「勇気」の価値は ジョー・ウォルトン『ファージング』三部作 『英雄たちの朝』『暗殺のハムレット』『バッキンガムの光芒』

2021年02月18日 | 
 ジョーウォルトンファージング』三部作を読む。

 舞台は1949年。第二次大戦終結後、すぐのイギリス

 といっても、これは我々の知る


 「アメリカ、イギリス、ソ連などを中心とした連合軍がドイツ(&日本)に勝利した戦後」


 という教科書で習うそれではなく、この『ファージング』三部作による「戦後」とは、

 「ドイツの副総統ルドルフヘスによる講和工作の成功により、イギリスドイツ和平を結んだ世界」
 
 有名なところではフィリップ・K・ディック高い城』や、クリストファー・プリースト双生児』に代表される、
 
 
 「第二次大戦でドイツが勝利(に近いもの)をおさめた」
 
 
 という歴史改変もの作品になっているのだ。 

 この世界ではアメリカは第二次大戦に参戦しないどころか、親独チャールズリンドバーグ大統領になっていたりしている。
 
 ソ連とドイツは、いまだ東部戦線で殺し合いをしていて、「クルスクの戦い」をあつかった映画に、ハンフリーボガートが主演したり。

 われらが大日本帝国も「東亜共栄圏」(イギリスとやりあってないので領土を分け合っているから「」ではないらしい)で、ブイブイいわしたりとか、そういう時代なのである。

 この『ファージング』三部作に共通している構成として、語り手が2人いることがあげられる。

 まずシリーズを通しての主人公であるカーマイケルは、スコットランド・ヤードの刑事

 イギリスを対独講和に導いた「ファージング・セット」と呼ばれる貴族政治家など、上流階級で起こった殺人事件の捜査を担当することから、政治的陰謀に巻きこまれていくことに。

 一方、そのペアとなる語り手は、これがすべて女性

 『英雄たちの朝』のルーシー、『暗殺のハムレット』のヴァイオラ、『バッキンガムの光芒』のエルヴィラ

 3人とも、自身が深くかかわっている上流階級の社会に違和感を感じ、自分の人生を自分で選択したい、という強い意志を持っている。

 性格こそ違えど、そこはかなりハッキリと設定的にトレースされており、もしかしたら作者であるジョーウォルトンの性格や思想が、大きく投影されているのかもしれない。

 そして、この3人のもう一つの共通点は、


 「最初は政治に興味などなかったのに、それぞれの個人的な出来事がきっかけに、いやおうなく政争にかかわらざるを得なくなっていく」

 
 『英雄たちの朝』における、いっそ能天気ともいえるルーシーのパートでは、迫害の度合いが増しつつある、ユダヤ人を夫に持ったがゆえ。

 舞台女優のヴァイオラは、主演に抜擢された『ハムレット』の舞台上で、なんとヒトラー暗殺の片棒を担がされたことによって。

 諸所の事情でカーマイケルが後見人をつとめるエルヴィラも、オックスフォードへの進学と社交界デビューを控える中、政治犯とのつながりを疑われ、強制収容所(!)送りの危機にさらされる。

 彼女らは、はからずも関わることとなった事件から、徐々に「覚醒」していくのだが、読んでいて恐ろしいのは、


 「全体主義に染まっていくイギリス」


 これへの変化が静かに進行し、やがては後戻りできなくなるところまで行く過程だ。

 そう、「歴史」を知っているわれわれからすると、ナチズム同化していくイギリスの姿は危険であり、それだけでもドキドキするが(まあ、現実の英国もどうやねんとは思いますが)、当の本人たちは案外とそれを受け入れるし、もし違和感を感じたとしても、対抗する術もない。

 実際、カーマイケルも3人の女主人公も、政治的なかかわりに無知だったり面倒がっているし、エルヴィラに至ってはこんなセリフすら口にする。
 
 
 「ファシズムに逆らうのはよくないことでしょ?」
 
 
 そのへんの危機感のなさも、『バッキンガム』の解説で書かれいている作者の問題意識が、深くかかわっているのだろう。
 
 もしかしたら主人公たちの考え方の遍歴こそが、「かつてのジョー・ウォルトン」だったのかもしれない。
 
 いつの間に、世界はこんなことになってしまっているのか。その間自分は何をやっていたのか、と。

 昨今の世界情勢化を鑑みれば、あの国もこの地域も、もちろん日本も他人事でないところがリアルであり、考えさせられるところでもある。

 気がつけば、事態は対処不能なほどに悪化しており、無辜の市民も、いつの間にか他人事ではなくなる。
 
 歴史書をひもとけば、人は何度も何度も同じパターンを繰り返しているが、21世紀になっても、やはり似たようなことをくり返していく。
 
 そして、その責任はだれあろう「われわれ」にもあるのだ。
 
 3人の女性の変化を通じて、そうジョー・ウォルトンは突きつけてくる。

 ……なんて書くと、ずいぶんとお堅いというか、マジメな内容ではないかと腰が引けることがいるかもしれないが、これが案外とそうではない。
 
 このシリーズは三部作を通して、サクサク読める上質のエンターテイメントに仕上がっており、そんな設定の暗さをまったく感じさせないのだ。

 「ある秘密」ゆえに権力側に利用され、泥水を飲まされる羽目におちいったカーマイケルは、その知恵正義感によって、密かなレジスタンスを開始する。

 ルーシー、ヴァイオラ、エルヴィラも元は決して、たくましいヒロインではない。
 
 自意識こそ、同時代の平均的女性よりは強いかもしれないが、それぞれがそれぞれに、「若い娘さんの無思慮」を持った、等身大の女性にすぎないのだ。

 それでも彼女たちもまた、自身が不条理にさらされたとき、大きな決断をする。
 
 それはきっと、アントニオタブッキが『供述によると、ペレイラは……』で描いた「たましい」のためだ(それについては→こちら)。 
 
 リーダビリティーが高く、疾走感あふれる文体に、魅力的な設定とキャラクター

 紆余曲折に数々の悲劇もあるも、最後はあざやかで希望にあふれた収束。
 
 シメはちょっと出来すぎではというか、「そこにまかせて大丈夫?」という気もするけど、いかにも「大団円」と呼ぶにふさわしい大物もからんできて、エンタメ的にはこれでいいでしょう。

 ミステリ好きに歴史好き、また「の時代」に違和感を感じている人も皆、『ファージング』三部作は、とってもおススメです。
 
 
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