前回(→こちら)の続き。
2012年のウィンブルドン4回戦。
ロジャー・フェデラーのケガに同情し、そのせいでプレーがどうにもおかしくなっている、ベルギーのグザビエ・マリス。
フォアハンドを打てなくなったフェデラーに、
「かわいそうに……」
「いやいや、同情は禁物!」
「でも……」
「バカ野郎、なに考えてるんだ、試合中だぞ!」
葛藤しているのが、ありありとわかるのだ。
これまで通りプレーすれば、圧倒的有利なのはわかっているのに、それができない。
その一方で、フェデラーは静かに静かにゲームを進めていた。
腰を痛め、フォアは封じられたが、幸いなことにサービスには影響がなかった。
使えないものは、しかたがないと割り切るしかなく、そっちは最低限つなぐだけにして、バックハンドとネットプレーに活路を見出した。
できるだけサービスポイントを取れるようにし、長いラリー戦を避ける。だましだまし、なんとか試合は続けられている。
だが、それはあくまで「続けられている」というだけで、事態が好転しそうな気配はなかった。
当てるだけの力のないフォアハンドでは、棄権を回避するので精一杯といった様子で、なんとも痛々しい光景だ。
よほど、
「もういいよ、ロジャー。これ以上は無理だ」
そう言ってあげたくなったが、あにはからんや、ここで私は驚愕の光景を目にすることになる。
気がつけば、いつの間にかフェデラーが、2セットアップしていたのだ。
おいおい、これは、どういうマジックか。フェデラーはこの試合、最大の武器をうばわれていたはずなのだ。
もちろん、マリスがそれを見て、調子をくずしたのも事実である。
けど、それにしたって、絶好調のはずのマリスからハンディ付で、2セットリードなど、どうやれば可能なのか。
言葉は悪いが、まやかしにかかったような気分だったが、そうやって、主導権を取ってしまったころには、彼の腰の状態はいつのまにか元に戻っていた。
無理なショットを打たずに、じっと回復を待つ戦い方がついに報われて、ようやっと体が持ち直したのだ。
フォアハンドも復活した。試合は開始時同様の、五分に戻っていた。
さあ、仕切り直しである。
と感じたのは、マリスも同じであったろう。
皮肉なことに、フェデラーが回復してホッとしたのか、マリスのプレーのキレも、また元に戻っていた。
こうなっては、元々上がり調子だったマリスも強い。
第3セットを奪い返して、これでセットカウントはフェデラーの2-1。
これには、私のみならず、世界中の観戦者が、
「最初から、そうやっとけよ!」
つっこみを入れた思うが、彼からしたら
「治ってくれてよかったよ、これで、こっちも全力でプレーできるぞ! さあ、ここから試合開始だ!」
てなもんだったろう。
まあ、彼が間違いなく「いいヤツ」であることは、よくわかる展開ではあったし、
「ベストの状態である相手と、思いっ切り戦いたい」
というフェアプレー精神には、正直ちょっと感動した。
きっと彼にとってのそれは、獲得できる賞金や、ウィンブルドンの準々決勝進出という栄誉より、ほんの少しばかり大事なことだったのだろう。
だが、時はすでに遅かった。
互角の打ち合いで戦うなら、フェデラー相手に2セットダウンというのは重すぎる負債である。
4セット目はフェデラーが見事に取りきって、6-4・6-1・2-6・6-2で、ベスト8進出。
この試合を見て思ったのは、フェデラーの精神力もさることながら、マリスの心持ちだ。
彼の敗因は、ハッキリしている。
「あまりに、人が良すぎた」
自分はいいテニスをして、しかも相手がケガとなれば、変なことは考えず
「今日のボクちゃん、マジでツイてるぜ、超ラッキーボーイ!」
とか素直に受けとって、弱点となったフォアを、バンバン攻めてしまえばよかったのである。
そうすれば、勝てた可能性は相当に高いが、それができなかったどころか、ケガに同情し、プレーに乱れが出た。
彼は戦いのさなかに、敵の心配をすることができる、やさしい男だった。
それは一人の人間としては、すばらしいことかもしれないが、勝負師としては甘かった。はっきり言って、甘すぎた。
ことこの試合にかぎっては、彼の自分の心の中にあるやさしさに、ツバを吐きかけるべきだったのだ。
一方、おそるべきはロジャー・フェデラーである。
王者フェデラーは、この絶体絶命のピンチに、まったく、あきらめることがなかった。
ひとつのグチも口にせず、不運をののしらず、ラケットや審判に、やつあたりすることもなかった。
考えていたことは、ただただ試合を壊さないこと。気持ちを切らさないこと。
相手の乱れに乗じて、じっと我慢し、体の回復を待つ。最後まで、棄権は考えない。
フェデラーはコートの向こうの男や、スタンドのファンの同情の視線など、ものともせず、目の前の相手に、どうすれば逆転勝ちできるか、きっと、それしか頭の中になかったであろう。
まったくもって、すごい男ではないか。
どんな逆境になっても、なんという落ち着き、そして、なんという執念。
フェデラーはその後、決勝戦でアンディー・マレーを破って優勝することとなる。
もう一度言うが、勝てた試合を、むざむざ逃したマリスは甘すぎた。
勝負の世界で「いい人」がほめ言葉にならないのは、こういうことをいうのだろう。
だけど人間、なかなかフェデラーみたいな勝ち方も、できんよな。
マリスの心にスキがあったのは、たしかだろうけど、それでもなにか、すごいものを見せられた気分になったよ。