あこがれの系譜 植草甚一から池内紀へ

2024年12月27日 | 

 「こういう風に歳をとりたい」

 

 とあこがれる大人というのは、だれしもいると思う。

 海原雄山犬神佐兵衛フィスタンダンティラスエマノンどなど様々だろうが、私の場合それが池内紀先生。

 ドイツ文学者であり、フランツカフカの翻訳や、旅のエッセイなどにも定評がある。

 私も学生時代ドイツ文学を学んでいたので、池内先生の著作には親しんでおり、大いに影響も受けたのである。

 池内先生といえば、そのイメージは「えらぶらない」ことと「自由」であること。

 東大教授という肩書に、著作も山ほど出していると、先生はこれで結構すごい人なのだが、ラジオで話している様子を見ると、まったくそのことを誇示するところがない。

 あつかうものといえば、本に旅に山登り、そして銭湯と少しのお酒

 あとは歴史上の人物について軽妙に語ったり、とにかく大上段に構えるところがない。

 その肩ひじの張らなさが、「大人」という感じがする。

 なんせこっちは、いい歳こいて精神面で大人になり切れない「コドモオトナ」なものだから、こういう落ち着いた雰囲気にあこがれる。

 知的で、物静かで、余裕があって、それでいて行動力好奇心は失わず、色々なところに歩いて行く。

 私が思う「大人」とは、たぶんそういう人なのだろう。

 池内先生はその著作の中で、

 


 「わたしたちの世代は皆一度は、《大きくなったら植草甚一のようになりたい》と願ったはずなのだ」


 

 そう書いておられたが、私はまさに、大きくなったら池内紀のようになりたかった。

 を読んで、書き物をして、コーヒーを飲んで、少し散歩してからお風呂に入り、あとはのんびりお酒

 合間に外国語の勉強もする。若者とゼミで語らう。たまにラジオに出る。休みの日はリュックを背負って海外へ。

 嗚呼、なんてステキな老後の過ごし方。

 私にとって人生で大事なことは、金でも地位でも名誉でもなく「自由」であって、池内先生はその使い方がすこぶる上手い。

 ロシア語通訳米原万理さんに

 


 「えらくないわたしが一番自由」


 

 というタイトルの本があるが、これに共感する人は、ぜひ池内先生の著作も読んでほしい。

 そこには、生き方のエッセンスが詰まっている。

 本と歩きやすいサンダルだけ持って、権力や肩書のような、つまらないしがらみから離れて、どこまでもえらくないまま「大人」になりたい。
 
 


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