大童澄瞳 原作 アニメ『映像研には手を出すな!』がおもしろい

2020年02月09日 | オタク・サブカル

 アニメ『映像研には手を出すな!』が、ガッツリおもしろい。

 人にはそれぞれ思い入れのあるジャンルというのがあるもので、元野球部員は『ダイヤのA』とか、元ロック少年だった現ロックオジサンには『ボヘミアン・ラプソディ』とか。

 そういった「これ、オレの話やから」というジャンルが、私の場合「文化系の部活」をあつかったもの。

 過去にも初野晴「ハルチカ」シリーズや(→こちら)、ドラマ『アオイホノオ』でも語ったが(→こちら)とにかくこの手の物語に弱く、まさに『映像研』などドンピシャなところを突いてくるなとワクワクさせられるのだ。

 私は若いころから、文章を書いたり舞台に立ったりするのが大好きな「表現したい」さんだった。

 高校では某文化部に所属し、文化祭をはじめ各種イベントで走り回った。

 そこからも落語をやったり、演劇をやったり、自主映画を手伝ったり、ミニコミ誌を作ったりといった青春を、やったりとったりしたもの。

 仲間を集めて、企画を立てて、会議して、金がなければバイトして、脚本を書いて、稽古して、ケンカして、受けてスベッて、泣いて笑って転がって。

 そこには金も才能も大してないが、熱意とアイデアだけはムダにあって、とにかく鬼の数ほど深夜のファミレスで過ごしたものだった。

 人生がつまらないという人は、一度舞台に立てばよい。そんな悩みなど、一瞬で吹き飛ぶはずだ。

 だからだろうか、私は自分と同じく「イケてない」人が、

 「リア充がねたましい」

 「クラスの一軍にあこがれがあった」

 なんていうのが、今ひとつ理解できない。

 だって、彼ら彼女らのやってることなんて、流行りのテレビか、あとはオシャレとかヒットソングとかそんなんの話ばっかりで、ちっともおもしろくなかった。

 その想いは、文化祭の出し物でクラスメートが、当時流行っていたコント番組の完コピを披露していたときピークに達したのをおぼえている。

 なんて、つまらないんだ。

 その理由は、今ならわかる。別に流行のコピーがダメなのではない。好きなものをマネたくなるのは創作の基本のキだ。だから、コピバンとかも、全然OKである。

 でもきっと、彼ら彼女らがやることの中に、決定的に欠けているものがあったのだ。

 それはまさに浅草氏の言うような、だれになにを言われようが、笑われようが無視されようが絶対にゆずれない自分だけの、

 「最強の世界」

 これを持っている子がいなかったから。

 たまさか、そういう人と組むことがあるとすぐわかって、彼ら彼女らは「なんかやろうぜ!」という声は勇ましく、飲み屋ではものすごく盛り上がるのだが、その後、本当に企画やアイデアを持ってくる人はひとりもいないのだ。

 だからこそ、それを持っているヤツに出会えたときは震えがきた。

 「重ねてみますか」

 「合作しようよ」

 「入部がダメなら、新たに部をつくりゃあいい話じゃないですか」

 そのイチイチに反応してしまうのだ。そんなん「よっしゃ!」とガッツポーズだよ。

 そうだ、ダメなら作って、創ればいい。それだけのことなのだ。

 だからこれは本当に言いたい。今がつまらないという若者は、いや若者でなくとも中年でも、おじいさんおばあさんでも全然。

 仲間を集めて、アニメを作ろう。もちろん、小説でも演劇でも映画でもゲームでもバンドでもお笑いでもYouTubeでも、なんでもいい。

 もし私が浅草水崎コンビに出会ったら、上田早夕里『華竜の宮』みたいな海洋SF撮ろうって誘うよ。

 ハインラインの『人形つかい』とか、マイクル・コーニイ『ハローサマー・グッドバイ』とか、池上永一『シャングリ・ラ』(戦車対少女だ!)なんてイメージでもいい。画は描けないけど、シナリオの部分を手伝わせてよ。

 それがムリなら、熱意や才能を持ってるヤツ探して、おだてて、すかして、嘘八百でだまくらかして「諸々のサポート」してあげてもよいではないか。金森君のように。

 ペンを取ろう、舞台に立とう、カメラを回し、プログラムを組もう。

 それだけで、そんな簡単なことだけで、行けるんだから。

 私たちの夢みる、自分だけの「最強の世界」に。

 

 

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