前回(→こちら)の続き。
灼熱の砂漠越えのような長く苦しい戦いの末、はじめてフレンチ・オープン準決勝に進出した1996年大会のピート・サンプラス。
そうしてむかえた準決勝、対カフェルニコフ戦は、優勝に向けての最後の関門であった。
これが事実上の決勝戦ではというのが、周囲の大方の声。
もうひとつの山に残っているのは、ドイツのミヒャエル・シュティヒとスイスのマルク・ロセ。
ロセはスイスのナンバーワン選手だが、サンプラスとははっきり格がちがう。
またシュティヒはウィンブルドン優勝経験もあるオールラウンドプレーヤーだが、クレーは得意というサーフェスではない。
もちろん簡単ではないが、それこそトーマス・ムスターのような体力勝負のクレーのスペシャリストよりは、よほど戦いやすい相手であろう。
ついにXデーは間近だ。
という期待は、試合開始すぐに裏切られることとなった。
それは、第1セットのサンプラスの戦いぶりを見ていればわかった。彼は明らかに精彩がなかった。
動きは鈍く、いつ足が止まるのかと危惧しながら、おそるおそるプレーしているのがわかった。
その理由は明かであった。
そう、彼は疲れすぎていた。
ブルゲラ、マーチン、クーリエという強敵相手にフルセットの戦いを連続で強いられ、すでに心身ともに限界が来ていた。
サンプラスはすでに、このベスト4進出までに、すべてを出しつくしてしまったのだ。
本来ならば決勝戦の最後の最後に出すべき「ゴール前のいい足」を、クーリエ戦の最終セットで使わざるを得なかったのが計算違いだったろう。
無情にも、すでにしてガソリンはタンクに一滴も残っていなかったのだ。
そんな状態で、ロシアのスーパーエースであるカフェルニコフに勝てるはずもない。
それでも第1セットはタイブレークに持ちこみ、このセットを先取できればもしやとも思わせたが、ここを失ってすべてが終わった。
それでもまだ、テレビを見ながら私はかすかな希望にすがっていた。
なぜなら、この大会の主役はまちがいなく、ピート・サンプラスだったからだ。
スポーツ漫画やドラマでは、優勝するチームはすべからく強豪ひしめく山には入り、そして何度もドラマチックな勝利を披露し勝ち上がる。
明訓高校も、南葛中学も、そしてピート・サンプラスもそうだった。
その主役が、決勝にも残れずにこんなところで消えるはずがない。それが物語というものだ。
だが、その想いはむなしかった。
もっとも、今考えれば、仮に最初にリードを奪えても、カフェルニコフには勝てなかっただろう。
それくらいに、サンプラスは疲弊していた。
33度を超える真夏日の気温がそこにとどめをさした。
この日は、すべての目がサンプラスの裏へ裏へと出るようになっていた。
負ける時というのは、そういうものなのかもしれない。
そのことはスコアを見ても一目瞭然であった。6-7のあとは、0-6・2-6と、まったく抵抗できないままカフィの軍門に下った。
あれほどに完璧なテニスを見せ、タフな戦いにも耐え抜く根性すら発揮したサンプラス。
この内容で優勝できないなら、いつ勝てるんだというくらいに見事な仕上がりを見せていたが、それでも勝てなかった。
それはドロー運のせいだった。
テニス選手としてすべてを手に入れた彼であったが、ことフレンチに関してだけいえば実力うんぬんではなく、「持っていなかった」のだ。
一度でいいから勝たせてあげたかった、とテニスファンなら皆が思ってたろうが、これもめぐりあわせか。
実力だけでは、どうしようもないこともある。
それが、勝負の妙というものなのだろう。
■おまけ 1996フレンチ・オープン サンプラスとブルゲラの死闘【→こちら】