に躊躇するのは、



 「やっている姿が、すごくマヌケ」



 だから、正確には「部屋でできる」じゃなくて、「部屋でしかできない」。

 そらそうだ。パンツ一丁で万歩計振りながら、「う~う~まん~の~くら~い~♪」なんて歌って気孔体操をやってたら、ただの変態ではないか。

 かくいう私も、いつものようにミッシェルガンエレファントのDVDを見ながら楽しく踊っていたら、を開けていたせいで、外から丸見えの丸聞こえ。

 イモジャー姿で大暴れしているのが白日の下にさらされ、赤っ恥とはこのこと。

 こんなノリすぎ注意の「玉吉体操」は効果も「継続力」も抜群。

 インドア派の皆さまに、ぜひともオススメです。


 (続く→こちら




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『マネーボール』の「セイバーメトリックス」とは何か? 鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』 その3

2017年03月13日 | スポーツ

 前回(→こちら)に続き、鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』を読む。

 「高校野球はバントしすぎでは」

 という積年の疑問に対して本書が、

 「試合の中でのどんな場面でもバントは

 という冷徹な数字で解答をはじき出してくれた話をしたが、そこで思い出したのが、昔読んだあるスポーツノンフィクションのこと。

 『スクイズ、フォーエバー』と題したそれは、『江夏の21球』で有名な山際敦司さんの作品。

 主人公は、北海道にある東海大四高の野球部元監督、三好泰宏さん。

 三好監督の采配には、ある特徴があった。それは、



 「スクイズのサインを出さない」



 いや、スクイズのみならず、そもそもどんな局面であれ、いっさいバントのサインは出さないのだ。

 監督曰く、


 「あそこでスクイズをしていれば」なんて評論家はいうが、選手はそんな後ろ向きなことは考えてはいけない。

 スクイズの成功率は良くて50%かそれ以下で、失敗するとダメージも大きいし、選手もつらい。

 取れるのはたった1点だし、1死もあげてしまう、チャンスでスクイズなんかしてて長い人生やっていけるのか、第一バッターは打たせればホームランを打つかもしれないではないか……。



 そう聞くと、三好監督の思想は、まあ正しいように思える。

 ただ、山際さんの筆は

 

 「理屈である」

 「間違ってはいない」

 

 としながらも、どこか三好采配に懐疑的である。

 それを証明するかのように、出してくる例は、たとえば昭和53年の春のセンバツ、対広陵高校戦。

 この試合で2-4とリードされた8回表無死1、2塁のチャンス。バッターは2番
 
 そこで強打を選択した東海大四は、凡打の後ヒットが出るも1点止まり。いわゆる、



 「送っておけば同点でしたね」



 解説者が、よく残念そうにいう場面だ。

 一方、その裏広陵は1死からランナーを確実にバントで進め、だめ押し点を奪う。

 9回、東海大四は同点にし、さらに1死満塁のチャンスで強打して無得点

 スクイズしとけば……と、言葉にはならずとも、言っているようなものですね。

 意地はらずに、バントしとけよ、と。

 さらに山際さんの筆が意地悪なのは、翌56年、対延岡工業戦。

 ここで東海大四は、打力に自信のない延岡工業のバントバントスクイズスクイズスクイズという「5連続犠打」など、徹底したバント作戦に1-8という大敗を喫する。

 それでも、


 「せめて甲子園に出てきたときぐらいスクイズなしで思い切ったプレイを展開してほしい」


 と語る三好監督に山際さんは、


 「かたくななまでに、監督は自分の野球感を変えなかった」。


 クライマックスは、春のセンバツをかけたの大会1回戦。

 1点ビハインドの苦しい局面。ランナーを3塁に置いたところで、苦悩の末とうとう三好監督が、スクイズのサインを出してしまうというところで物語終わる。

 なんとか逆転勝ちをおさめたあと、それでも「バントなんて」とこだわる監督。


 「こういう監督が一人くらいいてもいいじゃないか。なあ……」

 つぶやくようにいってみた。

 誰にも聞こえなかったようだ。

 返事はなかった



 とあるのだが、ここまで言えば私がこの作品のことを思い出したわけが、もうおわかりであろう。

 ここで山際さんは、三好監督のことを、

 「自分のこだわりや哲学に準じて損な生き方をしている、ガンコ昔気質の職人」

 として描いているのだが、ちょっと待ってくれと。

 そう、セイバーメトリックス的に言えば、三好監督の采配は別に間違っていなかったのである。

 損な生き方どころか、ランナーが出たら「確実なバント」をせずに打たせるというのは、「かたくな」どころか、むしろ合理的な選択。

 勝つために、確率の高い作戦なのだ。

 もちろん東海大四は広陵に負けた、延岡工業のバント作戦の前に屈した。

 でもそれは、多くある試合のうちの、たまたまそれが甲子園の舞台にあらわれてしまっただけで、単に一発勝負の勝ち運がなかっただけかもしれない。

 データ的には、采配のせいで負けたわけではない。

 ベストを尽くしたのに負けることもある。でも、それはあくまで「時の運」。長期的な視野に立って見れば、

 「バントより強打

 こそが、確実に得点を上げる方策なのだ。少なくとも確率的には。

 それを、「高校野球はバント」という「常識」に皆がとらわれていたばっかりに、結果的にとはいえ、合理的でクレバーな考え方をしていた人が、

 「融通の利かないガンコなお人」

 みたいにあつかわれる。たった2試合の敗戦に、なまじインパクトがあっただけに。

 全然ちがうやん!

 むしろ、スクイズよりも強打を優先させたからこそ、東海第四は何度も甲子園の土を踏むことができたのかもしれない。

 それはわからない。いろんな世界の「成功の法則」や「勝利の方程式」が、



 「ランダムネスに支配されまくった、壮大なる結果論」



 であることは、統計心理学経済などの本を読めば、よく書いてあることだ。だから、どっちが「正しい」かは判断できない。

 ある意味、だからこそ賛否両論あれ、セイバーメトリクスの価値があるともいえるし、逆に「数字の問題じゃない」ともいえる。

 ランナーが出たらバントで送るべし、3塁にいったらスクイズ強打は「かたくな」。

 という「正解」をあらかじめ設定し、そこにすべてを合わせて書かれた山際さんの文は、今の視点で見ると、また別の解釈も可能だ。

 
 

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『マネーボール』の「セイバーメトリックス」とは何か? 鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』 その2

2017年03月12日 | スポーツ

 前回(→こちら)続いて、鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』を読む。

 「高校野球、バントしすぎではないか」

 という、昔からの素朴な疑問を解決するために、マイケル・ルイス原作の映画『マネーボール』で有名になった「セイバーメトリックス(野球統計学)」を使った本書を手に取ったわけだが、これによるとバントという作戦の損得が、数字でわかりやすく表されることとなり興味深い。

 たとえば、

 「後攻チームが、1点差で負けている状況での勝利確率」

 の欄を見ると、「無死1塁」のほうが、「1死2塁」よりも確率が高い

 これが9回なら前者は「32、1%」だが後者は「28、4%」。

 これは1~8回まででも、数字は違うが、無死1塁のままの方が数パーセントずつ勝ちやすい

 1点ビハインドでの送りバントは、ハッキリと

 つまり、わざわざ作戦を立てて、勝利の確率を下げていることになる。 

 これは「同点での勝利確率」でも同じ。送りバントをすると、全イニング勝率が下がる「2点差以上」でも同じ。

 唯一、犠牲バントで勝率が上がるのが、

 「同点で後攻チームが無死2塁のとき」

 のみだが、これが高校野球にかぎると、ほとんど変化がない。

 これは3塁にランナーがいると、「犠牲フライ」による得点ケースが増えるんだけど、高校生には確実にそれを打つ技術がないことが多いから、と推測されている。

 ということは、なんと高校野球では、考えられるあらゆるケースで送りバントは意味がないどころか、確実に損ということになってしまう。

 ましてや、大量リードされてて、「まずはバントで1点返す」など、愚の骨頂ということだ。

 ちなみにこれは、田中将大菊池雄星といった「怪物」クラスの投手相手でも似たようなものらしい。

 「どう考えても打てない」ケースでも、バントよりはマシ

 こうして、はっきりと数字で出されると、思っていた以上の結果におどろかされる。

 もちろん、スポーツは数字だけではかられるものではなく、「勢い」とか「カン」「心理戦」みたいなものも大事であろうが、それにしたって、ここまであからさまに「損だよ」と見せられたらショックも大きいではないか。

 ではなぜ、こういうことが起こってしまうのかといえば、まず、

 「さかしらなデータなど、聞きたくない

 こういった心理があるのだろう。

 『マネーボール』に出てきたメジャーリーガーや監督も「素人の進言」にイラッとしてたけど、スポーツ選手ではない私でも、感覚的にわかるところはある。

 現場に出たことないけど、理屈だけは達者なスタッフが来て、

 「それはデータ的に損です」

 とか、自分のやってることや「伝統」にケチつけられたら、それは愉快ではあるまい。

 つまるところ、情報というのは「プレーヤーのテンションを下げることがある」のだ。

 現に、私が昔読んでいたスポーツ漫画では、データを駆使するチームというのは例外なく、

 「データで測れない意味不明の馬鹿力

 の前に、みじめな敗北を喫するのだ。『キャプテン』の金成中しかり、『一球さん』の恋ヶ窪商業しかり。

 私もスポーツは最後のところは根性だと思うけど、ただ、このかたよったあつかいはあんまりではと、子供心にも思ったものだ。

 情報って、それなりに大事なんなもんなんちゃうの? と。かつての旧日本軍も、そのへんを軽視して負けてしまったわけだし。

 それともうひとつ、犠牲バントというのは「日本人の琴線に触れる」というのもあるのだろう。

 「個を殺して大儀に尽くす」

 という考えに、日本人は弱かった。

 そこにピッタリと、あつらえたようにはまるのが、犠牲バントという概念なのかもしれない。

 本の中で鳥越さんはバントのやりすぎについて、


 「高校野球が(勝利にこだわらない)教育の一環であるというなら話は別だが」


 そうではないなら、もう少し考えてみてはどうかと、苦言を呈しておられるが、私が見るに過剰な犠牲バントというのは教育というよりも、もうちょっと情緒的な理由があるような気がしてならない。





 (続く→こちら



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『マネーボール』の「セイバーメトリックス」とは何か? 鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』

2017年03月11日 | スポーツ

 鳥越規央『9回無死1塁でバントはするな』を読む。

 野球の世界では「バッティングの基本はセンター返し」や、「左打者には左投手」といったセオリーがある。

 この本は、そういった「常識」が本当に正しいのかどうか、マイケル・ルイス原作の映画『マネーボール』で有名になった「セイバーメトリックス(野球統計学)」によって検証していくというものだ。

 本書を手に取ったのは、野球に関して、昔から不思議に思っていたことがあるからだった。

 それは、「高校野球、バントしすぎではないか」。

 私はとりたてて野球好きというわけではないが、子供のころは夏休みのヒマつぶしに、甲子園の試合などテレビで観戦することがあった。

 そこで気になるのが、バントである。

 とにかく高校野球ではバントをする。ランナーが出れば送りバント、バント、バント、バント。

 これが、いつも不思議であった。いくらなんでも、バントしすぎではないのか。

 『和をもって日本となす』のロバート・ホワイティングさんのように、



 「バントはつまらない。日本野球はバント禁止令を出したらどうか」

 とまではいわないけれど、それよりも根本的に、

 「この場面でバントって、どう考えてもなんじゃね?」

 と、つっこみたくなるケースが、多々あるのだ。

 たとえば、ノーアウトのランナーが出る。すかさずバントで送る。これはまあ、いいとしよう。

 これが1死でランナーが出ても、バントさせる。

 そりゃ、スコアリングポジションにランナーを進めたい気持ちはわかるが、当然ツーアウトになるわけで、それって得なのかいな? 

 時には4番バッターにもさせる。打率3割とか4割とかでも、平気で1打席捨てさせる

 しかも、9回裏の負けているときとかにも。なんてもったいない!

 これが1点を争うシーソーゲームならまだしも、高校野球の場合はそれ以外のケースでも送りバントを行う。

 中盤くらいで大量リードをされていても、バントするのはどうなのか。そんな悠長なことで間に合うのか。

 私が見た甲子園での試合では、6点リードされてる試合とかでも、ノーアウト、ときにはワンアウト1塁でもバッターはきちんとバントしていた。

 どう考えても利敵行為だと思うが、解説の人は、



 「いいですね。まずは1点ずつ返すことですよ」



 感心したように語っていた。

 まずは1点って、そんなの全然遅すぎる気がするし、ワンアウトをタダであげて相手はではないか。

 27アウトの「寿命」を減らしてるってことだと考えると、ずいぶんとリターンが少ない気がする。

 そもそもバントしたからって確実に点が入るとは限らないし、1点返した次の回で2点取られたら(だいたいが今負けているんだから、その可能性も大いにある)いつまでたっても追いつけないし、それってホンマにええ作戦なんかいな。

 実際、その試合では、バントで返した1点など焼け石に水で、その後も点を取られて、12-2くらいで負けていた。なんだか、見ていて物悲しいものがあった。

 などなどといった、私のような素人が思いつくような基本的な疑問を、本書ではわかりやすく解き明かしてくれる。

 「先頭打者にヒット四死球ではどちらが悪いか」

 とか

 「ノーボール2ストライクで1球はずすべきか」

 などの、やはり「昔から気になっていた」お題も、データを見ると「あー、やっぱそうなんやー」と興味深い話が多いが、ことバントに関してもやはり……。


 (続く→こちら





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『球辞苑 ~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』は理屈っぽいスポーツファンにおススメ

2017年01月07日 | スポーツ
 『球辞苑 ~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~』がおもしろい。

 年末年始をはさんだ冬休みといえば、家でダラダラと撮りだめしておいたテレビ番組など見るのが楽しいが、今回の当たりはこれであった。

 『球辞苑』とはお笑い芸人であるチュートリアルの徳井さんと、ナイツ塙さんが出演、進行をしている野球番組。

 というと、お笑いのMCということで、野球選手の珍プレーや、プライベートでの「暴れん坊」ぶりをおもしろおかしくとりあげるのかといえば、さにあらず。

 そこはなんといっても、「カープ芸人」で鳴らす徳井さんと、ジャイアンツの熱狂的なファンである塙さんのこと。そんな一筋縄でいく内容にはなっていないところが興味深い。

 この番組では毎回テーマを用意し、プロ野球選手の多彩なゲストや、さまざまなデータを駆使して、その秘密を解き明かしていく。

 で、そのテーマというのが、「ファースト」「スイッチヒッター」「クイックモーション」などなど、

 「あー、その話、くわしい人に聞いてみたい」

 と思わせる、絶妙なチョイスになっていて、

 「アンダースローが減ってしまった理由」

 「一塁手の球さばきは、専門家と他の内野も守る人でグラブの使い方などがちがう」

 なんていう、現場のプレーヤーでしかわからないであろう細かいポイントを教えてもらえると、さほど野球好きでもないが、理屈好きな人間ではある私はもう、「ほおー」と感心させられてしまうことしきりなのだ。

 「スイッチの左(元右打者にとっての)で一番難しいのは『送りバント』」

 とか、聞いてみなわからんもんなあ。

 とにかく、見ていて「へー」と声が出る。徳井さんと塙さんが、ちゃんと野球好きで、ムリに笑かそうとせずアスリートを立てて語っているところも好感が持てる。

 11月から第2シリーズもはじまって、ここからはほぼ毎週放送ということで、ますます期待大だ。

 予定されているテーマが「リード(離塁)」「ファウル」「球持ち」などと、ますますマニアックになるのもいい。

 個人的に聞いてみたいのはなんだろう。「指名打者」「送りバント(の是非)」「デーゲーム」「中継ぎ」「コンバート」。

 野球ファンなら、これだけを肴に朝まで語れそうだ。

 「ビーンボール」「サイン盗み」「乱闘」もやってほしいけど、難しいか。

 「あれでバッキーつぶしたったで!」

 とか、今なら炎上ものだもんなあ(←いつの時代の話だよ)。
 

 (続く→こちら






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八木虎造『イタリアでうっかりプロ野球選手になっちゃいました』をうっかり読んじゃいました その2

2016年01月06日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、八木虎造『イタリアでうっかりプロ野球選手になっちゃいました』を読む。
 
 南イタリア恋人バカンス! のはずが、なぜか一人で飛行機に乗るはめになり、さらにはホームシックにかかって一か月引きこもり生活。 
 
 気がつけば現地でプロ野球選手になる、というアクロバティックすぎる休暇を過ごす著者。 
 
 サッカーならともかく、イタリアで野球というのが意味不明だが、逆に興味がわいてこないこともない。
 
 まずレベル的には、「思ったよりも高い」そうだが、それでも日本とくらべると実に能天気なもんらしい。
 
 なんといっても、スコアがすさまじい。22対18とかそんな乱打戦があたりまえで、9ー7くらいなら「ピリッと締まったゲーム」になるのだ。
 
 まだピッチャーのレベルがいまひとつでフォアボールが多く、イタリア人は打撃を重視するためこうなるそうだが、それにしたって大味なスコアである。
 
 実際、ちょっと油断すると10点差くらい簡単にひっくり返るそうで、セーフティーリードというのが存在しないのがイタリア野球。
 
 というと、草野球かよつっこまれそうだが、まさにその通り。
 
 なんたって、「チームパレルモ」で一番打者として活躍した八木氏が、中学時代こそ強豪の野球部でならしたが、その後の活躍の場はもっぱら河川敷
 
 まさに、だれ恥じることのない、堂々草野球レベルなのだ。
 
 それが、ギャラこそないものの(八木氏は「助っ人外国人」ということで、1試合につき20ユーロくらいの報酬が出た)ちゃんとした「プロ野球」なんだから、なんとも親しみがわくではないか。
 
 下手すると、私だってレギュラーになれそうだものなあ。
 
 他にも、なんとも南国的だと感じるのは、たとえば、スタジアムに集合したところで、相手チームが来ないことがある。
 
 イタリアプロ野球は、サッカーのような巨大市場ではないので、さほど予算がない。
 
 そこで、遠征費が捻出できないチームはそのまま
 
 
 「じゃ、いいや」
 
 
 あっさり不戦敗を選ぶのだという。
 
 日本だったら、そういうときは
 
 
 「断腸の思い」
 
 「がんばった選手たちに申し訳ない」
 
 「捲土重来を期します」
 
 
 みたいなノリになりそうだが、こっちはその辺は気楽な感じで、「そう」てなもんだという。
 
 「じゃあ、しゃあねえか」と、せっかくフルメンバーがそろってるし、なんて紅白戦を始めたりする。
 
 審判もこなかったりする。
 
 「コッパイタリア」という、れっきとした公式戦なのに、アンパイヤ不在
 
 なんでそうなるの?
 
 なんでも、試合する両チームが共に、勝ったとしても次のラウンドに進む費用がない。
 
 ということで(八木氏のチームは、お金はないこともないが「ローマまで行って、試合したいかあ?」って感じ。八木氏は「ぜひ、やりたいです!」ってひそかに思ってるのに……)、審判諸子も、
 
 
 「じゃあ、やんなくていーじゃん」
 
 
 家で寝ていたらしいのだ。
 
 なんちゅうラテンなノリなのか。日本の公式戦でそんなことしたら大問題だろうが、イタリアでは、
 
 
 「じゃあ、練習試合でもやっちゃいますか」
 
 
 やはり明るいもの。楽しそうだなあ。
 
 しかもこの話には驚愕のオチがあり、親善試合に勝利した数日後、監督がやってきて、
 
 
 「こないだの試合、練習試合のはずだったけど、公式戦としてあつかうことになったから」
 
 
 おいおいである。審判がこないから代わりに練習試合にしたのに、いざ終わってしまうと、
 
 
 「せっかくやったんだったら、それを公式戦にカウントすればいいじゃん」
 
 
 という、いい加減なのか合理的なのかよくわからん論理で、「気がついたら1勝していた」そうだ。
 
 なんかもう、「はあ、そうでっか」としかいいようがないが、これがれっきとした「セリエA」なんだから、人生とはなんと愉快なことか。
 
 このように、イタリアのプロ野球は、我々の想像する「プロ」とは、ずいぶんとイメージがちがう。
 
 それを「ふざけてるのか!」と感じるか、はたまた「アハハ、いろんな世界があるねえ」と笑うかで本書の読み方は変わってきそうだ。
 
 人生のアバウトさではイタリア人に負けない自信のある私は、もちろん後者です、ハイ。
 
 
 
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