ノバク・ジョコビッチとピート・サンプラス グランドスラム達成への道 その4

2016年05月11日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 ピートサンプラスが全仏オープンで優勝できなかったは「信用」がなかったのが原因ではあるまいか。

 将棋の大山康晴名人の説では、勝負師は「強い」と思われたら、それだけで勝てるし、逆もまたしかり。

 王者として君臨していたロジャー・フェデラーが一時期深刻なスランプにおちいったのは、心身の衰えとともに、これまでビビッてくれたはずの相手から、

 「今のロジャーなら勝てる」

 そう思われはじめたこと。

 にらみつけると、目をそらす代わりに、にらみかえしてくる。

 評価が下がった。なめられた。

 これまで無敵のチャンピオンとして恐れられたオレ様が、今や完全に「ターゲット」にされている。向かい合った時点で相手が自信満々。舌なめずりしながら、

 「ロートル相手なら勝てるかも」「いや、勝てる」「明日は一面だ」「名をあげるチャンスにしたい」

 なんて思われていたら、もう勝てるものも勝てなくなる。

 それどころか、不遜な若手選手なら、

 「楽勝だ」「賞金いただき」「体力温存できてラッキー」

 くらいに思っているかもしれない。そういった屈辱的な視線こそが、ロジャーをゆるがし、スランプに追いこんだのではあるまいか。

 こうなると、かつての王者もつらい。リードされると「ほら、やっぱり!」とカサにかかられるし、不利になっても簡単にあきらめてくれない。どんなに追いこんでも、

 「長引かせればチャンスはある、いつか崩れるはずだ」

 という姿勢でねばりまくられたら、ただでさえ衰えを自覚しているのだ。もう勘弁してくれと悲鳴をあげそうになることだろう。

 そうして実際に勝ちきれず、ますます自信を失うことになる。フェデラーほどの男ですら、そこを乗り越えるのに2年近くの歳月がかかった。「アンダードッグ」になるのは、かくもみじめなのだ。

 この「信用の失墜」こそが、ローラン・ギャロスで苦しんだサンプラスの敗因だったのではあるまいか。

 USオープンやウィンブルドンでは当たった瞬間「おつかれッス」な男が、その場所をパリの赤土に変えるだけで、「ボーナスステージ」と化してしまう。

 ジルベール・シャラーも、ラモン・デルガドも、ガロ・ブランコも、アンドレア・ガウデンツィも、おそらくピートと当たった時点で「しまった!」とは思わなかったのではなかろうか。むしろ、

 「一発入れてくるか」

 くらいに感じていたのかもしれない。

 そうなったときすでに、ピートはチャンピオンのアドバンテージを失っていたのだ。それが彼の、クレーへのアジャスト以上の敗因だ。

 かくのごとく、トッププレーヤーというのは全盛期を過ぎると心身の衰えとともに、この「信用」ポイントの目減りに悩まされる。

 昨年度、まさにこれに苦しめられていたのが、ラファエル・ナダルであろう。

 2015年度を通じて、かつての王者が軽んじられていた。今年はモンテカルロやバルセロナを制し復調の気配を見せつつあるが、ここ数年のラファエルは、周囲の「あいつはもうおしまい」という視線に悩まされていたはずだ。

 苦しい、くやしい、だが体はそれをはね返す力を失いつつある。

 昨年度、ラファは無敵を誇ったローラン・ギャロスをついに取れず、錦織圭の前にも初めて屈したが、我々はさほどその結果に驚きはしなかった。

 「やろうな」と。

 そういうことである。

 その点でいえば、ノバク・ジョコビッチというアスリートのすばらしさが理解できる。

 ノバクは2011年に大爆発するまで、完全に「永遠の2番手」だった。厳しい言い方をすれば、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルにうまみをすべてかっさらわれて、残った「おあまり」をもらうような立場だった。

 あの怒涛の41連勝まで、私をはじめ多くのテニスファンにとって彼は

 「実力はあるがトップにはなれない」

 「フェデラーやナダルの咬ませ犬」

 という評価だった。はっきりいって、「このまま終わる男」だと思われていた。

 だが、彼はそれをくつがえした。一度ははっきりと「格付け」がなされた関係を破壊し、ものすごい勢いで借金を回収し、今では鬼の取り立て側に回っている。ここ数年はすっかり、かつてのフェデラー並みの独禁法違反男だ。

 ジョコビッチのすごさはテニスの実力もさることながら、このかつて失われたはずの「信用」を見事に奪い返したことにあると思う。これは杉山愛さんも感嘆しておられて、

 「あの2強時代に、心を折らせずに浮上できたことがすごい」

 まったくその通り。ノバクのすごさはフットワークでもストロークの正確さでもない。

 はっきりと「負け下」と断ぜられたにもかかわらず、愚痴らず、すねず、あきらめず、ヤケになることもなく、じっと息をひそめて「ねらっていた」精神力なのだ。なんと強靭で、なんとしたたかなのだろう!

 これがパリでのサンプラスはできなかった。彼がローラン・ギャロスで一敗地にまみれたのは、クレーのスペシャリストたちに「なめるなよ」とにらみ返せなかったせいだ。

 もしなにかのきっかけで、「クレーでのピート、今年はまるで別人だぞ」と思わせることができていれば、きっとサンプラスはそのハッタリだけ、全仏のタイトルを手にできていたことだろう。

 それだけの実力は、間違いなくあったのだ。そんな彼でも、「信用」を失うと勝てない。勝負の世界は、かくも繊細かつシビアなのだ。


 

 (サンプラスのパリでの苦闘については→こちら

 


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