マレーの師、レンドルの弟子 2013年ウィンブルドン決勝 アンディー・マレーvsノバク・ジョコビッチ その3

2013年07月14日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 ウィンブルドンのタイトルを熱望し、持てるすべての力を、そこにそそぎこむべく決意したイワン・レンドル。

 「ウィンブルドンのトロフィーとなら、これまで獲得してきたすべての優勝カップと引き替えにしてもいい」

 と発言し、自宅にウィンブルドンとまったく同じ芝のコートを作って猛練習に明け暮れ、ついには得意のフレンチ・オープンをスキップしてまで、優勝に懸けた。

 ケガでもないのに、優勝候補の筆頭である彼がローラン・ギャロスに出場しないなど、それこそサッカーでいえばバイエルン・ミュンヘンが、

 「チャンピオンズ・リーグのタイトルが欲しいので、ブンデスリーガは休みます」

 とか、将棋でいえば羽生善治三冠王が、

 「名人位に照準を合わせるので、19連覇した王座のタイトルは返上します」

 とか言うようなものである。ちょっと考えられない無茶な選択だ。

 まさに、この時期のレンドルはウィンブルドンのタイトルに取り憑かれていたが、そこまでやっても結果はむなしかった。

 狂気と執念をエネルギーに戦うレンドルは、その甲斐あって2度決勝の舞台に駒を進めるが、2度とも敗れることとなった。

 1987年は「芝の申し子」ボリス・ベッカー、88年はやはりサーブ&ボレーを得意とするパット・キャッシュ相手に、一敗地にまみれた。

 レンドルは、そのなりふりかまわぬ姿勢にも関わらず、ついにウィンブルドンのタイトルだけは取ることができなかった。

 このことは、彼のテニスプレーヤーとしてはほぼ完璧なキャリアを語る上においては、その目を血走らせた行動の数々も相まって、唯一の失敗といえる出来事だった。

 敗北感に打ちひしがれた彼にとって、



 「テニス・プレーヤーには2種類ある。ウィンブルドンのタイトルを持っているものと、そうでないもの」



 というコナーズの言葉はどのように響いたのだろうか。

 彼は引退後テニスからゴルフに転向し、腰痛を理由にシニア・ツアーなどへの参加も拒んでいた。

 テニス界からやや距離を置いているところがあったが、どうもそれはこのウィンブルドン決勝での2度の敗北のショックが微妙に尾を引いているのではないか。

 ベタな考えなのはわかっているが、どうしても、そう感じられてしまうのである。

 そうして、もう2度とテニスとは深く関わらないのではと思われていたイワン・レンドルが、背景は違えどやはりウィンブルドンのタイトルを求めてやまない男のコーチとなって、このセンターコートに戻ってきた。

 ありがちな感想なのは重々承知の上で、なにかかを感じざるを得ない。

 ともに苦労人で(ふたりとも初のグランドスラム・タイトルを取るまでに、決勝で4度敗れている)ウィンブルドンと少なからぬ因縁のあるマレーとレンドルがコンビを組み、その愛弟子が後一歩で悲願のタイトルに手が届こうというところまで来ている。

 レンドルからしたら、自分の夢をマレーに託そうなどという想いはなかったろう。

 それはそれ、これはこれ、今さら「忘れ物を取り戻す」とか、ましてや自分の手柄などとは、考えもしないだろう。

 それでもやはり、あの瞬間、彼の頭の中に少しは「それ」がかすめたのではないかと考えるのは、まあファンの安っぽい感傷なのだろう。

 浪花節というやつだ。超ありがちな、お涙頂戴。荘厳なBGМでも、流したろうかしらん。

 けど、あのときのまさに「思わず」といった様子のレンドルを見たら、そんなことが走馬燈のように頭をよぎったことを、なかなか否定するのも難しい。

 レンドルのことが長くなったが、話を2013年決勝に戻そう。

 そんな雑念をよそにして、現役のファイナリスト2人はすばらしい試合を展開した。

 マレーもよく走ったが、王者ジョコビッチもまたよく戦った。

 もし、第3セット第10ゲームにおとずれたブレークポイントを取って、ゲームカウントを5-5にしていたら、試合はどうなっていたか全然わからなかった。

 私はプレースタイル的に、ジョコビッチも好きな選手である。しかし、試合のクライマックス付近では、さすがにこれは、もうマレーに勝たせてやりたかった。

 2セットアップ、ワンブレーク、そして40ー0のマッチポイント。

 ゲームはもう終わりだ。ジョコビッチも

 「ただの引き立て役にはならないぞ」

 決死の抵抗を見せるが、ここまで来たら、彼には悪いけどマレーに、いや判官贔屓と言われようとも、マレーとイワン・レンドルに勝たせてあげたかった。

 ジョコビッチの最後まであきらめない、ものすごいねばり腰をなんとか振り切って、最後はアンディー・マレーが見事に優勝を決めた。イギリス国民が77年待ち望んだ、大きな大きな勝利だった。

 マッチポイントが決まった瞬間も、やはり我らがイワン・レンドルは冷静であった。

 よろこびを爆発させ、涙を流して芝生の上にしゃがみこんだアンディーを、特に笑顔も見せることなく見下ろしていた。

 チャンピオンがスタンドにのぼって家族やスタッフと抱き合うときも、軽く肩を抱く程度のものだった。

 相変わらずの「退屈」なレンドルがそこにいた。

 その機械のような男が、少しだけ表情をゆるませたのはマレーの優勝スピーチだった。

 勝てたよろこびや、家族への感謝の言葉とともに、コーチの献身についても言及した。



 「僕は彼にとって、いい弟子ではなかった時期もあったと思うが、それでも今日は彼の夢のためにも、僕は少し協力できたように思う」



 やはりマレーも、偉大なる師匠の「大きな忘れ物」については、こだわりがあったのだ。

 レンドルの笑みは歓喜の表現というよりは、ほとんど微笑レベルであり、特別涙やガッツポーズは見せず相も変わらずなものだった。

 テニスファンの心の中に、澱のように残っていたなにかをそっと溶かしていくには、それで十分だったかもしれない。

 こうして、2013年度のウィンブルドンが終わった。

 私は物語が好きだ。

 特にその結末において、誰かが回復する物語が好きだ。

 大きな失敗をしたり、不運や自業自得や若気の至りや取り返しのつかない後悔など、苦しい思い出を図らずも背負わされた者が、努力したり研鑽したり、出会ったり別れたり泣いたり笑ったり愛し愛されたり。

 そうしてもがきながら、もう一度立ち上がる勇気を手に入れ、失ったなにかをゆるやかに取り戻していく、そんな物語が好きだ。 

 昨年のウィンブルドン決勝がそうだった。今年のフレンチ・オープン決勝もそうだった。

 そうして、今年のウィンブルドン決勝もまた、そんな物語だった。

 この大会の主人公は、昨年度の苦しい敗戦から再び戻ってきたアンディー・マレーだった。そのことは間違いない。

 だから、大会の最後を飾るにふさわしいのは、彼が優勝トロフィーをかかげた瞬間だ。

 だが、我々はこの大会に、ひそかに存在したもうひとりの主人公を知っている。それは愛弟子の戦いぶりに、それまでの自分を忘れて、つい立ち上がってしまったイワン・レンドル。

 この勝利で、なにかが変わっただろうか。

 笑顔で感謝する教え子の言葉によって、彼の中にわだかまっていたなにかが、もちろん全部とはいかないだろうけど、ほんのちょっぴりでもいいから、静かに流れ、消え去っていくようなことがあったなら。

 それはおそらく、世界中のテニスファンが望んでいた、ひそかなハッピーエンドなのかもしれない。



 ■2013年ウィンブルドン決勝の映像は【→こちら


 ■1984年フレンチ・オープン決勝 イワン・レンドルvsジョン・マッケンロー戦の映像は【→こちら

 ■マレーと先輩ティム・ヘンマンについては【→こちら




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