前回(→こちら)の続き。
全仏オープンが苦手で、ついに一度も優勝できなかったピートサンプラスだが、彼が勝てなかったのはクレーが苦手という要素のほかに、もうひとつ問題があったと推測される。
それは対戦相手に対して、心理面のアドバンテージを積み上げることができなかったこと。
かつて将棋の世界で無敵を誇った大山康晴十五世名人は、「勝負に大切なことは?」との問いに、こう答えたという。
「信用です」
これこそが、サンプラスの敗因だったのではあるまいか。まさにピートには、クレーでの信用がまったくといっていいほどなかった。
ここでいう信用とは人格のことではなく、その人の実力に対するそれ。
たとえば、あなたが大会の1回戦でノバク・ジョコビッチと当たることになったらどうだろうか。
まあ、普通に考えれば「しまった!」と思うだろうし、ゲンナリするだろう。くじ運悪すぎやろ、と。人によってはコーチに、「次の日の航空券押さえておいて」と伝えるかもしれない。
こういう「信用」のある選手は楽なのだ。
先にリードを奪えば「やっぱりな……」とむこうが勝手に戦意を喪失してくれるし、逆に善戦されても相手は最後まで、「この人相手に勝てるわけとか……」と疑心暗鬼とプレッシャーにさいなまれる。それをはねのけて金星をつかむのは、容易ではない。
将棋の世界では「羽生ブランド」という言葉があり、羽生名人が指した手は、たとえどのような悪手疑問手に見えようとも(そして実際にミスでも)、対戦相手が、
「あの羽生さんが、こんな悪い手を選ぶはずがない」
「こちらが気がつかない、すごい返し技を用意して待ちかまえているかもしれない」
などと勝手に深読みして消耗し、ときには自滅してしまうことがある。
もちろん、そうなるのは他の局面で散々、
「相手に悪手と思わせた手が、実は羽生以外誰も気づかなかった盤上この一手の絶妙手」
という、はなれわざを、何度も演じてきているからだ。
そのダメージとトラウマが、「あの時みたいに……」と次以降の対戦でも効いてくる。こういった格の違いを見せつけることが、「信用」を生むのだ。
こうして、強いものはただでさえ強いのに、さらに「信用」の力でもって相手をすり減らしていき、戦わずしてますます勝利を積み上げる。まさに正のスパイラル。
一方、「信用がない」もしくは「落ちた」選手は苦しい。
かつて無敵の王者として君臨したロジャー・フェデラーは、一時期格下相手に取りこぼし、優勝が当たり前だったグランドスラムのベスト8くらいで止まってしまうという、深刻なスランプに見舞われていたころがあった。
これは、肉体的精神的おとろえもさることながら、それにより「信用」がゆらいだことが大きかったのではなかろうか。
全盛時代のロジャーはまさに史上最強だった。あらゆる相手にあらゆる大会で勝ちまくり、まさに独り舞台。すべての栄冠を独占する選手であった。
それがラファエル・ナダルの台頭から少しずつ「常勝」とはいかなくなり、やがて「限界」「引退」の声もかしましくなっていった。
ジョコビッチやマレーといった2番手集団の逆襲をゆるし、それどころかかつてならありえなかったような、無名の選手に不覚を取るケースもあった。
そこで皆が感じはじめたのだ。
「今のロジャーは強くない」と。
スランプ時のフェデラーは困惑したことだろう。それまでなら、ネットをはさんでひとにらみすれば、すくみあがっていた対戦相手が、「あーん?」みたいな顔でにらみ返してくるのだから。
(続く→こちら)
全仏オープンが苦手で、ついに一度も優勝できなかったピートサンプラスだが、彼が勝てなかったのはクレーが苦手という要素のほかに、もうひとつ問題があったと推測される。
それは対戦相手に対して、心理面のアドバンテージを積み上げることができなかったこと。
かつて将棋の世界で無敵を誇った大山康晴十五世名人は、「勝負に大切なことは?」との問いに、こう答えたという。
「信用です」
これこそが、サンプラスの敗因だったのではあるまいか。まさにピートには、クレーでの信用がまったくといっていいほどなかった。
ここでいう信用とは人格のことではなく、その人の実力に対するそれ。
たとえば、あなたが大会の1回戦でノバク・ジョコビッチと当たることになったらどうだろうか。
まあ、普通に考えれば「しまった!」と思うだろうし、ゲンナリするだろう。くじ運悪すぎやろ、と。人によってはコーチに、「次の日の航空券押さえておいて」と伝えるかもしれない。
こういう「信用」のある選手は楽なのだ。
先にリードを奪えば「やっぱりな……」とむこうが勝手に戦意を喪失してくれるし、逆に善戦されても相手は最後まで、「この人相手に勝てるわけとか……」と疑心暗鬼とプレッシャーにさいなまれる。それをはねのけて金星をつかむのは、容易ではない。
将棋の世界では「羽生ブランド」という言葉があり、羽生名人が指した手は、たとえどのような悪手疑問手に見えようとも(そして実際にミスでも)、対戦相手が、
「あの羽生さんが、こんな悪い手を選ぶはずがない」
「こちらが気がつかない、すごい返し技を用意して待ちかまえているかもしれない」
などと勝手に深読みして消耗し、ときには自滅してしまうことがある。
もちろん、そうなるのは他の局面で散々、
「相手に悪手と思わせた手が、実は羽生以外誰も気づかなかった盤上この一手の絶妙手」
という、はなれわざを、何度も演じてきているからだ。
そのダメージとトラウマが、「あの時みたいに……」と次以降の対戦でも効いてくる。こういった格の違いを見せつけることが、「信用」を生むのだ。
こうして、強いものはただでさえ強いのに、さらに「信用」の力でもって相手をすり減らしていき、戦わずしてますます勝利を積み上げる。まさに正のスパイラル。
一方、「信用がない」もしくは「落ちた」選手は苦しい。
かつて無敵の王者として君臨したロジャー・フェデラーは、一時期格下相手に取りこぼし、優勝が当たり前だったグランドスラムのベスト8くらいで止まってしまうという、深刻なスランプに見舞われていたころがあった。
これは、肉体的精神的おとろえもさることながら、それにより「信用」がゆらいだことが大きかったのではなかろうか。
全盛時代のロジャーはまさに史上最強だった。あらゆる相手にあらゆる大会で勝ちまくり、まさに独り舞台。すべての栄冠を独占する選手であった。
それがラファエル・ナダルの台頭から少しずつ「常勝」とはいかなくなり、やがて「限界」「引退」の声もかしましくなっていった。
ジョコビッチやマレーといった2番手集団の逆襲をゆるし、それどころかかつてならありえなかったような、無名の選手に不覚を取るケースもあった。
そこで皆が感じはじめたのだ。
「今のロジャーは強くない」と。
スランプ時のフェデラーは困惑したことだろう。それまでなら、ネットをはさんでひとにらみすれば、すくみあがっていた対戦相手が、「あーん?」みたいな顔でにらみ返してくるのだから。
(続く→こちら)