「旅に出たい病」は不治の病である。
ということで、前回は金やヒマがないとき、この発作をまぎらわす「旅のどんぐりコーヒー」として、
これらを紹介したが、他にもこんなのがあって、たとえば「香水のにおい」。
女は好むが男はそうでもないものに、「セロリ」とか「アボカド」とかいろいろあるけど、香水というのもそのひとつであろう。
特に金持ちっぽいマダムが、これでもかというくらいに振りかけて濃い匂いをまき散らしているところに出くわすと、
「化学兵器の使用はジュネーブ条約で禁止されとるわ!」
なんて、つっこみたくなるほどである。
ところが、これが私の場合、旅情を刺激される。
旅好きならわかっていただけると思うが、これが空港を思い出させるから。
特にパスポートコントロールを通過し、免税店コーナーに出入りすると、そこかしこにある香水屋と出くわす。
飛行機の出発時間まで、なにかとこの香りを鼻腔に感じるのが長いからか、それが脳にすりこまれてしまい、
「香水の香り=旅のはじまり」
というロマンの方程式ができあがってしまっているのだ。
なので、日本でも電車やエレベーターの中でマダムの香水をかぐと、
「あー、旅の香りやなあ」
陶然とすることになる。
ハタから見ればアヤシイ奴だが、別に変態的というわけではなく、「旅行行きたいなあ」と思っているだけなのだが。
これがねえ、メチャクチャに強烈な刺激なんスよ。
人の記憶を刺激するのは視覚や聴覚よりも嗅覚というが、あれはホンマです。
かいだ瞬間、本当に目の前に「NO TAX」の看板が浮かぶもの。あれはすごい破壊力だ。
だから、パトリック・ジースキュントの傑作ミステリ『香水』を読んだとき、なんとなく腑に落ちなかったもの。
いや、小説自体は池内紀先生の訳文もすばらしく、たいそうおもしろかったのだが、パリの悪臭や、死体の放つ死の香りへの詩的表現は多くあるのに、
「ジャン=バティスト・グルヌイユはその香りにふれると、関空から搭乗口への無暗に長い廊下を思い出すのだ」
みたいな一文がないものなあ。パトリック、わかってないぞ。
あー、そもそもこんな話をネタにしたら、すぐ旅に出たくなっちゃったよ。
どっかのデパートで、試供品の香水でももらってこようかしらん。