「自陣飛車」というのは上級者のワザっぽい。
飛車という駒は攻撃力に優れるため、ふつうは敵陣に、できれば成って竜にして暴れさせたいもの。
そこをあえて、自陣で生飛車のまま活用するというのは難易度が高く、いかにも玄人という感じがするではないか。
前回は大山康晴十五世名人による、角を使った妙手を紹介したが(→こちら)、今回は飛車のうまい使い方を見てみたい。
1996年、第54期A級順位戦の最終局で、森内俊之八段と『聖の青春』の主人公である村山聖八段が当たることとなった。
村山はすでに残留を決めて、なかば消化試合だが、6勝2敗の森内は勝てば、同星の森下卓八段とのプレーオフ以上が決まる大きな勝負だ。
森内が向かい飛車で△32金とあがる急戦を見せ、飛車角交換後に村山が▲45歩と突いたところ。
角のラインを止めるのはむずかしそうで、攻め合いでも、△28や△27にすぐ飛車を打つのは▲39金で、うまく桂香が取れない。
となると、あの手が出てくる。
「ま、森内なら、こうだよね」
通ぶりながら、打ちつけたい場所は……。
△41飛と打つのが、森内流の腰の重い手。
ダムを強力な支柱で支え、これで4筋は持ちこたえている。
▲44歩、△同銀、▲65角の攻めには△31飛打(!)が好手で、後続がない。
△41飛に村山は▲23歩とたらすが、ここで△25歩と突くのが、これまた森内流の牛歩戦術。
▲58金右に、さらにじっと△26歩!
なんてイヤな手なのか。
こんな手が間に合うのかといいたいけど、森内ほどの男に
「間に合いますね」
と言われては顔面蒼白になる。
静かに、でも一歩ずつ確実に、ヒタヒタとせまるところは、まるでホラーめいた恐ろしさが。
なんだか、パトリシア・ハイスミスの短編小説『クレイヴァリング教授の新発見』みたいではないか。
こんなので負かされてはアツいということで、先手は▲44歩と取り、△同銀に勇躍▲22角と打ちこむ。
△33桂と跳ね、▲42歩、△同飛、▲11角成と手をつくして攻めるも、△23金、▲21馬に△41飛打と再度の自陣飛車!
これにはさしもの「西の怪童丸」こと村山聖もまいった。
▲43香、△同飛、▲32馬のような手にも、△34金でまったくダメージをあたえられない。
▲65馬と逃げるしかないが、これで後手玉はまったく怖いところがない。
以下、△27歩成、△28と、△19と、と着々とせまり、△45桂から、取った香を△56に打って攻め切った。
自陣飛車というだけでもめずらしいのに、それが2回も、それもまだ中盤戦で出るのだから、すごい作りの将棋だ。
さらには、あの△25歩からの攻め。
あの、なにかおそろしい圧が迫ってくる感は、今並べ直しても恐怖を感じる。
まさに、森内俊之の名局といって、いいのではないだろうか。
(先崎学と佐藤康光の竜王戦挑戦者決定戦編に続く→こちら)