善き人のためのソナタ グザビエ・マリスvsロジャー・フェデラー 2012年ウィンブルドン4回戦 その3

2021年11月08日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2012年ウィンブルドン4回戦。

 ロジャーフェデラーケガに同情し、そのせいでプレーがどうにもおかしくなっている、ベルギーのグザビエマリス。

 フォアハンドを打てなくなったフェデラーに、

 

 「かわいそうに……」

 「いやいや、同情は禁物!」

 「でも……」

 「バカ野郎、なに考えてるんだ、試合中だぞ!」

 

 葛藤しているのが、ありありとわかるのだ。

 これまで通りプレーすれば、圧倒的有利なのはわかっているのに、それができない。

 その一方で、フェデラーは静かに静かにゲームを進めていた。

 腰を痛め、フォアは封じられたが、幸いなことにサービスには影響がなかった。

 使えないものは、しかたがないと割り切るしかなく、そっちは最低限つなぐだけにして、バックハンドネットプレーに活路を見出した。

 できるだけサービスポイントを取れるようにし、長いラリー戦を避ける。だましだまし、なんとか試合は続けられている。

 だが、それはあくまで「続けられている」というだけで、事態が好転しそうな気配はなかった。

 当てるだけの力のないフォアハンドでは、棄権を回避するので精一杯といった様子で、なんとも痛々しい光景だ。

 よほど、

 「もういいよ、ロジャー。これ以上は無理だ」

 そう言ってあげたくなったが、あにはからんや、ここで私は驚愕の光景を目にすることになる。

 気がつけば、いつの間にかフェデラーが、2セットアップしていたのだ。

 おいおい、これは、どういうマジックか。フェデラーはこの試合、最大の武器をうばわれていたはずなのだ。

 もちろん、マリスがそれを見て、調子をくずしたのも事実である。

 けど、それにしたって、絶好調のはずのマリスからハンディ付で、2セットリードなど、どうやれば可能なのか。

 言葉は悪いが、まやかしにかかったような気分だったが、そうやって、主導権を取ってしまったころには、彼の腰の状態はいつのまにか元に戻っていた。

 無理なショットを打たずに、じっと回復を待つ戦い方がついに報われて、ようやっと体が持ち直したのだ。

 フォアハンドも復活した。試合は開始時同様の、五分に戻っていた。

 さあ、仕切り直しである。

 と感じたのは、マリスも同じであったろう。

 皮肉なことに、フェデラーが回復してホッとしたのか、マリスのプレーのキレも、また元に戻っていた

 こうなっては、元々上がり調子だったマリスも強い。

 第3セットを奪い返して、これでセットカウントはフェデラーの2-1

 これには、私のみならず、世界中の観戦者が、

 「最初から、そうやっとけよ!

 つっこみを入れた思うが、彼からしたら

 

 「治ってくれてよかったよ、これで、こっちも全力でプレーできるぞ! さあ、ここから試合開始だ!」

 

 てなもんだったろう。

 まあ、彼が間違いなく「いいヤツ」であることは、よくわかる展開ではあったし、

 「ベストの状態である相手と、思いっ切り戦いたい」

 というフェアプレー精神には、正直ちょっと感動した。

 きっと彼にとってのそれは、獲得できる賞金や、ウィンブルドンの準々決勝進出という栄誉より、ほんの少しばかり大事なことだったのだろう。

 だが、時はすでに遅かった。

 互角の打ち合いで戦うなら、フェデラー相手に2セットダウンというのは重すぎる負債である。

 4セット目はフェデラーが見事に取りきって、6-46-12-66-2で、ベスト8進出。

 この試合を見て思ったのは、フェデラーの精神力もさることながら、マリスの心持ちだ。

 彼の敗因は、ハッキリしている。

 「あまりに、人が良すぎた

 自分はいいテニスをして、しかも相手がケガとなれば、変なことは考えず

 「今日のボクちゃん、マジでツイてるぜ、超ラッキーボーイ!」

 とか素直に受けとって、弱点となったフォアを、バンバン攻めてしまえばよかったのである。

 そうすれば、勝てた可能性は相当に高いが、それができなかったどころか、ケガに同情し、プレーに乱れが出た。

 彼は戦いのさなかに、敵の心配をすることができる、やさしい男だった。

 それは一人の人間としては、すばらしいことかもしれないが、勝負師としては甘かった。はっきり言って、甘すぎた

 ことこの試合にかぎっては、彼の自分の心の中にあるやさしさに、ツバを吐きかけるべきだったのだ。

 一方、おそるべきはロジャーフェデラーである。

 王者フェデラーは、この絶体絶命のピンチに、まったく、あきらめることがなかった。

 ひとつのグチも口にせず、不運をののしらず、ラケットや審判に、やつあたりすることもなかった。

 考えていたことは、ただただ試合を壊さないこと。気持ちを切らさないこと。

 相手の乱れに乗じて、じっと我慢し、体の回復を待つ。最後まで、棄権は考えない。

 フェデラーはコートの向こうの男や、スタンドのファンの同情の視線など、ものともせず、目の前の相手に、どうすれば逆転勝ちできるか、きっと、それしか頭の中になかったであろう。

 まったくもって、すごい男ではないか。

 どんな逆境になっても、なんという落ち着き、そして、なんという執念

 フェデラーはその後、決勝戦アンディー・マレーを破って優勝することとなる。

 もう一度言うが、勝てた試合を、むざむざ逃したマリスは甘すぎた。

 勝負の世界で「いい人」がほめ言葉にならないのは、こういうことをいうのだろう。

 だけど人間、なかなかフェデラーみたいな勝ち方も、できんよな。

 マリスの心にスキがあったのは、たしかだろうけど、それでもなにか、すごいものを見せられた気分になったよ。

 

 

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