矢倉か相掛かりか 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その4

2021年11月14日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 挑戦者の高橋道雄九段が2連勝してスタートした、1992年の第50期名人戦(第1回は→こちらから)。

 スコアのみならず、得意の矢倉が通じないのが苦しい中原誠名人は、第3局で、どの戦型を選ぶか注目されていた。

 意地の矢倉か、変化をつけて相掛かりか。

 固唾をのんで見守る中、中原は盤面右側の歩を持ち上げた。

 私はこれを知ったとき、思わず裁判の「無罪」のように、

 

 「▲初手26歩」

 

 と大書して、カメラの前に(どこのだ?)走り出したくなったほどだ。

 相掛かりだ。名人が矢倉を捨てた

 衝撃のオープニングだが、この選択を私は心ひそかに、よろこんでもいた。

 それは弱気な名人を嗤おうとか、相掛かりが見たかったとか、そういうことではない。

 他になにを言われようと、「名人のくせに」とヤジられようと、プライドを捨てて勝ちに行く、

 「大名人中原誠の本気モード

 が見られるのだとワクワクしたからなのだ。

 気分は小林旭。嵐が来るぜ、と。

 ガチで結果を取りにいった相掛かり選択だが、もちろん、だからといって、それで勝ちが決まったわけではなく、ともかくも目の前の一番をものにしなければならない。

 中原は浮き飛車から▲59金▲48銀型にかまえる。

 

 

 

 のちの「中座流△85飛車戦法」につながる「中原囲い」を選択し、軽くさばいていくが、高橋もを自陣に埋めるねばっこい指し方で、主導権を渡さない。

 難解な戦いが続いたが、最終盤の競り合いで、中原に危険な局面がおとずれた。

 

 

 

 ここまで、細い攻めを懸命につないできた先手だったが、この▲32銀成で、控室にいた中原の弟子である小倉久史四段が悲鳴を上げたという。

 高橋は△24角と打つ。いかにも好感触な攻防手だ。

 

 

 

 中原は▲33成銀と取るが、そこで△57香と放りこんでラッシュをかければ、後手が勝ちと結論が出ていたのだ。

 

 

 

 このシリーズ、高橋道雄が名人位に手をかけた瞬間が確実に2度あって、その1回目がここだった。

 まさに「あと1手」で、すべての将棋指しが目指す名人の頂に、たどり着けるところまできたのだ。

 この事実だけでも、かつての高橋道雄が、いかにを持った棋士だったかわかろうというもの。

 頂点をかけた、究極の2択だ。攻めるか、それとも受けるか。

 将棋で起こるドラマは、そのほとんどが秒読みの中で交錯する、一瞬のひらめきや決断に過ぎない。

 夢にあと一歩まで近づいた高橋だったが、ギリギリの状況で、ついに選択できなかった。

 △33同角と手を戻してしまい、これではいけない。

 ▲63桂成△11角▲52竜とせまられて、以下いくばくもなく中原が勝ちとなった。

 

 

 

 高橋にとっては惜しい、中原にとっては九死に一生という戦いだったが、とにもかくにも、この結果は中原にとってはとんでもなく大きかった。

 続く第4局は、今度こそ「エース投入」で相矢倉だ。

 逃げた、というそしりを受け、しかも最後は負け筋さえあった将棋だったが、勝ってしまえば1勝1勝

 中原からすれば、一息つけた上に、相手がダメージを受けているところに矢倉でたたいてタイに持ちこめば、一気に流れが自分のほうに来るはずだという算段である。

 ところが、この中原の継投策が、高橋には通じない。

 第3局こそ落としたものの、ここまでの流れを見れば、

 

 「オレの矢倉は通じる。いや、名人は恐れてさえいる」

 

 自信を持つのは当然であり、その姿勢はブレることがなかった。

 

 

 

 第1、2局に続いてガッチリと組み合ったが、ここから高橋が軽快に攻めかかる。

 

 

 

 

 

 ▲24歩、△同歩、▲同角が、高橋道雄、絶好調の仕掛け。

 駒損になるが、△同銀には勇躍▲44飛と取って、△43歩とでも受ければ、▲34飛から▲54飛とか、▲64飛とか。

 そうやって、ぶん回して大暴れすれば、▲23歩のたたきなどもあって自然に勝てると。

 

 「矢倉は先に攻めたほうが有利」

 

 といわれるが、その通りの突貫である。

 将棋はまだまだこれからだが、またしても高橋が主導権を握った戦いにはなった。

 どうしのぐか関心の集まる後手だが、今度は中原が驚愕の手を披露する。

 

 

 

 

 △26歩と打つのが、ちょっと指せない、すごい手。

 ねらいは、そりゃ△27歩成から△37と、を見せて先手をあせらせるということなんだろうけど、とても間に合うとは思えない。

 だとしたら、これはこのいそがしいのに、丸々1手パスになる可能性が大で、事実ここから高橋は好機に▲26銀と取り、▲37桂から▲25桂と、この手を逆用して攻めつぶしてしまう。

 ただ、この手自体はすごいというか、いわくいいがたいインパクトを残すもので、どう見ても好手には見えないけど、名人の底知れぬ力を見た思いだった。

 逆に言えば、そんな幻手にも惑わされず、自らの将棋をつらぬいた高橋も、また見事の一言。

 次々と連打を繰り出して、またも「エース降谷」をノックアウト

 これで3勝1敗。いよいよ名人位にリーチがかかった。

 ここへ来て、われわれはようやっと自分たちが、今おそるべき「リアル」に立ち会っていることを自覚することとなる。

 このまま「高橋道雄名人」が誕生すれば、歴史が変わるのだ。

 それは単に、新名人が誕生するだけでなく、

 

 「名人は選ばれるものがなる」

 

 という「神話」が崩れるという、将棋界のありかたそのものを、根本的にくつがえしてしまう「革命」に他ならなかったのだから。

 

 (→こちら

 

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