「秀でた人は、孤独になっちゃうんだなあ」
今回はそんなことを実感した子供のころ、あるクリスマスのお話。
「今度の【クリスマス会】で、ボクとチームを組まない?」
小学校4年生のころ、そんな声をかけてきたのはクラスメートであるサイデラ君であった。
「クリスマス会」とは12月にクラスで行われる、ちょっとしたパーティーのこと。
歌を歌ったり、寸劇をしたり、ちょっと器用な子は手品を披露したり。
まあどうということはないが、その間に授業がないという意味では、子供にとってなかなかのイベントであったのだ。
そこでのお誘いだが、これに少しばかり、少年時代の私は首をひねることとなる。
というのも、私とサイデラ君は、ヒマなときに雑談くらいはするけど、そんな仲良しという間柄ではない。
そもそも彼はクラスの優等生で、休み時間も校庭でサッカーやドッジボールをしたりするより、ひとりで図鑑や、科学誌を読んだりするのを好むタイプ。
つまりは、われわれボンクラとは一線を画した、未来のエリート予備軍だったのである。
「なんでオレなんやろ?」
そう疑問に思うに十分なシチュエーションだったが、好奇心と、あとまあヒマだったので、話に乗ってみることにしたのだ。
それにしても、エリートはどんな企画考えとるんやろ。他にだれ誘ったんかなあ。
それなりに楽しみにしながら、打ち合わせのため放課後、図書館に行くと、そこには私とサイデラ君しか来なかった。
あれ? 他にだれか誘ってないの?
そう問うならば、サイデラ君は、
「うん、何人か誘ってみようと思ったけど、ダメだった」
じゃあ2人だけかいなと、それはそれで気まずいなあ、どうしようかなあと思っていたところ、サイデラ君が、
「今回の企画を説明するね」
そう言って、わら半紙の束をドンと渡してきたのだった。
それにザッと目を通して、私はなぜサイデラ君の誘いに、だれも乗ってこなかったのか理解できたのだった。
一言でいえば、いかりやの長さんのごとき、
「ダメだこりゃ」
むしろ逆だ。
立派すぎるのだ。
サイデラ君の出してきたプリントには、なにやら「ルール」のようなものが、びっしりと書かれていた。
どうやら、なにかのゲームらしいのだが、これがまあ、メチャクチャにレベルが高い。
クロスワードパズルをベースにしながら、そこで浮かび上がったワードを使って宝探しをするというもの。
問題も雑学から音楽に芸能スポーツなど、幅広くあつかっており、飽きないように構成されている。
緻密でありながら、男女とも、また勉強や知的ゲームが得意な子、苦手な子、ともに遊べるようにできていた。
トドメに感心したのが、最初は班ごとにパズルを解いて「競争」していたところを、そこで浮かび上がったキーワードが1個では「開かない」仕組みになってること。
本当に「宝」をゲットするには「すべての班のキーワード」が必要になるそうで、プレーヤーは「自分たちだけ」が勝ち抜けても、それはまだ道半ばなのだ。
なので、今度はせっせと他の班との「協力プレイ」にいそしむことに。
つまり、最初は「競争」のゲームだったはずが、いつの間にかクラス全員参加の「団体戦」に変貌を遂げ、最後はクリアと同時に4年2組は大きな「一体感」を味わえるようになっているのだ。
小4とは思えぬ、思慮の深さと広い視野を兼ね備えており、プレゼン力、実行力もある。
しかも、このゲームが自作でオリジナルだというのだから、恐れ入るしかないではないか。未来のライナー・クニツィアやん。
もう心底から感心しまくりで、なるほど頭のええヤツいうのは、単にテストの点だけやなくて、こういうことができる人のことを言うんやなあ。
なんて、しみじみと考えながら、やはり思うことは
「でも、こりゃダメだよなあ」
という、やはり、いかりや的諦観なのである。
(続く)