「能力の高い人は凡人の中では浮く」というクリスマスのおはなし

2024年12月23日 | 若気の至り

 「秀でた人は、孤独になっちゃうんだなあ」

 

 今回はそんなことを実感した子供のころ、あるクリスマスのお話。

 

 


 「今度の【クリスマス会】で、ボクとチームを組まない?」


 

 小学校4年生のころ、そんな声をかけてきたのはクラスメートであるサイデラ君であった。

 「クリスマス会」とは12月にクラスで行われる、ちょっとしたパーティーのこと。

 を歌ったり、寸劇をしたり、ちょっと器用な子は手品を披露したり。

 まあどうということはないが、その間に授業がないという意味では、子供にとってなかなかのイベントであったのだ。

 そこでのお誘いだが、これに少しばかり、少年時代の私は首をひねることとなる。

 というのも、私とサイデラ君は、ヒマなときに雑談くらいはするけど、そんな仲良しという間柄ではない。

 そもそも彼はクラスの優等生で、休み時間も校庭でサッカーやドッジボールをしたりするより、ひとりで図鑑や、科学誌を読んだりするのを好むタイプ。

 つまりは、われわれボンクラとは一線を画した、未来のエリート予備軍だったのである。

 


 「なんでオレなんやろ?」


 

 そう疑問に思うに十分なシチュエーションだったが、好奇心と、あとまあヒマだったので、話に乗ってみることにしたのだ。

 それにしても、エリートはどんな企画考えとるんやろ。他にだれ誘ったんかなあ。

 それなりに楽しみにしながら、打ち合わせのため放課後、図書館に行くと、そこには私とサイデラ君しか来なかった。

 あれ? にだれか誘ってないの?

 そう問うならば、サイデラ君は、

 


 「うん、何人か誘ってみようと思ったけど、ダメだった」


 

 じゃあ2人だけかいなと、それはそれで気まずいなあ、どうしようかなあと思っていたところ、サイデラ君が、

 


 「今回の企画を説明するね」


 

 そう言って、わら半紙のをドンと渡してきたのだった。

 それにザッと目を通して、私はなぜサイデラ君の誘いに、だれも乗ってこなかったのか理解できたのだった。

 一言でいえば、いかりやの長さんのごとき、

 

 「ダメだこりゃ」

 

 思わず天をあおぎそうになったが、でもこれはサイデラ君の出し物がショボいということではない。

 むしろだ。

 立派すぎるのだ。

 サイデラ君の出してきたプリントには、なにやら「ルール」のようなものが、びっしりと書かれていた。

 どうやら、なにかのゲームらしいのだが、これがまあ、メチャクチャにレベルが高い

 クロスワードパズルをベースにしながら、そこで浮かび上がったワードを使って宝探しをするというもの。

 問題も雑学から音楽芸能スポーツなど、幅広くあつかっており、飽きないように構成されている。

 緻密でありながら、男女とも、また勉強知的ゲーム得意な子、苦手な子、ともに遊べるようにできていた。

 トドメに感心したのが、最初は班ごとにパズルを解いて「競争」していたところを、そこで浮かび上がったキーワードが1個では「開かない」仕組みになってること。

 本当に「」をゲットするには「すべての班のキーワード」が必要になるそうで、プレーヤーは「自分たちだけ」が勝ち抜けても、それはまだ道半ばなのだ。

 なので、今度はせっせと他の班との「協力プレイ」にいそしむことに。

 つまり、最初は「競争」のゲームだったはずが、いつの間にかクラス全員参加の「団体戦」に変貌を遂げ、最後はクリアと同時に4年2組は大きな「一体感」を味わえるようになっているのだ。

 小4とは思えぬ、思慮の深さと広い視野を兼ね備えており、プレゼン力実行力もある。

 しかも、このゲームが自作オリジナルだというのだから、恐れ入るしかないではないか。未来のライナークニツィアやん。

 もう心底から感心しまくりで、なるほどのええヤツいうのは、単にテストの点だけやなくて、こういうことができる人のことを言うんやなあ。

 なんて、しみじみと考えながら、やはり思うことは

 

 「でも、こりゃダメだよなあ」

 

 という、やはり、いかりや的諦観なのである。

 

 (続く)

 

 

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