「そういう棋士に僕もなりたい」。
「奇妙な光景だった」という出だしではじまるエッセイに、そんなことを書いたのは将棋のプロ棋士である先崎学八段であった。
第2期竜王戦七番勝負の最終局でのこと。
というと、コアな将棋ファンには、すぐにピンと来るであろう。そう、羽生善治が19歳2か月という史上最年少(当時の記録)のタイトルホルダーになった戦いだ。
このビッグタイトル獲得が、のちの長い長い羽生時代の大きな第一歩となる。
だがここで先崎八段が「僕もなりたい」といったのは羽生のことではない。竜王位を奪われた敗者、島朗のことであった。
先崎八段の言う「奇妙な光景」とは、対局後の控え室での出来事。そこでは関係者が、打ち上げ代わりということかモノポリーに興じていた。
それだけならなんということもない場面だが、ここで違和感があったのが、そのメンツの中には羽生、島の両対局者の姿が。
ほんの数時間前まで、竜王というビッグタイトルと3200万円の賞金をかけて戦っていたふたりが参加していたことである。
凡人の考えでは、その場に先ほどまでまなじりを決して火花を散らしていたふたりが、自然な様子でゲームを楽しめるという感覚が理解できない。
百歩ゆずって、勝った方はいいだろう。金も名誉も手に入れたのだ。勝ちさえすれば、大腸菌だらけのどぶ川に飛びこむことも平気になるのが人間というもの。
少々気まずかろうがなんだろうが、たいしたことではない。
だが敗者の場合はどうだろう。そんなところには、たとえ1秒だって居たくはないのではないだろうか。
その様子は先崎八段の筆を借りると、
「部屋には一種不思議な緊張感が流れていた。みんな島さんに気を遣い、口数も少なく、島さんがひとりでしゃべっていた。僕は、自分が場違いなところにいるのではという気がして、早く一人になりたかったがそうもいかない。島さんが羽生の前で笑顔をつくれるのが信じられなかった。たとえ、パフォーマンスだとわかっていても―――」
後年、私は同じように敗北のあと笑顔を見せたプレーヤーを見ることになる。それは、2012年ウィンブルドン準決勝のことであった。
決勝進出をかけたこの大一番は、地元イギリスのアンディー・マレーと、フランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガとの間で行われた。
試合はマレーが地元の声援を受けて優位にすすめ、いきなり2セットアップ。
だが第5シードで、昨年度フェデラーを破ってベスト8に入っているツォンガがただで引き下がるわけもなく、第3セットを奪い返す。
依然マレーがリードしているものの、ツォンガもスイングスピードの速いフォアハンドと、巨体に似合わない柔らかなネットプレーを駆使し、徐々に差を詰める。第4セットはほぼ互角、むしろツォンガにも充分チャンスがある展開となった。
その打ち合いを最後に制したのはマレーであった。ポイントごとに形勢が揺れるようなシーソーゲームの末、とうとうマッチポイントを獲得。
だが、この最後のポイントに微妙なアクシデントが起こることとなるのだ。
ストローク戦の末、チャンスと見たマレーがフォアハンドでクロスに、エースねらいの鋭いショットをたたきこむ。
ボールはギリギリラインに乗った。ツォンガは追いつけず、決まったと思った。
マレーが決勝進出だ。地元イギリス人で埋め尽くされたセンターコートに大歓声が起こる。
そこにラインパーソンの天にも響くような声で「アーウト!」のコール。手をあげて、ネットに駈け寄ろうとしたマレーが思わず頭をかかえる。完璧に決まったと思ったショットが、まさかのアウト。
マレーはすぐさま手をあげて「チャレンジ」(判定に異議を唱え、ビデオ判定の権利を行使すること)するが会場のざわめきはおさまらない。
とここで、私は驚愕の光景を見た。
マッチポイントで判定はアウトだったのに、そしてマレーがすかさずチャレンジをしたのに、しかもまだそのチャレンジの結果が出ていないのに、対戦相手のツォンガはすでにネットに出てきてマレーと試合終了の握手をすべく待っていたのだ。
それも笑顔で。
(次回【→こちら】に続く)
「奇妙な光景だった」という出だしではじまるエッセイに、そんなことを書いたのは将棋のプロ棋士である先崎学八段であった。
第2期竜王戦七番勝負の最終局でのこと。
というと、コアな将棋ファンには、すぐにピンと来るであろう。そう、羽生善治が19歳2か月という史上最年少(当時の記録)のタイトルホルダーになった戦いだ。
このビッグタイトル獲得が、のちの長い長い羽生時代の大きな第一歩となる。
だがここで先崎八段が「僕もなりたい」といったのは羽生のことではない。竜王位を奪われた敗者、島朗のことであった。
先崎八段の言う「奇妙な光景」とは、対局後の控え室での出来事。そこでは関係者が、打ち上げ代わりということかモノポリーに興じていた。
それだけならなんということもない場面だが、ここで違和感があったのが、そのメンツの中には羽生、島の両対局者の姿が。
ほんの数時間前まで、竜王というビッグタイトルと3200万円の賞金をかけて戦っていたふたりが参加していたことである。
凡人の考えでは、その場に先ほどまでまなじりを決して火花を散らしていたふたりが、自然な様子でゲームを楽しめるという感覚が理解できない。
百歩ゆずって、勝った方はいいだろう。金も名誉も手に入れたのだ。勝ちさえすれば、大腸菌だらけのどぶ川に飛びこむことも平気になるのが人間というもの。
少々気まずかろうがなんだろうが、たいしたことではない。
だが敗者の場合はどうだろう。そんなところには、たとえ1秒だって居たくはないのではないだろうか。
その様子は先崎八段の筆を借りると、
「部屋には一種不思議な緊張感が流れていた。みんな島さんに気を遣い、口数も少なく、島さんがひとりでしゃべっていた。僕は、自分が場違いなところにいるのではという気がして、早く一人になりたかったがそうもいかない。島さんが羽生の前で笑顔をつくれるのが信じられなかった。たとえ、パフォーマンスだとわかっていても―――」
後年、私は同じように敗北のあと笑顔を見せたプレーヤーを見ることになる。それは、2012年ウィンブルドン準決勝のことであった。
決勝進出をかけたこの大一番は、地元イギリスのアンディー・マレーと、フランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガとの間で行われた。
試合はマレーが地元の声援を受けて優位にすすめ、いきなり2セットアップ。
だが第5シードで、昨年度フェデラーを破ってベスト8に入っているツォンガがただで引き下がるわけもなく、第3セットを奪い返す。
依然マレーがリードしているものの、ツォンガもスイングスピードの速いフォアハンドと、巨体に似合わない柔らかなネットプレーを駆使し、徐々に差を詰める。第4セットはほぼ互角、むしろツォンガにも充分チャンスがある展開となった。
その打ち合いを最後に制したのはマレーであった。ポイントごとに形勢が揺れるようなシーソーゲームの末、とうとうマッチポイントを獲得。
だが、この最後のポイントに微妙なアクシデントが起こることとなるのだ。
ストローク戦の末、チャンスと見たマレーがフォアハンドでクロスに、エースねらいの鋭いショットをたたきこむ。
ボールはギリギリラインに乗った。ツォンガは追いつけず、決まったと思った。
マレーが決勝進出だ。地元イギリス人で埋め尽くされたセンターコートに大歓声が起こる。
そこにラインパーソンの天にも響くような声で「アーウト!」のコール。手をあげて、ネットに駈け寄ろうとしたマレーが思わず頭をかかえる。完璧に決まったと思ったショットが、まさかのアウト。
マレーはすぐさま手をあげて「チャレンジ」(判定に異議を唱え、ビデオ判定の権利を行使すること)するが会場のざわめきはおさまらない。
とここで、私は驚愕の光景を見た。
マッチポイントで判定はアウトだったのに、そしてマレーがすかさずチャレンジをしたのに、しかもまだそのチャレンジの結果が出ていないのに、対戦相手のツォンガはすでにネットに出てきてマレーと試合終了の握手をすべく待っていたのだ。
それも笑顔で。
(次回【→こちら】に続く)