「こういう風に歳をとりたい」
とあこがれる大人というのは、だれしもいると思う。
海原雄山、犬神佐兵衛、フィスタンダンティラスにエマノンどなど様々だろうが、私の場合それが池内紀先生。
ドイツ文学者であり、フランツ・カフカの翻訳や、旅のエッセイなどにも定評がある。
私も学生時代ドイツ文学を学んでいたので、池内先生の著作には親しんでおり、大いに影響も受けたのである。
池内先生といえば、そのイメージは「えらぶらない」ことと「自由」であること。
東大教授という肩書に、著作も山ほど出していると、先生はこれで結構すごい人なのだが、本やラジオで話している様子を見ると、まったくそのことを誇示するところがない。
あつかうものといえば、本に旅に山登り、そして銭湯と少しのお酒。
あとは歴史上の人物について軽妙に語ったり、とにかく大上段に構えるところがない。
その肩ひじの張らなさが、「大人」という感じがする。
なんせこっちは、いい歳こいて精神面で大人になり切れない「コドモオトナ」なものだから、こういう落ち着いた雰囲気にあこがれる。
知的で、物静かで、余裕があって、それでいて行動力と好奇心は失わず、色々なところに歩いて行く。
私が思う「大人」とは、たぶんそういう人なのだろう。
池内先生はその著作の中で、
「わたしたちの世代は皆一度は、《大きくなったら植草甚一のようになりたい》と願ったはずなのだ」
そう書いておられたが、私はまさに、大きくなったら池内紀のようになりたかった。
本を読んで、書き物をして、コーヒーを飲んで、少し散歩してからお風呂に入り、あとはのんびりお酒。
合間に外国語の勉強もする。若者とゼミで語らう。たまにラジオに出る。休みの日はリュックを背負って山や海外へ。
嗚呼、なんてステキな老後の過ごし方。
私にとって人生で大事なことは、金でも地位でも名誉でもなく「自由」であって、池内先生はその使い方がすこぶる上手い。
ロシア語通訳の米原万理さんに
「えらくないわたしが一番自由」
というタイトルの本があるが、これに共感する人は、ぜひ池内先生の著作も読んでほしい。
そこには、生き方のエッセンスが詰まっている。
本と歩きやすいサンダルだけ持って、権力や肩書のような、つまらないしがらみから離れて、どこまでもえらくないまま「大人」になりたい。