このドイツ文学がすごい! エーリヒ・ケストナー『ケストナーの終戦日記』

2018年05月20日 | 

 第二外国語の選択はむずかしい。

 というテーマで以前少し語ったが(→こちら)、私の場合はドイツ文学科に進学したので、これに関しては泣いてもわめいても「強制ドイツ語」。

 前回までシュテファンツヴァイクについて語ったが(→こちら)、今回も、私をそんなマイナー街道へと導いた、罪深くもすばらしい作品の数々を紹介している。

 エーリヒケストナーケストナーの終戦日記

 ドイツ文学には昔からひとつ弱点があるといわれている。

 それはフランツカフカのように「難解」なことでもトーマスマンブッデンブローク家の人々』のように、「重厚で長い」ということでもなく、



 「ユーモアに秀でた作品が少ない」



 基本、マジメなイメージのゲルマン民族。

 加えて、そもそも寒くて暗い気候のところに、笑いを生む余裕が出てきにくいのか、ドイツの物語文化には「ユーモア」がないといわれがちだ。

 たしかに古典では、レッシングの『ミンナフォンバルンヘルム』なんかも、悪くはないけど、傑作というほどでもないかもしれない。

 いわゆるコメディ的なものでなくとも、シリアスな中に、そこはかとなく「人間喜劇」をちりばめるところなどは、イギリスフランスの諸作の方が、うまい気もしないでもない。

 だがもちろん、われらがドイツ軍も「ほらふき男爵」ことミュンヒハウゼン

 オーストリアからはシュニッツラーの『輪舞』のような、軽妙な恋愛喜劇もあったりして、思ったほど堅物でもないところを見せている。

 そんな少数精鋭(?)を誇る、我らドイツのユーモア師団だが、中でも世界的知名度の高さでは、エーリヒケストナーの名が上がるのではあるまいか。



 『ふたりのロッテ』

 『エーミールと探偵たち』

 『点子ちゃんとアントン』

 

 など、楽しい児童文学で知られるケストナーだが、実のところ彼の持ち味は、骨太なモラリストであること。

 ケストナーの作風はやや説教臭く、実際物語の合間合間に「教訓」みたいなコーナーを設けて、



 「お母さんを大切にしましょう」

 「友達は大事だよ」

 「貧しい人には慈悲の心を忘れずに」



 みたいなことを、わざわざ書いてしまうのだ。

 ふつうなら、

 

 「なんだこれは」

 「うっぜーなあ」

 

 あきれてしまうところだが、存外そうはならないのが、ケストナーの妙味であり、それこそが実は「ユーモア」の力。

 そう、ケストナーはまじめで倫理を重んじる作家だが、それをにしたり、ゆかいな物語の中にまぜこむことによって、

 

 「大人の押しつけがましさ」

 

 これを消すことに、成功しているのだ。

 後年、カートヴォネガットを読んだとき、

 

 「これ、ケストナーですやん!」

 

 と思ったものだが、月曜日の朝っぱらから校長先生に全校生徒の前で、

 

 「友情は大事だよ」

 

 とか言われても、

 

 「はあ?」

 「うるっせーよ、早く話を終わらせろや!」

 

 だけど、ウルトラマンプリキュアの「神回」のテーマがそれだったら、素直に心に突き刺さる。

 ケストナーのすごいところは、大人になってもそのことを忘れていないこと。

 これは、自分が「大人」になればわかるけど、案外できることではない。

 またケストナーの、ともすればめんどくさくなりがちな「モラル」の部分に説得力を持たせている要素は、もうひとつある。

 それは、彼自身がを懸けて、それを守ろうとした意志の力によるものだ。



 (続く→こちら




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