ティム・ヘンマンとアンディー・マレーの使命 その2

2012年07月14日 | テニス
 前回の続き。

 テニス不毛の地イギリスに、彗星のごとくあらわれた名選手ティム・ヘンマン。


 実際、ウィンブルドンでのヘンマンは強かった。毎年のように上位に勝ち上がり、イギリス人を驚喜させた。

 それは、ヘンマンの力もさることながら、観客の後押しも大きかった。どのような苦境におちいろうとも、センターコートのヘンマンコールや「カモン! ティム!」という声に力を得て、数々の強敵を屠ってきた。

 ヘンマンを強くしたのは、間違いなくウィンブルドンの観客だ。もちろん彼の才能や努力はすばらしいものがあるが、もしも彼がイギリス人でなかったら、その活躍はもう少しだけ、ささやかなものになっていたかもしれない。

 英雄ヘンマンは、その期待に応えウィンブルドンで2度ベスト8、4度ベスト4に進出する。優勝するには、あと1、2回「なにか」が起こればいいところまで勝ち上がる。

 試合は常に怒号のような歓声が沸き上がり、その熱狂的ファンは「ヘンマニア」と呼ばれ、またウィンブルドン会場内の大画面の前の小高い丘は、「ヘンマン・ヒル」と名づけられたほどだ。

 優勝していないのに! である。それを見ても、ヘンマンの人気度と期待度が、一種異常なほど英国民をとらえていたことは容易に想像できるだろう。

 だが、その国家レベルの後押しを受けてさえ、ヘンマンはベスト4の壁を突破することができなかった。その原因は、当時圧倒的な強さを、それも芝のコートでは無敵を誇っていたピート・サンプラス。

 1998年と99年は、そのサンプラスに敗れた。同時代に強すぎる選手がいるというのは、アスリートのひとつの悲劇だが、ウィンブルドンに関していえば、ヘンマンはまさにそうであった。

 サンプラスの力がおとろえた2001年は大きなチャンスだったが、今度は準優勝3度という実績を持つ、ゴーラン・イバニセビッチが立ちはだかる。

 ヘンマンにとって不運だったのは、イバニセビッチもまたウィンブルドンのタイトルを嘱望され、ファンから圧倒的な「判官贔屓」の声援を送られる選手だったことだ。

 地元選手対判官びいき。見ている方からすれば、盛り上がるような、どっちも応援したくて微妙な気持ちになるこの一番は、フルセットにもつれこんだ末に、ヘンマンがまたしても敗れた。

 降雨により流れをつかめなかったこともあるが、今回に関しては「相手が悪かった」としかいいようがなかったかもしれない。

 続く2002年も準決勝まで勝ち上がるが、ここでは日の出の勢いのレイトン・ヒューイットに敗れた。天敵ピート・サンプラスが力を落としてチャンスをむかえたとき、タイミング悪くヘンマンもまた、そのプレーは全盛期を過ぎてしまっていた。

 そしてこれが、彼の最後のウィンブルドン上位進出であった。敗れた準決勝4回の大会、皮肉なことに彼に勝った選手が、その後すべて優勝を果たししている。

 こうしてひとつの時代が終わった。ヘンマンがいなくなったことで、またもや英国人によるウィンブルドン優勝は遠くなったかに思えた。

 彼ほどウィンブルドンに適したプレーをできる選手を、あれほどに後押ししまくって、4度も準決勝の舞台に引き上げたというのに達成できなかった悲願。それはそれは、大きな脱力感を感じたことであろう。

 だがテニスの神様は、イギリスを見放さなかった。

 このテニスの聖地に、ヘンマンのような、いやそれ以上の力を持った選手を送りたもうたのである。

 それが、アンディー・マレーという男だ。



 (続く)。



 ■おまけ ヘンマンにとって最大のチャンスだった2001年ウィンブルドン。準決勝の対イバニセビッチ戦の映像【→こちら



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